「行った」と思った打球がフェンス前で失速するようになるほか、持病の腰痛の悪化でフル出場ができなくなったことから、4番としての仕事が出来ないと、1986年限りで現役を引退した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、その後、解説者や評論家の活動を経て、1988年秋、広島カープの監督に就任しているのですが、実は、現役を引退する1年前の1985年オフにも、古葉竹識監督が勇退することを受け、「兼任監督」を打診されていたといいます。
「山本浩二の現役(プロ野球選手)時代の成績が凄すぎる!年俸推移は?」からの続き
山本浩二は現役引退後は解説者として活動していた
1986年10月27日、広島市民球場で行われた西武ライオンズとの日本シリーズ第8戦を最後に現役を引退した山本さんは、その後、1987と1988年の2年間は、NHKで解説者として活動するほか、日刊スポーツ野球評論家としても活動しています。
(山本さんは、解説者として12球団のキャンプ巡りをした際、初めてネット裏から野球を見たそうですが、とても新鮮だったそうで、ボールに向かってチームが一つになっているか、次に起こることを想定して動いているかなどを公平な目で各チームをチェックしたそうで、とても勉強になったそうです)
山本浩二は広島から選手兼任監督の就任要請を受けるも断っていた
そんな中、1988年秋、広島球団から監督の就任要請をされたそうですが、山本さんは、監督をするつもりで準備をしていたそうで、即、引き受けたそうです。
ちなみに、引退する1年前の1985年オフにも、古葉竹識監督が勇退することを受け、「兼任監督」を打診されていたそうで、
古葉竹識さんからも、
浩二、監督やれ。プレイングマネージャー(選手兼任監督)でもいいから。いきなり監督でもいい。ヘッドコーチをつければいい
と、言われていたそうですが、
その時は、現役にこだわり、丁重に断っていたそうで、今回は断る理由がなく、引き受けたのだそうです。
山本浩二は監督就任後、巨人の元監督・藤田元司にアドバイスを求めていた
そんな山本さんは、広島カープ監督の就任が決まった直後、NHKの会合で藤田元司さんと会った際、監督として何が必要かアドバイスを求めたそうで、
藤田さんには、
毎日ミーティングすることだよ。選手ともスタッフとも
と、コミュニケーションの重要性を教えてもらったのだそうです。
(藤田さんは1981年から3年間巨人の監督を務めると、いきなり、1年目にリーグ優勝&日本一、2年目は2位、3年目は再びリーグ優勝しています。ちなみに、藤田さんも、この少し後、1989年から巨人の監督に復帰しているのですが、この時はそんな気配は全くなかったのだそうです)
山本浩二は監督就任後、ヘッドコーチに元同僚の大下剛史を招聘していた
さておき、広島カープの監督に就任した山本さんは、かつての同僚の大下剛史さんにヘッドコーチをお願いしたといいます。
というのも、大下さんは、山本さんと野球観が一緒で、厳しさを持ち、妥協しない人だったことから、監督になる日が来たら、ヘッドはこの人と以前から決めていたのだそうです。
(大下さんは、1975年に日本ハムから広島に移籍し、切り込み隊長として1番打者でチームを引っ張り、広島初優勝に貢献すると、1978年に現役引退後は、4年間広島のコーチを務め、1984年からは評論家として活動していました)
ちなみに、山本さんは、投手コーチは、1975年初優勝時のエース・池谷公二郎さん、打撃コーチは、同じく主力打者として活躍した水谷実雄さんを招聘しています。
「山本浩二の広島監督1年目は開幕ダッシュも巨人が強過ぎて2位だった!」に続く
広島カープ監督就任会見時の山本さん。