父・七代目尾上梅幸さんの芸を受け継ぎ、女方と立役の二刀流でその地位を確立した、七代目尾上菊五郎(しちだいめ おのえ きくごろう)さんは、若い頃は、六代目市川新之助(後の十二代目市川團十郎)さん、初代尾上辰之助さんと共に、「三之助」と呼ばれるほか、NHK大河ドラマ「源義経」では、大河ドラマ史上最年少で義経役に抜擢されて、凛々(りり)しい若武者を演じ、人気を博しました。
「尾上菊五郎(7代目)の家系図は?本名は?屋号は?」からの続き
22歳の時に四代目尾上菊之助を襲名
菊五郎さんは、お父さんの七代目尾上梅幸さんと、お母さんの珠子さんのもと、3人兄弟姉妹(2歳年上の姉と8歳年下の弟)の長男として誕生すると、
1948年4月、5歳の時には、五代目尾上丑之助として、新橋演舞場「助六曲輪菊(すけろく くるわのももよぐさ)」の「禿(かむろ)」役で初舞台を踏み、
1965年5月、22歳の時には、歌舞伎座「寿曽我対面(ことぶき そがのたいめん)」の「十郎」などの役で四代目尾上菊之助を襲名します。
六代目市川新之助、初代尾上辰之助と共に「三之助」と呼ばれ人気を博す
そんな中、1965年11月10日には、六代目市川新之助(後の十二代目市川團十郎)さんの父・十一代目市川團十郎さんが急死し、後ろ盾を失った新之助さんを、人気が急上昇し始めていた菊五郎(当時は四代目尾上菊之助)さんと(同時襲名した)初代尾上辰之助さんが共に支えると、
そんな姿に同情が寄せられ、3人は、「三之助」と呼ばれ、一大ブームを巻き起こすほどの人気を博します。
「三之助」の三名。(左から)六代目市川新之助さん、初代尾上辰之助さん、四代目尾上菊之助(菊五郎)さん。
ちなみに、この頃、昭和歌舞伎の人気が伸び悩み、存続の危機がしきりに叫ばれていたそうですが、この「三之助」ブームにより、歌舞伎ファンだけでなく、若い世代の女性に歌舞伎ファンが急増し、息を吹き返したのだそうです。
(荒事・二枚目役が新之助さん、女方が菊之助さん、世話物や踊りが辰之助さんと、それぞれ得意分野が違っていたため、自然と競演の機会も多かったそうです)
NHK大河ドラマ「源義経」の義経役に大河ドラマ史上最年少で抜擢されていた
また、菊五郎さんは、翌年の1946年には、NHK大河ドラマ「源義経」で、大河ドラマ史上最年少の23歳という若さで主演の義経に抜擢されると、その若さが評判となり、さらに広い人気を集めます。
NHK大河ドラマ「源義経」より。菊五郎さん(左)と緒形拳さん。
女方と立役の二刀流でその地位を確立
そんな菊五郎さんは、1973年10月・11月には、歌舞伎座「弁天娘女男白浪(べんてんむすめ めおのしらなみ)」の「弁天小僧菊之助」、「助六曲輪菊(すけろく くるわのももよぐさ)」の「助六」、「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」の白拍子花子などの役で七代目尾上菊五郎を襲名し、
1980年代に入ってからは、女方から立役にシフトしていき、「魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」の宗五郎、「義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」の忠信など、世話物、時代物を問わず、江戸の粋を体現することのできる役者として高い評価を得ると、
1995年にお父さんの七代目尾上梅幸さんが他界したことから、「尾上菊五郎劇団」(1949年発足)を引き継ぎ、「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」の直次郎、(直次郎の恋人の)三千歳など、立役と女方の二刀流でその地位を確立していったのでした。
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