師匠である二代目片岡秀太郎さんから養子話を持ちかけられると、血筋を重んじる歌舞伎界での息子の将来を案じた両親が快く許してくれ、1992年、19歳の時、二代目片岡秀太郎さんの養子になったという、六代目片岡愛之助(ろくだいめ かたおか あいのすけ)さんは、1999年にはお母さんを末期ガンで、2000年にはお父さんをくも膜下出血で相次いで亡くすのですが、亡きお父さんの言葉を胸に歌舞伎役者として躍進を続けると、2013年には、テレビドラマ「半沢直樹」に出演し、一躍ブレイクを果たします。
「片岡愛之助(6代目)は19歳のとき片岡秀太郎(2代目)の養子になっていた!」からの続き
母親は53歳で末期ガン、父親は56歳でくも膜下出血により他界
1992年、19歳の時、二代目片岡秀太郎さんの養子に入った愛之助さんは、1994年、21歳の時には、名題に昇進するなど、躍進を続けるのですが、
1999年には、愛之助さんが子役時代から舞台に上がるのを見守り続け、血筋を重んじる梨園の慣習に胸を痛め、密かに二代目片岡秀太郎さんに直訴して養子縁組への道を開き、他人の子供になることを快く許してくれたお母さんが、53歳という若さで末期ガンで他界したそうで、愛之助さんは打ちのめされ、悲しみに暮れたそうです。
すると、お父さんが、お母さんの骨壷を見ながら、
なあ、寛之(愛之助さんの本名)。人は骨壺に入ったら終わりや。だから、自分が納得して生きられる人生を歩みなさい
と、言ってくれたそうですが・・・
そんなお父さんも、1年後の2000年には、くも膜下出血で急逝されたそうで(56歳)、
愛之助さんは、2014年、シニア向け雑誌「いきいき」(8月号)のインタビューで、
父の言葉が、僕に大好きな歌舞伎役者として生きる覚悟をくれたんです
と、語っています。
養父・二代目片岡秀太郎とともに「平成若衆歌舞伎」を旗揚げし宝塚歌劇団月組とコラボも
そんな愛之助さんは、亡きお父さんの言葉を胸に歌舞伎役者としてのキャリアを積むと、2002年には、養父・二代目片岡秀太郎さんとともに、「平成若衆歌舞伎」を旗揚げし、歌舞伎の伝統と現代演劇の新味を融合させた舞台活動に積極的に取り組むと、2005年には、宝塚歌劇団月組と共演し、日本演劇史上初の宝塚と歌舞伎のコラボレーションも実現。
また、2003年には、「夜桜お染」でテレビドラマにレギュラー出演、2004年には、映画「シベリア超特急5」で主演を務めるほか、2005年には、「新撰組!!~土方歳三最期の一日」で準主役を演じるなど、歌舞伎の舞台以外でも活躍します。
テレビドラマ「半沢直樹」の元金融庁担当検査官の黒崎駿一役でブレイク
また、愛之助さんは、2013年には、テレビドラマ「半沢直樹」で、半沢の敵役である元金融庁担当検査官の黒崎駿一役を演じると、プライドが高く、なぜかオネエ口調で、激昂すると部下の急所をつかむという、喜怒哀楽の激しい個性的なキャラクターでたちまちブレイク。
2020年にも、第8話で、黒崎駿一(愛之助さん)が再登場すると、ネット上では「黒崎さん最高すぎる」「笑いが止まらない」などと、大反響となっているのですが、
愛之助さんは、「半沢直樹」を、
片岡愛之助という存在を世に知らしめてくれたドラマ
と、語っており、この「半沢直樹」が自身の大きな転機となったそうです。
「片岡愛之助(6代目)の出演舞台ドラマ映画を画像で!」に続く
「半沢直樹」より。段田安則さんと愛之助さん。