1992年は、野村克也監督率いるヤクルトとの日本シリーズを4勝3敗で制し、西武ライオンズを3年連続8回目の日本一に導いた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、1993年、同じく野村ヤクルトとの日本シリーズでは3勝4敗で敗れると、チームの活性化を図るため、オフには、なんと、主力打者だった秋山幸二選手を放出して佐々木誠選手を獲得します。
「森祇晶は1992年野村ヤクルトを制し西武を日本一に導いていた!」からの続き
1993年の野村ヤクルトとの日本シリーズは3勝4敗で敗戦
西武ライオンズの3年連続リーグ優勝&日本一を達成した森さんは、1993年には、6月に2度の5連勝をマークするなど首位を快走すると、8月中旬には、日本ハム戦で3連敗するなど1勝7敗で首位から陥落するも、8月25日から5連勝で首位を奪還すると、以降は、最後まで首位を守り抜き、リーグ優勝を果たします。
ただ、2年連続の対戦となった野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、惜しくも3勝4敗で敗戦し、4年連続日本一は叶いませんでした。
秋山幸二を放出し佐々木誠を獲得
そこで、雪辱を期す森さんは、チームを活性化する必要性を痛感し、勝ち慣れした選手に刺激を与える目的もあり、主力選手の大型トレードを決意したそうで、
前年に首位打者に輝いたダイエーの佐々木誠選手を獲得すべく、ダイエーの本拠地に近い熊本県出身の秋山幸二選手を交換要員としてダイエーと交渉すると、
11月20日には、ダイエーとの間で、秋山選手・渡辺智男選手・内山智之選手と、佐々木誠選手・橋本武広選手・村田勝喜選手の3対3のトレードを成立させます。
(佐々木選手が1番を打つことで、打線は長打力こそ低下するものの安定性は向上すると森さんは考えたのだそうです)
パ・リーグ史上初の5年連続リーグ優勝を達成
すると、チームは順調に勝ち進み、前半戦を首位で折り返すと、7月は9勝12敗、8月も13勝13敗と苦戦するものの、
(佐々木選手や橋本選手が活躍する一方で、先発ローテーション入りが期待された村田選手は不振に陥いるほか、新外国人選手のマイク・パグリアルーロ選手とロッド・ブリューワ選手もイマイチで、夏場は、オリックス、ダイエー、近鉄の4チームによる混戦となりました)
9月には、先発投手だった、郭泰源投手、石井丈裕投手、新谷博投手をリリーフへ回すと、かねてからリリーフの、潮崎哲也投手、鹿取義隆投手、杉山賢人投手ら救援陣に厚みが増して、11連勝を含む12勝3敗で混戦から抜け出すことに成功し、10月2日、パ・リーグ史上初の5年連続リーグ優勝を達成したのでした。
「森祇晶はフロントに不信感を抱き西武監督を辞任していた!」に続く