1969年、ドラフト1位で広島カープに入団すると、7年目の1975年には首位打者、1978年には本塁打王(ここから6シーズンで4度の本塁打王)、1979~1981年には3年連続打点王に輝くほか、1991年には監督としても広島カープをリーグ優勝に導いた、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな山本さんの奥さんとの馴れ初めなどをご紹介します。

結婚披露宴での山本浩二と妻

「山本浩二はWBC準決勝敗退の責任を全て背負い込んでいた!」からの続き

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山本浩二の妻・鏡子との馴れ初めは?

山本さんは、広島カープ入団2年目の1970年12月17日、住友信託銀行に勤めていた1歳年下の長谷部鏡子さんと結婚しているのですが、大学3年生の秋、法政大学野球部の同期生・吉田京司さんの紹介で、吉田さんの従兄弟の鏡子さんと知り合ったそうで、

大学4年生の時には、鏡子さんは土日の試合はほぼ全て観に来てくれ、いつも、山本さんの守備位置であるライトの芝生席にいたそうですが、お客さんがほとんどいなかったことから、特に三塁ベンチの時はマウンドの向こうに鏡子さんだけが目立っていたそうで、ナインたちから「誰や?」とよく冷やかされたそうです。

そんな中、山本さんは、「両親に会ってくれ」と鏡子さんにプロポーズし、広島入団1年目のオフに両親に会ってもらうと、入団2年目の年に結婚したのだそうです。

(新婚旅行はグアムへ行ったそうです)

山本浩二は新婚時代ほぼ毎日、妻・鏡子にピンポン球大のスポンジを投げてもらいバットスイングしていた

そして、新婚時代、山本さんは、試合後、家に帰って食事を済ませた後、ピンポン球くらいの大きさに切ったスポンジを、1975年に優勝するまで、ほぼ毎日のように鏡子さんに投げてもらっていたそうで、

山本さんは、

その後も調子が悪くなると投げてもらった。怖かったろうが、よくやってくれた。

と、語っています。

(最初は山本さん一人でバットスイングをしていたそうですが、何か動く目標が欲しいと思い、鏡子さんに新聞紙を丸めて投げてもらうようになったそうで、その後、当たると痛いため、途中でピンポン球くらいの大きさに切ったスポンジに変えたのだそうです)

山本浩二の妻・鏡子は交通事故に巻き込まれ55針縫う大ケガを負っていた

しかし、1971年12月、オフのイベントで広島県賀茂郡西条町(現在の東広島市)のボウリング場へ向かう途中、安芸郡瀬野川町(現在の広島市安芸区)の国道2号、上りの右カーブに差しかかった際、対向車線の11トントラックがオーバーランして2台前の乗用車に正面衝突し、そのまま、前の車と山本さんが運転する車(マツダ・カペラ)にぶつかったそうで、

車を運転していた山本さんは無傷だったのですが、助手席に乗っていた鏡子さんはフロントガラスに突っ込んでしまったそうで、救急病院に運ばれ、55針も縫う重傷を負ってしまったのだそうです。

しかも、その時、鏡子さんは妊娠5ヶ月だったため、麻酔が使えず、麻酔なしでの施術だったといいます。

(鏡子さんは、翌年の1972年4月には、無事、初めての子供(男の子)を出産しています)

ちなみに、その後、転院した東洋工業病院の先生には、「感謝しなさい。救急ながら物凄く丁寧に縫っている」と言われたそうで、それほど見事な施術だったため、ほとんど傷跡も残っていないそうです。

山本浩二は父の経営する会社が倒産するも妻・鏡子のやり繰りで乗り越えることができていた

また、この事故と前後して、山本さんのお父さんが経営する上下水道管工事の会社が倒産しまい、土地も手放さなければならなくなったそうで、

(土地は、山本さんが広島カープに入団した時もらった契約金をお父さんに渡して買ったものだったそうです)

無一文になり、プロ野球選手でありながら、月末に5000円しかないこともあったそうですが、鏡子さんのやり繰りで何とか乗り越えることができたのだそうです。

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山本浩二は妻・鏡子の提案でスランプから脱出することができていた

そして、山本さんが、1979年にスランプに陥り、1ヶ月で体重が6キロも減ってげっそりと痩せてしまった際には、鏡子さんがその姿を見かねて「外へ食事に連れて行ってよ」と言ってくれたそうで、

(鏡子さんはこれまで外食しようと言ったことは一度もなかったそうです)

正直、山本さんは気乗りせず、しぶしぶ出かけたそうですが、翌日の試合では久しぶりに2安打を記録し、このことがきっかけで、気分的に楽になり、その後はヒットを量産し、本塁打も増えていったそうで、

山本さんは、

偶然かもしれないが、ヒットが出たことで気分が変わった。今考えてみると、あれがスランプ脱出に一番効果があったかもしれない

と、語っています。

(広島の中心打者だった山本さんは、街を歩けば知らない者はいない有名人だったことから、落ち着いて食事ができず、それまでは、滅多に外食をしなかったそうですが、鏡子さんは、それを知ったうえで、子供たちを連れて外に出れば、少しでも頭から野球が離れるのではと考えたそうで、以降、山本家では、試合のない日は外で食事をすることが多くなったのだそうです)

「山本浩二の子供は?息子がせんだみつおの娘と結婚していた!」に続く

結婚披露宴での山本浩二と妻
結婚披露宴での山本浩二さんと妻の鏡子さん。

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