通算2339安打、打率2割9分、536本塁打、1475打点、231盗塁で、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回、最高出塁率3回、ベストナイン10回、ダイヤモンドグラブ賞10回、最優秀選手2回という、攻守ともに凄まじい成績で、広島カープの黄金時代を築いた、山本浩二(やまもと こうじ)さん。今回は、そんな山本さんの凄すぎる成績をご紹介します。
「山本浩二はサプライズの胴上げをされ涙を堪えきれなかった!」からの続き
山本浩二のプロ野球選手(現役)時代の打撃成績
それでは、早速、山本さんの現役時代の打撃成績をご紹介しましょう。
- 1969年(広島カープ)
88安打 打率2割4分厘 12本塁打 40打点 9盗塁(20二塁打 1三塁打 38得点 23四球 敬遠1 出塁率2割9分5厘 長打率3割9分9厘) - 1970年(広島カープ)
112安打 打率2割4分3厘 22本塁打 56打点 21盗塁(8二塁打 4三塁打 67得点 41四球 敬遠1 出塁率3割1分6厘 長打率4割2分1厘) - 1971年(広島カープ)
108安打 打率2割5分1厘 10本塁打 52打点 25盗塁(19二塁打 0三塁打 42得点 39四球 敬遠1 出塁率3割1分9厘 長打率3割6分4厘) - 1972年(広島カープ)
125安打 打率2割5分8厘 25本塁打 66打点 18盗塁(27二塁打 0三塁打 73得点 52四球 敬遠1 出塁率3割3分3厘 長打率4割6分8厘)で、(最多二塁打) - 1973年(広島カープ)
121安打 打率2割6分9厘 19本塁打 46打点 10盗塁(24二塁打 1三塁打 68得点 59四球 敬遠1 出塁率3割5分6厘 長打率4割5分4厘) - 1974年(広島カープ)
131安打 打率2割7分5厘 28本塁打 74打点 18盗塁(23二塁打 2三塁打 74得点 41四球 敬遠5 出塁率3割3分7厘 長打率5割8厘) - 1975年(広島カープ)
144安打 打率3割1分9厘 30本塁打 84打点 24盗塁(21二塁打 0三塁打 86得点 67四球 敬遠6 出塁率4割6厘 長打率5割6分5厘)で、首位打者(最多得点) - 1976年(広島カープ)
136安打 打率2割9分3厘 23本塁打 62打点 14盗塁(26二塁打 3三塁打 79得点 62四球 敬遠2 出塁率3割8分 長打率5割1分1厘) - 1977年(広島カープ)
138安打 打率3割8厘 44本塁打 113打点 22盗塁(24二塁打 4三塁打 102得点 94四球 敬遠6 出塁率4割2分8厘 長打率6割7分4厘) - 1978年(広島カープ)
153安打 打率3割2分3厘 44本塁打 112打点 12盗塁(28二塁打 0三塁打 114得点 84四球 敬遠9 出塁率4割2分5厘 長打率6割6分2厘)で、本塁打王(最多得点・最高長打率) - 1979年(広島カープ)
137安打 打率2割9分3厘 42本塁打 113打点 15盗塁(20二塁打 0三塁打 90得点 81四球 敬遠10 出塁率3割9分6厘 長打率6割6厘)で、打点王(最多敬遠) - 1980年(広島カープ)
148安打 打率3割3分6厘 44本塁打 112打点 14盗塁(28二塁打 3三塁打 91得点 87四球 敬遠11 出塁率4割4分5厘 長打率7割1分4厘)で、本塁打王・打点王(最多得点・最多四球・最高出塁率・最高長打率) - 1981年(広島カープ)
156安打 打率3割3分 43本塁打 103打点 5盗塁(21二塁打0三塁打 102得点 73四球 敬遠7 出塁率4割2分 長打率6割4分7厘)で、本塁打王・打点王(最多得点・最高長打率) - 1982年(広島カープ)
137安打 打率3割6厘 30本塁打 90打点 8盗塁(21二塁打 0三塁打 84得点 87四球 敬遠9 出塁率4割1分5厘 長打率5割5分4厘)で、(最多四球) - 1983年(広島カープ)
146安打 打率3割1分6厘 36本塁打 101打点 5盗塁(19二塁打 2三塁打 86得点 85四球 敬遠11 出塁率4割1分9厘 長打率6割)で、本塁打王(最多四球・最高出塁率) - 1984年(広島カープ)
128安打 打率2割9分3厘 33本塁打 94打点 5盗塁(15二塁打 0三塁打 64得点 64四球 敬遠2 出塁率3割8分2厘 長打率5割5分4厘) - 1985年(広島カープ)
110安打 打率2割8分8厘 24本塁打 79打点 2盗塁(15二塁打 1三塁打 57得点 71四球 敬遠5 出塁率3割9分6厘 長打率5割2分1厘) - 1986年(広島カープ)
121安打 打率2割7分6厘 27本塁打 78打点 4盗塁(13二塁打 0三塁打 48得点 58四球 敬遠6 出塁率3割6分7厘 長打率4割9分)
と、現役生活18年2284試合で(広島カープ)、通算2339安打 打率2割9分 536本塁打 1475打点 231盗塁(372二塁打 21三塁打 1365得点 1168四球 敬遠94 出塁率3割8分1厘 長打率5割4分2厘と、凄まじい成績を残しています。
山本浩二さんの現役時代の打撃成績
山本浩二はホームラン王4回、首位打者1回、打点王3回、最多出塁数3回とタイトル多数
そんな山本さんは、
- 首位打者1回(1975年)
- 本塁打王4回(1978年、1980年、1981年、1983年)※セ・リーグ右打者記録
