二枚目俳優として活躍した岡田眞澄さんを父親に持ち、恵まれた環境で幸せな少年時代を過ごしていたと思われた、岡田眞善(おかだ しんぜん)さんですが、

2014年、バラエティ番組「爆報!THE フライデー あのイケメン&美女の今を大追跡2時間SP」(5月23日放送)に出演すると、仲良しセレブ家族像はすべて嘘だったと暴露しています。

岡田眞善

「岡田眞善が若い頃はレナウンに入社しヨット日本代表でW杯準優勝していた!」からの続き

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岡田眞善が父・岡田眞澄のもとセレブで華やかな生活をしていたのは嘘だったと暴露

岡田眞善さんのお父さんの岡田眞澄さんは、1972年、同じ「劇団欅(けやき)」に所属していた、藤田みどりさん(岡田眞善さんの母親)と結婚すると、3人の男の子に恵まれ、1983年には、良き父親の代名詞であるベストファーザー賞を受賞するほか、週刊誌の家族特集には決まって登場し、テレビでは裕福な家庭生活が取り上げられるなど、セレブで華やかなイメージを世間に与えていました。

しかし、岡田眞善さんは、そんなセレブなイメージは、俳優としてのイメージを守るための真っ赤な嘘で、全てが作られた絵空事だったと暴露しています。

岡田眞善ら家族は父・岡田眞澄のイメージを守るためセレブな家族を演じさせられていた

岡田眞澄さんは、映画で華々しくデビューを飾ると、スマートな二枚目俳優として、たちまち脚光を浴び、トントン拍子でスターへの階段を登っていたのですが、

実は、次第に映画産業が下火になると、舞台に活動の場を移したことで収入が激減し、家計は火の車となっていたのだそうです。

それでも岡田眞澄さんは、映画時代に得た収入で都内の一等地に建てた豪邸に住み、マスコミには、俳優としてのイメージを守るため、真善さんたち家族に、マスコミの前ではセレブな家族を演じさせ、まるで海外ドラマに出てくるような華やかな生活を披露していたのだそうです。

例えば、実際には、

  • 日々の食事はご飯、味噌汁、お新香、ほうれん草のおひたしといった質素なもの
  • 人前で家族写真を撮る時の衣装はすべてブランド物をレンタルしていた(実際には服を買う余裕がなかったため3兄弟でお古を着回していた)
  • 小学校で工作の時に使う糊(のり)を買ってもらえなかったため、ご飯粒を糊代わりにしていた
  • パーティーや式典に呼ばれた際には、運転手付きの高級車ハイヤーで会場入りしていたが、実は、自分の中古の軽自動車で会場の50メートル手前まで行き、近くの駐車場に停めて、レンタルしたハイヤーに乗り換え、たった50メートルの距離をハイヤーで会場入りしていた

といったものだったといいます。

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岡田眞善は大学生の時、アルバイトを掛け持ちして家計を支えていた

しかし、1988年には、父・岡田眞澄さんは、「とんねるずのみなさんのおかげです」の「仮面ノリダー」のコーナーで「ファンファン大佐」役を務め、再ブレイク。

岡田眞澄さんは、バラエティ番組に引っ張りだことなるなど仕事が激増し、それに伴い、収入面も大きくアップすると、同時に注目度も上がり、ベストドレッサー賞、ジュエリーベストドレッサー賞など次々と賞を受賞し、芸能人としてのステータスも上がったそうですが・・・

岡田眞澄さんは、上がりに上がったイメージを守るため、今度は、宝石や洋服に莫大な投資をするようになったほか、夜な夜なパーティーを主催し、家には滅多に帰って来なくなったうえ、家にはほとんど生活費を入れてくれなかったそうで、岡田眞善さんら家族は貧乏暮らしを強いられたのだそうです。

そして、大学生だった岡田眞善さんは、家計を支えるためアルバイトを掛け持ちしなければならなかったそうですが(月に19~23万円ほど稼いでいたそうです)、

お父さんを軽蔑しながらも、外では不満を一切もらさず、俳優・岡田眞澄の息子として良き親子を演じ続けていたのだそうです。

「岡田眞善は父・岡田眞澄の裏切りを許せず絶縁状態となっていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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