巨人移籍1年目の1994年は、いきなり開幕・広島戦で松井秀喜選手とともに、アベックホームランを放つなど、幸先の良いスタートを切り、チーム(巨人)の開幕ダッシュに貢献していた、落合博満(おちあい ひろみつ)さんですが、脇腹へのデッドボールで肋骨を骨折し、満身創痍の状態で不振にあえぐと、6月28日時点で2位に10ゲーム差をつけて首位を独走状態だったチーム(巨人)も急降下し、9月28日には、ついに、2位の中日に首位に並ばれてしまいます。

「落合博満は巨人移籍直後キャンプの甘さに驚いていた!」からの続き

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6月末時点10ゲーム差で独走していた巨人が9月末には中日に首位に並ばれていた

6月28日時点では、2位の中日に10ゲーム差をつけて首位を独走していた巨人ですが、7月に9勝12敗と負け越すと、8月25日から9月3日には8連敗を喫し、2位の広島に3ゲーム差まで追い上げられます。

(8連敗中は完封負けが3度と、すべて2得点以下しかとれない貧打線にあえぎました)

そして、9月下旬にも4連敗を喫すると、ついに、9月28日には、驚異的な追い上げを見せた中日に首位に並ばれてしまいます。

極度の打撃不振にあえぎ、4番から5番に降格させられていた

というのも、落合さんが、9月10日には、中日時代の1988年以来6年ぶりに4番を外されて5番に降格されるなど、極度の打撃不振に陥っていたことが、チーム(巨人)の失速の一因で、

古巣・中日との優勝争いが激しさを増した10月には、中日球団幹部による、

落合が一年間働けないことは分かっていた(10月3日付読売新聞)

うちが優勝できれば、落合が出ていってくれたおかげだ(10月3日付朝日新聞)

などといった辛辣な発言が新聞に並んだのでした。

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脇腹にデッドボールを受けて肋骨を骨折し満身創痍で試合に出ていた

実は、落合さんは、このシーズン中、脇腹にボールをぶつけられ、肋骨を骨折しながら試合に出場していたそうで、満身創痍の状態だったのだそうです。

(9月に入ってからは、マスコットバットで緩い球を呼び込んで打っていたルーティーンをやめ、試合前の打撃練習では、試合用の白木バットで振り切るスタイルに変更していたのだそうです)

「落合博満は1994.10.2珍しく本塁打してガッツポーズしていた!」に続く

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