2012年6月、伯父の三代目市川猿之助さんから”猿之助”引き継いだ、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、なぜ、甥の猿之助(当時は二代目市川亀治郎)さんが、四代目市川猿之助を襲名することができたのでしょうか。今回は、その経緯をご紹介します。

「市川猿之助(4代目)が慶應義塾大学時代は成績優秀だった!」からの続き

Sponsored Link

「澤瀉(おもだか)屋」は初代市川猿之助の生家が「オモダカ」という薬草を扱う薬屋だったため

猿之助さんの屋号は、「澤瀉屋(おもだかや)」ですが、初代猿之助さんの生家が「オモダカ」という薬草を扱う薬屋だったことに由来するそうで、名門ながら、梨園の中では、比較的歴史が浅いそうです。

初代市川猿之助は「勧進帳」を無断で演じたことが原因で一座から破門されていた

実は、初代市川猿之助(後の二代目市川段四郎)さんは、1870年、市川宗家である成田屋一門の河原崎権十郎(後の九代目市川團十郎)さんの門下に入るも、(正式に初代市川猿之助を名乗る前の)1874年、九代目市川團十郎さんの許可が必要な「勧進帳」を無断で演じたことが原因で、團十郎さんの逆鱗に触れて破門され、

その後は、遊郭「澤瀉楼」などを経営しつつ、山崎猿之助、松尾猿之助と改名を繰り返し、旅興行から大阪の舞台に立つなど辛酸をなめながら芸を磨き、1890年、ようやく一座に復帰する許しを得て、この時に、初代市川猿之助を襲名したのだそうです。


初代市川猿之助さん。

「澤瀉屋」は初代から血縁者が跡を継いでいる

そんな「澤瀉屋」の二枚看板は、「猿之助」と「段四郎」なのですが、猿之助は特異な存在といいます。

というのも、歌舞伎界の名跡は、そのほとんどが一時は途絶えているそうですが、「猿之助」は初代が名乗って以来、一日も途絶えたことはなく、しかも、一度も養子を取ることなく、血縁者が跡を継いでいるのだそうです。

  • 二代目市川猿之助・・・初代市川猿之助の子
  • 三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)・・・二代目市川猿之助の孫(ここまでは直系)
  • 四代目市川猿之助・・・三代目市川猿之助の甥

※二代目の子は猿之助を襲名せずに、段四郎を名乗り、三代目市川段四郎となっています。

Sponsored Link

伯父の三代目市川猿之助から猿之助を継承した経緯とは

ちなみに、猿之助さん(四代目市川猿之助)が、伯父の三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんから猿之助を継承した経緯ですが、

三代目市川猿之助さんは、女優の浜木綿子さんと結婚し、男の子に恵まれるも、その後、離婚し、男の子は浜さんに引き取られたことから、三代目猿之助さんと男の子は長く絶縁状態にありました。

実は、この男の子が俳優の香川照之さんなのですが、後に父子は和解し、香川さんも歌舞伎界入りを果たすのですが、さすがに「猿之助」を襲名することはできなかったそうで、

2012年、三代目猿之助さんの弟である、四代目市川段四郎さんの子の二代目市川亀治郎さんが四代目猿之助を襲名したのだそうです。

「市川猿之助(4代目)が「猿之助一座(澤瀉屋)」を脱退した理由とは?」に続く

Sponsored Link