1975年は、打率3割1分9厘、30本塁打、84打点という素晴らしい成績で、衣笠祥雄選手、大下剛史選手らとともに、広島カープの初のリーグ優勝に大きく貢献した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、個人的には、首位打者、最優秀選手(MVP)、ベストナインを獲得しているのですが、実は、首位打者は僅か9毛差で獲得していたといいます。
「山本浩二は広島初優勝で衣笠祥雄と抱き合って大泣きしていた!」からの続き
山本浩二の打率は広島の最終戦の直前時点で僅か1厘差でトップだった
実は、山本さんが首位打者争いをしていた相手は、3年前(1972年)まで広島カープに在籍していた、中日の井上弘昭選手だったそうですが、
(井上弘昭選手は、1973年に川畑和人投手との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍していました)
広島カープのシーズン最終戦(10月19日)の試合前の時点で、山本さんが僅か1厘差で井上選手を上回っている状態だったそうです。
山本浩二は最終戦で代走出場のみ、井上弘昭も代打で敬遠され、1厘差のままだった
そして、直接対決(中日戦)となったこの日(1975年10月19日)、山本さん、井上選手ともにスタメンを外れていたそうで、
山本さんは代走で出場したのみ、井上選手は3回無死満塁の場面で代打で出場したそうですが、敬遠で四球となり、結果、1厘差は変わらなかったそうです。
山本浩二は僅か9毛差で首位打者を獲得していた
こうして、最終戦を終えた山本さんは、残り1試合を残していた井上選手の結果を待つだけの状態となったのですが、
井上選手はというと、中日ドラゴンズの最終戦(阪神戦)で、遊ゴロ、左翼線二塁打、三振、死球と、3打数1安打に終わり、結果、9毛差で山本さんの首位打者が確定したのでした。
(もし、井上選手が、1打数1安打、3打数2安打、4打数2安打でも、井上選手が逆転して首位打者となっていました)
1975年当時の山本浩二さん。
山本浩二は優勝祝勝会の瞬間は個人タイトルなどどうでもいいと思っていた?
ちなみに、山本さんによると、東京・両国の宿舎のパールホテルで、広島カープ初優勝の祝勝会が開かれた際、シャンパンの乾杯に続いてビールかけをしていると、最高の気分になっていたそうで、もう個人のタイトルなどどうでもよいと思っていたのだそうです。
ただ、一夜明けると、やはり、獲れるものは獲りたいと、首位打者を獲得したいと思うようになっていたそうです(笑)
山本浩二は翌1976年は打撃主要3部門全て1975年を下回っていた
さておき、見事、首位打者を獲得したほか、最優秀選手(MVP)、ベストナインも獲得する活躍で、広島カープを初優勝に導いた山本さんは、1975年のオフは、テレビ出演やイベントなど引っ張りだこで大忙しだったそうですが、
そのせいか、翌1976年の成績は、打率2割9分3厘、23本塁打、62打点と、打撃主要3部門全てにおいて、1975年の成績(打率3割1分9厘、30本塁打、84打点)を下回っています。(チームも3位)
「山本浩二が本塁打を量産できた(本塁打王4回)理由とは?」に続く
首位打者が確定し祝福される山本浩二さん。(左から)衣笠祥雄さん、山本さん、古葉竹識監督、大下剛史さん。