子役として着実に歌舞伎のキャリアを積んでいた、二代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんは、中学時代には、ラジオドラマ、映画、文学座の舞台など、歌舞伎以外のお芝居もするようになったといいます。

「松本白鸚(2代目)は小中高とイジメを受け続けていた!」からの続き

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中学時代には連続ラジオドラマや映画にも出演

白鸚さんは、中学生になると、連続ラジオドラマに出演するほか、1955年には、五所平之助監督映画「たけくらべ」で、金貸しの息子・正太郎役で映画デビューも果たすと、

1957年には、松竹が歌舞伎の忠臣蔵をもとにして製作した映画「大忠臣蔵」で、矢頭右衛門七役で出演するなど、歌舞伎以外の活動もするようになります。

(年配の声優である恩田清二郎さん、真弓田一夫さん、武藤礼子さん、西田昭一さんらと共演したことで、発声やセリフの言い方の勉強になり、それが後にとても役に立ったそうです)

文学座の舞台「明智光秀」で森蘭丸役を演じ、歌舞伎と違う世界に驚いていた

さらに、1957年には、白鸚さんは、お父さんの八代目松本幸四郎さんが文学座に客演し、シェークスピアの「マクベス」を下敷きにした舞台「明智光秀」(福田恆存さん作・演出)で、織田信長の家来・森蘭丸役を演じているのですが、

白鸚さんは、歌舞伎とはまったく違う世界に驚き、また、女形(おんながた)の代わりに女優さんがいたことから、胸がときめいたのだそうです。

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文楽(人形浄瑠璃)の竹本綱太夫にも稽古をつけてもらっていた

ちなみに、この文学座との舞台は、お父さんの八代目松本幸四郎さんの新しい試みで(新劇と歌舞伎の初の合流と言われたそうです)、1959年には、これも初となる歌舞伎と文楽(人形浄瑠璃)の合同公演「日向嶋(ひゅうがじま)」が、お父さんの八代目松本幸四郎さんと、文楽の竹本綱太夫さん、竹沢弥七さんらで上演されるも、

白鸚さんと弟の二代目中村吉右衛門(当時・萬之助)さんは、出演できず、観劇していたそうですが、

綱大夫四季」によると、お父さんの八代目松本幸四郎さんは、

染五郎(白鸚さん)、万之助(弟の二代目中村吉右衛門さん)の二人の子供もテープでけいこしていましたが、どうにもならない。二人共清元や踊りのけいこはしていましたが、義太夫は一度もしていない。

そこで綱大夫さんに一日みっちりけいこをしてもらいました。ところが、二人共前よりセリフのイキが義太夫のイキに近づいているのです。本当の芸をもっている人に指導してもらうことはいいことだと思いました。

(※太夫(たゆう)は、かつて「大夫」と記載されていた時期もあったようですが、現在は「太夫(点あり)」と書くそうです)

と、語っていたそうです。

(それまで、文楽の太夫(物語の語り手)は歌舞伎の舞台に立つことはタブーとされていたそうで、竹本さんらにとって、この歌舞伎との合同公演は、そんなタブーを破っての挑戦だったそうです)

「松本白鸚(2代目)は「太陽の季節」を見て歌舞伎を辞めようと思っていた!」に続く


綱大夫四季

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