- 打点王3回(1979年-1981年)
- 最多出塁数3回(1979年、1980年、1983年)
と、多数のタイトルを獲得しています。
山本浩二は通算500本塁打・200盗塁、通算外野手刺殺4637、通算外野手補殺154ほか記録多数
また、山本さんは、そのほかにも、
- シーズン40本塁打以上5回(1977年-1981年)※歴代3位タイ
- シーズン30本塁打以上9回(1975年、1977年-1984年)※歴代3位タイ
- シーズン100打点以上6回(1977年-1981年、1983年)※歴代3位
- 5年連続シーズン40本塁打以上(1977年-1981年)※歴代2位
- 8年連続シーズン30本塁打以上(1977年-1984年)※歴代3位
- 13年連続シーズン20本塁打以上(1974年-1986年)※歴代3位タイ
- 5年連続シーズン100打点以上(1977年-1981年)※歴代3位タイ
- 17年連続シーズン100安打以上(1970年-1986年)※歴代4位タイ
- サイクルヒット1983年4月30日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)※史上36人目
- 9打数連続安打(1972年7月6日-7月8日)
- 302守備機会連続無失策(1975年4月5日-9月24日)※外野手としてのセ・リーグ記録
- 872試合連続出場(1976年10月22日-1983年8月28日)※歴代11位
- 入団の年から引退の年まで規定打席到達(1969年-1986年)
- 通算500本塁打・200盗塁達成(1985年7月26日)※史上2人目
- 通算満塁本塁打11本(1972年、1974年、1977年、1978年、1980年、1981年、1982年、1983年、1984年)※歴代9位タイ
- 通算長打率.5416(1969年-1986年)※歴代10位
- 通算外野手刺殺4637 ※歴代2位、セ・リーグ記録
- 通算外野手補殺154 ※歴代2位、セ・リーグ記録
- 通算外野手守備機会4830 ※歴代2位、セ・リーグ記録
- 同一球場で1000安打(広島市民球場)
- オールスターゲーム出場14回(1973年-1986年)
- オールスターゲーム通算打率.316 ※100打数以上では歴代3位
- オールスターゲーム通算本塁打14本 ※歴代1位
- オールスターゲーム通算打点27 ※歴代3位タイ
と、凄まじい記録の数々を残しています。
山本浩二さんの現役時代の守備成績
山本浩二は野球殿堂、ベストナイン10回、ダイヤモンドクラブ賞10回、ほか表彰も多数
そんな山本さんは、
- 最優秀選手2回(1975年、1980年)
- ベストナイン10回(1975年、1977年-1984年、1986年)※外野手として10度受賞は歴代2位タイ、セ・リーグ最多。外野手として8年連続は歴代2位タイ(他に秋山幸二、松井秀喜)で、松井と並ぶセ・リーグ最長
- ダイヤモンドグラブ賞10回(1972年-1981年)※外野手としての通算10回受賞・10年連続受賞は共にセ・リーグ記録、10年連続は歴代2位タイ(他に秋山幸二、菊池涼介)1972年は高田繁、柴田勲と共に外野手部門でのセ・リーグ史上初の受賞
- 野球殿堂競技者表彰(2008年)
- 日本シリーズ敢闘賞1回(1975年)
- 日本シリーズ優秀選手賞1回(1984年)
- 月間MVP5回(1975年8月、1978年8月、1980年6月、1983年4月、1986年4月)
- オールスターゲームMVP2回 (1975年 第1戦、1979年 第3戦)
- 報知プロスポーツ大賞1回(1987年)
- 広島県民栄誉賞(1987年)
と、賞も数多く受賞しています。
山本浩二の推定年俸推移
そんな山本さんの推定年俸推移は、
1969年 180万円
1971年 不明
1972年 不明
1973年 不明
1974年 不明
1975年 不明
1976年 不明
1977年 2000万円
1978年 3200万円
1979年 3700万円
1980年 4000万円
1981年 5200万円
1982年 6500万円
1983年 6500万円
1984年 7500万円
1985年 8500万円
1986年 8500万円
と、言われているのですが、この凄まじい成績にしては、少な過ぎるように感じます。
山本浩二の背番号
ちなみに、山本さんの背番号は、
- 27(1969~1970年)
- 8(1971~1986年)
と、変遷しているのですが、
「8」は永久欠番となっています。
ただ、広島カープファンの間では、「27」に深い思い入れがある人が多いようです。
というのも、山本さんと共に「YK砲」と呼ばれ、広島カープの黄金期を築いた衣笠祥雄さんは、1965年に広島カープに入団して以来、10年間、背番号「28」を使用しており、
わずか2年ですが、山本さんの背番号「27」と、衣笠さんの背番号「28」が並んだ時期があり、たまたまとはいえ、背番号が並んでいる2人が広島カープの黄金時代を築いたことで、今なお、広島カープのファンの間では、この「27」と「28」に深い思い入れがある人が多くいるのだそうです。
(山本さんは、1969年に広島カープ入団当初は「27」をつけていたのですが、山内一弘さんが1970年に引退した後は、山内さんの背番号「8」を譲り受け、現役引退まで使用しています)
「山本浩二は兼任監督の就任要請を受けるも断っていた!」に続く