歌舞伎役者の二代目松本白鸚さんを父親に持ち、幼い頃は、弟や妹とお芝居ごっこをして遊んだり、劇場が遊び場のような感覚で、芝居や劇場に自然に親しんでいたという、松本紀保(まつもと きお)さんですが、実は、子供の頃は、将来、女優になろうとは思っていなかったといいます。
松本紀保は幼少期から芝居や劇場に慣れ親しんでいた!からの続き
シェークスピア劇「リア王」のプロンプターを手伝ったことがきっかけで芝居に興味を持つようになる
お父さんが二代目松本白鸚さんだったことから、幼少期からお芝居ごっこをするほか、芝居や劇場に慣れ親しんでいたという紀保さんですが、
子供心にも「役者は男の子のもの」と思っていたそうで、お芝居を職業にしようとは思っておらず、書道の師範資格を取得していたことから、書道の道に進もうと考えていたといいます。
ただ、お父さんの二代目松本白鸚さんから誘われ、シェークスピア劇「リア王」のプロンプター(稽古の時などに台詞を付ける人)を手伝うと、これをきっかけに、お芝居に興味を持つようになったそうで、
紀保さんは、
小さい頃から父や弟の舞台は観ていましたが、プロンプターとして芝居創りの現場に入ってみたらとても刺激を受けました。
それまで女優になりたいという願望はあまりなかったのですが、このことをきっかけに何らかの形で芝居の世界に携われたらいいなと思うようになりました。
と、語っています。
劇組織「t.p.t.」のワークショップが楽しかったのがきっかけでオーディションを受けていた
そんな中、稽古場で知り合った人に誘われ、劇組織「t.p.t.(シアタープロジェクト・東京)」のワークショップに参加すると、初心者ながら、楽しく充実した時間を過ごせたそうで、
ここの活動がとても気に入り、「何かお仕事をさせてください」と頼みに行くと、ちょうど、その日は、舞台「チェンジリング」のオーディションの日だったことから、オーディションを受けてみると、見事、合格したそうで、このことがきっかけとなり、女優の道に進むことになったのだそうです。
(舞台「チェンジリング」には、堤真一さん、中川安奈さん、岡本健一さん、戸井田稔さん、千葉哲也さんら、商業演劇から小劇場の舞台で活躍する錚々(そうそう)たるメンバーが参加していたそうです)
舞台「チェンジリング」で女優デビュー
こうして、紀保さんは、1994年、舞台「チェンジリング」で初舞台を踏むと、
以降、
「夏ホテル」
「マトリョーシカ」
「ヴァニティーズ」
「ヴェリズモ・オペラをどうぞ!」
「ヴェリズモ・オペラをどうぞ!」より。紀保さんとお父さんの二代目松本白鸚さん。
などの舞台に出演されています。
ちなみに、家族には、ワークショップに参加することは言ってあったそうですが、まさか、芝居に出るとは思っていなかったそうで、特に、お父さんはとても驚いていたそうですが、どうしても、お芝居をやりたいという気持ちを伝えた所、納得してくれたのだそうです。
「ラ・マンチャの男」にアントニア役で出演するほか演出補でも参加
そんな紀保さんは、2000年には、「ラ・マンチャの男」で、アントニア役を演じているのですが、この舞台は、1969年より、お父さんの二代目松本白鸚さんが主演を務め、現在までロングラン上演を続けている、とても息の長い作品のうえ、「紀保」という名前は、主人公のドンキホーテから名付けられたということで、紀保さんにとって、とても思い入れのある作品だそうで、
「ラ・マンチャの男」の製作発表記者会見より。(左から)紀保さん、お父さんの二代目松本白鸚さん、妹の松たか子さん。
紀保さんは、
前回(2005年)の公演から、演出補として参加させてもらっています。中に入っていると、今まで見えなかったことが色々見えてきて、出演している時よりも冷静に見られるので、改めてこの作品の素晴らしさを感じています。
自分もこの作品にちなんだ名前をつけていただきましたので、これを誇りにも思うし、この名前に恥ずかしくない、生き方をしていきたいと思います。
と、語っています。
(ちなみに、1995年には、妹の松たか子さんがアントニア役を演じています)
「松本紀保の出演舞台ドラマ映画とプロデュース作品を画像で!」に続く