1973年8月16日、高校3年生の夏の甲子園(第55回全国高等学校野球選手権大会)、1回戦の柳川商業高等学校戦で延長15回を完投すると、2回戦の銚子商業高等学校戦でも延長戦となり、12回裏には、土砂降りの雨の影響もあり、一死満塁、2ストライク3ボールという、一打サヨナラ負けの大ピンチとなった、江川卓(えがわ すぐる)さんは、運命の1球を投げる前に、ずっとギクシャクしていたという内野手全員をマウンドに呼び寄せ、「真っ直ぐを力いっぱい投げたい」と言ったといいます。
「江川卓は高3夏の甲子園で土砂降りで制球を乱し大ピンチとなっていた!」からの続き
最後の1球を投げる前に内野手全員をマウンドに集め「真っ直ぐを力いっぱい投げたい」と言っていた
高校3年生の夏の甲子園(第55回全国高等学校野球選手権大会)、2回戦の銚子商業高等学校戦で、延長12回裏、土砂降りの雨の影響もあり制球を乱し、四球、センター前ヒット、四球(敬遠)で、一死満塁とされると、対する打者(長谷川選手)のカウントも2ストライク3ボールとなり、一打サヨナラ負けの大ピンチとなった江川さんは、
運命の1球を投げる前、タイムをかけ、(春の甲子園からずっとギクシャクしていたという)小倉(現・亀岡)捕手と内野手全員をマウンドに呼び寄せ、
(ここで、フォアボールを出せば自分たちの夏が終わってしまうため、最後の1球という場面に直面し、江川さんはみんなに相談したかったのだそうです)
集まってきたみんなに、初めて、
真っ直ぐを力いっぱい投げたいんだけど、どうだ?
と、問うたそうです。
(内心は、「ふざけんじゃない。お前ひとりのために野球やってんじゃない」「どうぞ御勝手に」などの返事が来ることを覚悟していたそうですが)
すると、一塁手の鈴木秀男選手から、
お前の好きなボールを投げろよ。お前がいたからこそ、俺たちもここまで来れたんじゃないか
と、思いがけない言葉が返ってきたそうで、
江川さんが、もう一度、みんなの顔を見渡すと、みんなも同じ気持ちだと分かり、とても嬉しかったそうで、
江川さんは、後に、著書「たかが江川されど江川」で、その時のことを、
初めてチームがひとつにまとまったと思った。もう僕は、ストライクを取ろうとか、ボールになったらどうしようかとかはまったく考えなかった。ただ、高校時代で一番いい球を投げてやろうと思った。
と、綴っています。
渾身のストレートを投げるも押し出しでサヨナラ負け
そして、江川さんは、思い切り右腕を振り、169目となる、渾身のストレートを投げたのですが・・・
ボールはストライクゾーンよりも高く、球審の判定は「ボール」。
痛恨の押し出しで、0対1のサヨナラ負けとなり、江川さんたち作新学院野球部の夏は終わったのでした。
1973年8月16日。夏の甲子園2回戦・銚子商戦で延長12回に押し出し四球を与えた直後の江川さん。
渾身のストレートを投げたことで後悔はなかった
ただ、江川さんは、著書「たかが江川されど江川」で、
僕らの甲子園は終わった。でも、悔しさはなかった。 あったのは満足感だけだ。あの時、「フォアボールは絶対出すなよ」とでも言われていたら、あんなすがすがしい気持ちにはなれなかったと思う。
と、綴っており、後悔はなかったそうで、
むしろ、様々なインタビューで、押し出しの四球になった直球について、
高校時代で一番いい球がいったと確信している。
その時は滑ったという感覚はなかった。あの球は高校時代で最高の一球だった
今でも、あのボールは気に入っているんです。指にかかったいいボールでした。100マイル(160キロ)は出ていたんじゃないかな。そういう感触があります。ただストライクではなかった。そういうことでしょう
あの場面、ストライクゾーンに入れる気は全くなかった。それよりも一番速いボールを投げようと。ただ、それだけでした
雨で手が滑ったとかいろいろ書かれたけど、自分の中では指に引っ掛かったいい球だった。ボールでよかったんだと思う
などと、語っています。
「江川卓は高3の夏の甲子園では開幕前から疲れていた!」に続く
1973年8月16日。夏の甲子園2回戦の銚子商戦・延長12回裏、押し出し四球でサヨナラ負けし立ち尽くす江川さん。