1967年、プロテストに合格すると、以降、国内69勝、賞金女王11回、海外3勝と活躍し、日本女子ゴルフ界の草分け的な存在となった、樋口久子(ひぐち ひさこ)さん。

今回は、そんな樋口久子さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

樋口久子

「樋口久子の生い立ちは?中学は陸上選手!高校からゴルフを始めていた!」からの続き

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樋口久子は22歳でプロテストに合格

樋口久子さんは、初めて女子プロテストが開催された1967年、22歳の時、プロテストを受けて合格しているのですが、18ホールを73で回り、参加者26名のうちトップで合格したそうです。

(今のように特に決まったルールもなかったそうで、83叩いた人もいたそうですが、全員合格したそうです)

樋口久子は23歳の時「日本女子プロゴルフ選手権大会」と「日本女子オープンゴルフ選手権競技」で優勝

そんな樋口久子さんは、翌年の1968年、23歳の時には、女子プロゴルフの2大メジャー大会「日本女子プロゴルフ選手権大会」と「TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権競技)」で優勝すると、

「日本女子プロゴルフ選手権大会」は、以降、7年連続を含む9勝、「TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権競技)」も4年連続を含む8勝を挙げる活躍で、日本女子プロゴルフの先駆者としての地位を築いたのでした。

1968年の樋口久子
1968年、23歳頃の樋口久子さん。

ちなみに、樋口久子さんは、

初年度には女子プロ選手権とTBS女子オープンの2大会しかありませんでしたが、幸い2大会とも優勝しました。当時はプロが少なくてアマチュアの人のほうが上手いのです。

そのころはプロが40人くらいで、アマチュアが50人くらい出ていました。アマチュア選手の方が多かったです。

と、語っています。

樋口久子は23歳から計11回賞金女王に輝いていた

また、樋口久子さんは、1968年、23歳の時から、1976年まで9年連続賞金女王に輝くと、

樋口久子
1971年、「日本女子オープン」優勝時の樋口久子さん。

1977年には、「女性版・鉄人」と呼ばれた大迫たつ子さんに阻止されるも、1978年、1979年と2年連続で再び賞金女王の座に返り咲き、計11回の賞金女王に輝いています。

1977年「日本女子オープン」優勝時の樋口久子
1977年、「日本女子オープン」優勝時の樋口久子さん。

樋口久子は29歳で「豪州女子オープン」で海外初優勝

そして、1970年、25歳の時には、アメリカ女子ツアーに参加すると、1974年、29歳の時には、オーストラリアでの「豪州女子オープン」で海外初優勝に輝いています。

樋口久子は31歳の時には「全米女子プロ選手権」で日本人初のメジャー優勝

さらに、1976年、31歳の時には、「コルゲート欧州女子オープン」で、日本人選手として初のアメリカ女子ツアー制覇を果たすと、

1977年、32歳の時には、「全米女子プロゴルフ選手権」で優勝し、日本人選手として初のメジャー制覇の快挙を遂げています。

(その後は、2019年に渋野日向子さんが42年ぶりに「全米女子プロ選手権」で優勝を果たすまで、日本人では誰もメジャーでの優勝を成し遂げていません)

「全米女子プロゴルフ選手権」で優勝した樋口久子
「全米女子プロゴルフ選手権」で優勝した樋口久子さん。

ちなみに、「全米女子プロ選手権」は、1977年6月9日~12日、サウスカロライナ州ノースマートルビーチで行われ、樋口久子さんは、パット・ブラッドレーさん、ジュディー・ランキンさんと通算6アンダーで並び、首位タイで最終日を迎えると、

前半、4バーディ、1ボギーとしたパット・ブラッドレーさんに対し、樋口久子さんは2バーディで、1打差とされるも、

後半、パット・ブラッドレーさんが10番から3連続ボギーを叩いたのに対し、樋口久子さんも10、12番でボギーとしたものの、13番から3連続バーディを奪って3打差をつけて突き放し、最終的に2位に3打差の通算9アンダーで優勝したのでした。

そんな樋口久子さんは、「全米女子プロゴルフ選手権」で日本人選手として初のメジャー制覇をしたことについて、

やっぱり何年経っても、メジャータイトルを取っていると言われますからね。スポンサー・トーナメントだと、スポンサーの都合で辞めてしまうこともあります。

しかし全米女子プロ選手権は協会が存続する限り未来永劫、続くわけです。そういう重みがありますね。それがメジャーチャンピオンということで、自分の意識も変わりました

と、語っています。

樋口久子は32歳の時には「日本女子プロ東西対抗」「シンコークラシック」「JUNON女子オープン」で優勝

その後、樋口久子さんは、翌1978年、32歳の時には、アメリカツアーに一区切りつけ、日本でのトーナメントに力を入れるようになると、

「日本女子プロ東西対抗」「シンコークラシック」「JUNON女子オープン」で優勝を果たしています。

樋口久子は42歳まで毎年1勝以上するも優勝は44歳が最後

そして、その後も、1987年、42歳での「ヤマハカップレディスオープン」優勝まで、毎年1回以上優勝すると、1988年、1989年は優勝なしも、1990年、44歳の時には、「anクイーンズ」「廣済堂アサヒゴルフカップ」で優勝した樋口久子さんですが、

さすがによる年波には勝てず、その後は、優勝することが出来ませんでした。

樋口久子

樋口久子は52歳で競技の第一線から引退

その後、樋口久子さんは、1996年には、「日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)」の会長に就任すると、1997年、52歳の時には、会長職に専任するため、競技の第一線から引退。

以降、女子プロゴルフ界の発展に尽力すると、2011年1月末、65歳の時、定年により「日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)」の会長を退任し、相談役に就任。

2018年、73歳の時には、「日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)」の特別顧問に就任しています。

樋口久子

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樋口久子は58歳の時に世界ゴルフ殿堂入り

そんな樋口久子さんは、2003年、58歳の時には、選手時代の実績が認められ、日本人として初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。

予定に続く

世界ゴルフ殿堂入りを果たした樋口久子

お読みいただきありがとうございました

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