中日監督就任1年目、3年間一軍登板のなかった川崎憲次郎投手を開幕投手に起用した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんですが、川崎投手は2回持たず5失点で降板。それでも、落合さんは、約1ヶ月後、再度、川崎投手にリベンジの機会を与えるのですが、今度は初回一死もとれずに5失点で降板となり、優勝決定後、自ら、戦力外通告を告げたといいます。
「落合博満は開幕投手に3年間1軍登録なしの川崎憲次郎を起用していた!」からの続き
開幕投手に起用した川崎憲次郎は5失点していた
2004年、年明け早々の1月2日、3年間一軍登板がなかったにもかかわらず、落合さんから開幕投手で起用することを告げられたという川崎憲次郎投手は、予定通り、2004年2月1日の紅白戦に登板した後、10日おきに実戦登板し、なんとか一軍にいてもおかしくないだけの結果を残すと、
3月5日、開幕戦(広島戦)は、2日前から服用していたという痛み止めの座薬と飲み薬を併用して一軍マウンドに臨んだそうですが・・・
初回こそ0点で抑えたものの、2回表には打ち込まれ、5失点してしまいます。
落胆ムードが漂う中、一人だけ笑みを浮かべ川崎憲次郎に降板を告げていた
ここで、落合さんは、審判に投手交代を告げるのですが、なぜか一人だけ笑みを浮かべ、散歩でもするようにゆっくりとマウンドに上がると、
(あっという間に5点を奪われ、さらには、相手は球界を代表するエース・黒田博樹投手であることから、中日ベンチは、早くも勝利への希望が失われ、落胆ムードが漂っていたそうです)
川崎投手に、
いい球投げてるじゃねえか
140キロ出てる。大丈夫だ
と、まるで9回を投げきった投手をねぎらうかのように声をかけたそうで、
川崎投手は、「すいません・・・」とだけ言って(1回1/3を5失点)マウンドを降りたそうです。
(実は、川崎投手は、まだ19歳だったヤクルト時代、ロッテで3度の三冠王を獲って鳴り物入りで中日に入団した落合さんの二の腕にデッドボールを与え、翌日、落合さんに謝りに行ったそうですが、その際、落合さんに、「それにしてもお前の球、速えなあ。今のプロ野球で一番速えんじゃねえか?」と言われ、全身に力がみなぎり、それ以来、自身のストレートに確信が持てるようになっていたそうで、その時のことを思い出したといいます)
川崎憲次郎はこのシーズンの一敗が中日移籍後最初で最後の成績となっていた
ちなみに、この試合、結果的には、中日が逆転勝利し、川崎投手は敗戦投手を免れているのですが、落合さんは、4月30日の横浜ベイスターズ戦で、もう一度、川崎投手に先発させています。
ただ、この時も、川崎投手は一死もとれずに初回5失点で降板となってしまい、この試合が一軍最後のマウンドとなってしまったのでした。
(そのため、川崎投手は、4月30日の1敗が中日移籍後の最初で最後の成績となりました)
自ら川崎憲次郎に戦力外通告していた
そして、(チームの優勝が決まった翌日の)10月2日、落合さんは、自ら川崎投手に「戦力外通告」を伝え、「引退するか」「他球団で続けるか」の選択を提示したそうですが、川崎投手は「引退」を選んだそうで、落合さんは、川崎投手の古巣・ヤクルト戦を引退試合として用意したのだそうです。
(落合さんは、監督就任直後、既に戦力外通告されていた選手を呼び戻し、戦力外の予定だった選手も残しているのですが、川崎投手に戦力外を告げた後、さらに12人の選手に戦力外を告げたそうで、この1年をかけて、戦力となる選手とそうでない選手を見極めたのだそうです)
「落合博満が川崎憲次郎を開幕投手にしたのは情報漏洩を確かめる為だった!」に続く