1992年、野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズ第7戦では、1対1の8回裏、守備固めのため、なんと、四番・三塁手の清原選手をベンチに下げた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、西武は、10回表に勝ち越しに成功すると、その裏は石井丈裕投手が三者凡退に抑え、3年連続8回目の日本一に輝きます。

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦で清原和博をベンチに下げていた!」からの続き

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦も延長戦に

1992年、野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズ第7戦では、森さんは、1対1で迎えた8回表、なんと、四番の清原和博選手を清原選手をベンチに下げ、遊撃の石毛選手を三塁に、奈良原浩選手を遊撃に回して守備を固めているのですが、

石井丈裕投手は、ヤクルトに一死満塁のチャンスを与えるも、ハウエル選手を見逃しの三振、池山隆寛選手を遊ゴロで無得点に抑えると、

9回裏も二死無走者から、岡林洋一選手が中前打、飯田哲也選手が左前打の連続安打で一二塁と、またしてもチャンスを与えるも、代打の橋上秀樹選手を遊ゴロに打ち取り、ピンチを切り抜けます。

野村ヤクルトを制し日本一

すると、10回表、西武は、先頭打者の辻発彦選手が二塁打で出塁すると、大塚光二選手が犠牲バントで送り、続く秋山幸二選手が中堅へ犠牲フライを打ち上げ、ついに、2対1と勝ち越しに成功。

その裏、森繁和コーチは、石井投手に代えて潮崎哲也投手をマウンドに送ることを考えたそうですが、石井投手が続投を志願してそのまま続投すると、石井投手は、見事、クリンナップの、古田敦也選手、広沢克己選手、ジャック・ハウエル選手を三者凡退に抑えて、西武が3年連続8回目の日本一を達成したのでした。

1992年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦は今でも忘れられない試合

ちなみに、森さんは、1992年のこの第7戦(最終戦)が今でも忘れられないそうで、特に、1対0のビハインドで迎えた7回表、西武の攻撃で、二死一二塁の場面は、結果的には、石井丈裕投手がタイムリーヒットを打ち、1対1の同点に追いついていたものの、

本来ならば、ここはどうしても同点に追いついておきたい場面で、(西武投手陣の中でもバッティングが得意なほうではなかった)石井投手には代打を送るしかなかったのですが、石井投手以上の投手がおらず、石井投手を変えるわけにはいかなかったそうで、

森さんは、

ここで点を取れなくても、次の回は一番の辻(発彦)から始まる。そんな思いもありました。同時に、『もしこの試合に負けたら、なぜ、石井に代打を出さなかったのか、と大いに叩かれるだろう』という思いもありました。

それでも、ここは動けない。動くべきではない。それが私の判断でした

と、石井投手をそのまま起用したそうですが、

同時に、好投を続けるヤクルトの岡林投手を代えてくれないかとも思っていたそうで、

野村さんも僕も、お互いが野球を知り尽くした者同士。用兵にしても、采配にしても、すべてが読み合いなんだね。『ここでピッチャーを代えてくるだろう』と思ったら、野村さんは動かない。

こちらが誘い出そうとしても、まったく乗ってこない。だから僕も我慢して動かない。その好例があの第7戦ですよ

と、語っています。

(ちなみに、ヤクルトの野村監督も、石井投手が降板しさえすれば代打は誰でもいいからと、石井投手に代打を送ってほしいと思っていたそうです)

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2年連続の日本シリーズでの野村克也監督率いるヤクルトとの対戦はやり甲斐があり楽しかった

また、森さんは、翌1993年も、野村克也監督率いるヤクルトと日本シリーズを戦っているのですが、この2年間の日本シリーズは、つらく厳しい戦いだったとしながらも、

あの2年間(1992年と1993年)は、それまでに経験したことのないシリーズでした。表面的に見れば、1992年は西武が4勝3敗、1993年はヤクルトが4勝3敗で、それぞれ一度ずつ日本一になっている。

でも、その内容たるや、一歩間違えればどっちに転ぶかわからない場面の連続でした。相手がこんな手を打ってくる。だから、こちらは我慢する。次にこちらが手を打つ。しかし、相手は誘いに乗ってこない。そういう場面がいっぱいあったし、久々に『チームの戦い』だけでなく、『監督同士の戦い』というのを感じたシリーズでした

あれだけ死力を尽くした戦いは、ヤクルトとの日本シリーズだけでした。勝負というのは、力が互角であればあとは”時の運”ですよ。

後手に回ればやられる。かといって先手、先手で勝負すれば相手の術中にハマることもある。本当に大変だった。でも、本当に楽しかった。野村監督との戦いだったから可能になったんです

と、語ってます。

「森祇晶は秋山幸二を放出し佐々木誠を獲得していた!」に続く


1992年、ヤクルトとの日本シリーズを4勝3敗で制して3年連続の日本一を決め、選手に胴上げされる森さん。

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