大学卒業後の翌1963年5月、歌舞伎座「黒塚」の鬼女役、「吉野山(よしのやま)」の忠信役などで三代目市川猿之助を襲名した、二代目市川猿翁(にだいめ いちかわ えんおう)さんですが、当初は、自ら考案した「初代市川雪之丞」を襲名する予定だったといいます。
「市川猿翁(2代目)は大学3年の時TVドラマ鞍馬天狗で主演を務めるも…」からの続き
歌舞伎座「吉野山(よしのやま)」の忠信などで三代目市川猿之助を襲名するも・・・
1962年に慶應義塾大学を卒業した猿翁さんは、翌1963年5月には、歌舞伎座「吉野山(よしのやま)」の忠信、「黒塚」の鬼女、「鎌倉三代記」の三浦之助、「河内山」の松江候などを演じて、三代目市川猿之助を襲名し、名題(なだい)に昇進しているのですが・・・
(※名題とは看板に載るような役者)
祖父の二代目市川猿之助(初代市川猿翁)は直前になって猿之助を譲りたくなくなっていた
実は、猿翁さんは、幼い頃から、おじいさんの二代目市川猿之助(初代市川猿翁)さんから、「猿之助はお前が継ぐのだ」と言われ続けていたそうですが、大学を出て、そろそろ猿之助をくれるのかと思っていたら、おじいさんは、急に惜しくなったのか、「猿蔵」とか「猿之丞」といった名前しか出さなかったそうです。
(歌舞伎役者の家に生まれると、初舞台を踏むときの幼名、青年期の名、功成った後の名と、だいたい、3度名前を変えるそうで、「澤瀉屋(おもだかや)」では、本来、幼名が團子(だんこ)、青年期の名が猿之助、そして、一番格が高いのが段四郎だそうで、この順なら、本来、おじいさんは段四郎を名乗るはずだったのですが、合理主義者のおじいさんは3回も名を変えるのは大変だから澤瀉屋では2回にしようと決め、息子(猿翁さんのお父さん)に段四郎を継がせ、自分は猿之助を名乗り続けたそうです。ただ、おじいさんは、数々の業績を残したことから、結果的に、猿之助は大きな名前となり、お父さんはおじいさんをしのげなかったことから、世間からは段四郎より猿之助の方が大きな名前と映っていたそうです)
憧れていた上方和事の祖「坂田藤十郎」を名跡に提案するもさすがに祖父に一喝されていた
そこで、猿翁さんが、おじいさんに、
古めかしい名跡を継ぐくらいなら私に考えさせてください
と、申し出ると、おじいさんは、「そんなら何がいい」と聞いてきたそうで、
上方和事に憧れていた猿翁さんは、その祖である「坂田藤十郎」を挙げたそうですが、さすがに、おじいさんに一喝されてしまったそうです。
「初代市川雪之丞」を襲名することになっていた
そこで、猿翁さんは、それなら、いっそ、みんなが知っている小説「雪之丞(ゆきのじょう)変化」の雪之丞がいいと提案すると、おじいさんも、仕方なくこれを了承してくれたそうで、初代市川雪之丞を襲名することになったのだそうです。
ちなみに、歌舞伎界の襲名では、配り物をするのが常識で、襲名の配り物として、表に奥村土牛画伯の大輪の牡丹(ぼたん)、裏に雪輪の縫いのある袱紗(ふくさ)、小絲(こいと)源太郎画伯が描いたパンジーの扇子、紋を入れた手拭(てぬぐい)が準備されたそうです。
(猿翁さんが、「はがき1枚ですませたら、どうですか」と提案すると、おじいさんに、「お前、そんなもんじゃありません」と言って怒られたそうです)
「市川猿翁(2代目)は祖父・市川猿之助(2代目)に懇願され猿之助を襲名していた!」に続く