1970年、ブロードウェイでの「国際ドン・キホーテ・フェスティバル」で、日本人で初めて主演し、大成功を収めた、二代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんは、その後も、歌舞伎、ミュージカル、現代劇、シェークスピア劇と多岐にわたって出演しているのですが、1978年には、NHK大河ドラマ「黄金の日日」で主人公・呂宋助左衛門に起用されると、最高視聴率34.4%の大ヒットを記録します。
「松本白鸚(2代目)の「ラ・マンチャの男」は日本でも反響を呼んでいた!」からの続き
ブロードウェイから帰国後は、歌舞伎、ミュージカル、現代劇、シェークスピア劇と多岐にわたって出演していた
白鸚さんは1970年5月9日に、「国際ドン・キホーテ・フェスティバル」の千秋楽を迎えると、同年7月には、ブロードウェイから帰国し、国立小劇場で「木の芽会」(歌舞伎の勉強会)の10周年公演を行い、再び、歌舞伎の修業を始めたそうですが、
並行して、ミュージカル、現代劇、シェークスピア劇などにも出演し、「一日30時間あれば」と思うほど、忙しい毎日が続いたそうです。
NHK大河ドラマ「黄金の日日」が最高視聴率34.4%の大ヒット
そんな中、白鸚さんは、城山三郎さんの同名小説の原作で、市川森一さん脚本の、NHK大河ドラマ「黄金の日日」(1978年放送)で、安土桃山時代にフィリピンとの交易で活躍した、堺の商人・呂宋助左衛門役に起用されると、
大河ドラマで初めて庶民を取り上げたこのドラマは、大きな反響を呼び、最高視聴率34.4%と大ヒットを記録しています。
「黄金の日日」より。
(近藤晋プロデューサーのはからいで、白鸚さんの父・八代目松本幸四郎さんと、息子の十代目松本幸四郎さんも特別出演しています)
「黄金の日日」では大河ドラマ初の海外ロケ(フィリピンのルソン島)を行っていた
ちなみに、「黄金の日日」では、大河ドラマ初の海外ロケが、フィリピンのルソン島北部のサン・エステバンで行われたそうで、青い空に青い海、あちこちにブーゲンビリアの花が鮮やかに咲き乱れ、その自然の美しさは例えようもないほどだったそうですが、
日陰のない浜辺での撮影だったため、昼間は猛烈に暑く、高橋康夫ディレクターに率いられたロケ班一行も、朝は勇んでホテルを出陣したものの、夕方になるとぐったり疲れ果て、帰りのバスの中では、言葉では言い表すことができないほどの姿でみな寝入っていたそうで、実際、スタッフの中には、熱中症のような症状になった人もいたのだそうです。
(撮影は1年半にも及んだそうですが、フィリピンは、当時、マルコス大統領の政権下で、政情不安の面があり、マニラで暴動が起こったという発表で、途中、ロケの中止を余儀なくされたこともあったそうです)
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」で再び呂宋助左衛門役を演じていた
また、白鸚さんは、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも、再び、呂宋助左衛門役を演じているのですが、
白鸚さんは、38年の年月を経て、再び同じ役を演じたことについて、
再び助左衛門を生きることができ、本当に「今」を強く感じました。「役者冥利」というのでしょうか。同じ役を、違うドラマで、演じることができる機会に恵まれた「今」が、人間としても、役者としても、とても幸せだと思っています。
と、語っています。
「真田丸」より。
三谷幸喜は「黄金の日日」を見て劇作家を志していた
実は、「真田丸」で脚本を手掛けた三谷幸喜さんは、「黄金の日日」を見て、劇作家を志していたそうで、
実際、白鸚さんが「黄金の日日」に出演してから十数年後、初めて三谷さんに出会った際には、三谷さんから、「黄金の日日」を高校生の時に見て、人生の指針にしたと言われていたのだそうです。
(白鸚さんは、「真田丸」以外にも、テレビドラマ「王様のレストラン」、現代劇「バイ・マイセルフ」「マトリョーシカ」など、三谷さんが脚本を手掛けた作品に出演しています)