大学卒業後は、歌舞伎俳優として生きていく決意をすると、自主公演を展開するなど、積極的に活動するも、2003年には、7月公演を最後に、お父さんの四代目市川段四郎さんとともに、伯父(父の兄)の三代目市川猿之助さん率いる「猿之助一座(澤瀉屋)」を脱退した、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さん。今回は、猿之助さんが「猿之助一座(澤瀉屋)」を脱退した理由についてご紹介します。

「市川猿之助(4代目)が伯父(3代目)から猿之助を継承した経緯とは?」からの続き

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「澤瀉屋」の二枚看板「猿之助」「段四郎」のしがらみから逃れたかった

実は、猿之助さんは「自分には澤瀉屋(おもだかや)の血が流れている」としつつも、「澤瀉屋」の二枚看板である、「猿之助」や「段四郎」というしがらみから逃れようと、

どちらの名跡を継ぐこともなく、「亀治郎」として生きていきたいと、「猿之助にはならない。死ぬまで亀治郎でいたい」と公言していたといいます。

一座の中で脇役に甘んじなくてはいけないことが不満だった?

また、お父さんの四代目市川段四郎さんは、座頭である伯父の三代目猿之助(現・二代目市川猿翁)さんとは異なり、主役を張るタイプではなかったことから、

父親が脇役である以上、息子である猿之助さんが主役を張るのは難しく、猿之助さんは、一座の中で、脇役に甘んじなくてはならないことが不満だったとも言われています。

実力が評価されていないことが不満だった

また、歌舞伎役者にとって、「声よし」「顔よし」「姿よし」の三拍子がそろっているいるというのが、最高の褒め言葉だそうですが、

三代目猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの妻・藤間紫さんは、猿之助さんの「見た目」に思うところがあったそうで、猿之助さんとしては、実力が正しく評価されないことを不満に思っていたとも言われています。

「猿之助一座(澤瀉屋)」脱退の理由を「偉大な人物である伯父から離れる必要があった」と語っていた

ちなみに、猿之助さん本人は、「猿之助一座(澤瀉屋)」を脱退した理由について、2020年、テレビ番組「林先生の初耳学」に出演した際、

先代の(三代目)猿之助(後の二代目市川猿翁)が伯父で。そこで可愛がってもらっていたけど、そこを飛び出したの

なぜかっていうと、(伯父さんは)物凄く大きな人だったの

大きな人の元にいると自分が失敗しても全部この人がかばってくれちゃう

(一方、自身が「良い事」をやっても「全部この人の手柄になる」と感じたこともあり)自分の手応えがなかったから、そこを飛び出たのよ

と、大きな名に助けられるのではなく、自分のやりたいことに挑戦したいと考えてのことだったと明かしています。

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「市川猿之助一座(澤瀉屋)」脱退後はバッシングを浴びるも大河ドラマ「風林火山」等で注目を集める

しかし、この離脱に、猿之助さんは、「恩知らず」「明日から仕事はない」などと言われ、様々なバッシングを浴びています。

それでも、独立後、猿之助さんは、2006年には、外部の演出家による初舞台である、三谷幸喜さん演出の舞台「決闘!高田馬場」に出演すると、

2007年には、蜷川幸雄さん演出の歌舞伎「NINAGAWA 十二夜」に出演するほか、NHK大河ドラマ「風林火山」で武田信玄役を演じて大きな注目を集め、

2009年には、Team申の舞台「狭き門より入れ」で現代劇に初挑戦するなど、歌舞伎以外の舞台やテレビドラマにも出演し、目覚ましい活躍を見せたのでした。

「市川猿之助(4代目)はスーパー歌舞伎II「ワンピース」を大ヒットさせていた!」に続く

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