1986年、19歳の時にプロデビューすると、以降、Jリーグ年間最優秀選手賞1回、得点王1回、ベストイレブン2回、アジア年間最優秀選手賞を受賞するほか、フットサル日本代表としてフットサルワールドカップにも出場した、キングカズこと三浦知良(みうら かずよし)さんは、
3歳の時にサッカーで遊び始めると、小学、中学時代にはプロのサッカー選手を目指して本気でサッカーの練習に励み、高校中退後の15歳の時には、本場ブラジルに単身サッカー留学をするのですが、なかなか芽が出ず、下積み生活を送りました。
今回は、そんな三浦知良さんが、サッカー選手になった経緯について、生い立ち(幼少期からブラジルでの下積み時代まで)と共にご紹介します。
三浦知良のプロフィール
三浦知良さんは、1967年2月26日生まれ、
静岡県静岡市葵区の出身、
身長177センチ、
体重72キロ、
血液型はA型、
学歴は、
春日保育園
⇒静岡市立城内小学校
⇒静岡市立城内中学校
⇒静岡学園高等学校卒業
趣味は、マフィア研究、カフェ、
ちなみに、三浦知良は本名ですが、「知良(かずよし)」という珍しい読み方は、父方の祖父によって名付けられたそうです。
また、愛称の「カズ」「キング・カズ」ですが、「キング」という愛称が定着し始めたのは、2004年、ヴィッセル神戸に在籍していた頃あたりからだったそうで、横浜FCに移籍した後、NHKが三浦知良さんのことを「キング・カズ」と紹介したのを聞き、自分自身の中でも「キング」というニックネームを自然に受け止められるようになったそうです。
三浦知良は3歳の時に遊びでサッカーを始め、小学1年生の時に城内FCに入団していた
三浦良和さんは、元サッカー選手で日本初のサッカーショップを開店したお父さんの納谷宣雄さんとお母さんの由子さんのもと、3人きょうだい(兄1人、妹1人)の次男として誕生すると、幼い頃は小さくて体が弱かったそうですが、
3歳の時からお兄さんとサッカーボールで遊び始めると、小学1年生の時には、お父さんの弟(叔父)の納谷義郎さんが監督を務める城内FC(サッカー少年団)に入団し、本格的にサッカーを始めたそうです。
三浦知良は小学生の時から兄で元サッカー選手の三浦泰年を尊敬している
ちなみに、三浦知良さんのお兄さんは、元サッカー選手の三浦泰年さんで、小学生の時には、すでに全国的に注目されていたことから、三浦知良さんは、小学~中学時代はお兄さんを目標にサッカーの練習に励んでいたそうで、大人になった現在も、尊敬する人はお兄さんなのだそうです。
(三浦知良さんは、小学6年生から中学1年生にかけて、サッカー部を辞めて卓球部に行こうとした時期があったそうですが、思いとどまったのは、お兄さんがサッカーを続けていたからだそうです)
三浦知良が小学4年生の時に両親が離婚していた
そんな中、三浦知良さんが小学校4年の時、両親が離婚すると、三浦知良さんはお母さんと暮らすようになったそうで、以降、お母さんの姓である三浦姓を名乗るようになったそうです。
(それまでは「納谷」を名乗っていたそうです)
三浦知良は小学6年生の時は「あの子とだけは遊ぶな」と言われるような子供だった
三浦知良さんは、小学生時代は悪いことばかりしていた、いわゆる「悪ガキ」だったそうで、小学6年生の時には、「あの子とだけは遊ぶな」と言われるような子供だったそうです。
当然、成績も悪く、体育以外は全部1と2ばかりだったそうです。
三浦知良は中学2年生の時にサッカー選手になりたいと思っていた
ただ、中学2、3年生の頃には、サッカーをまじめに練習するようになり、県選抜などには入れなかったものの、公園にゴミ箱を置いてドリブルの練習をし、ドリブルだけは誰にも負けないと思っていたそうで、この頃辺りから、漠然と、
将来はサッカーでメシが食えるようになりたいな
と、思うようになったそうです。
また、中学3年生の時には、進路希望の第一志望の覧に「ブラジル」と書いて提出し、先生に怒られるなど、すでに、プロのサッカー選手を夢見て、本場ブラジルへ行くことを考えていたのだそうです。
(三浦知良さんは、幼い頃から、お父さんの弟(叔父)の納谷義郎さんがブラジル的なサッカーを教えてくれたことや、もう一人のお父さんの弟からもブラジルのサッカーの凄さを聞かされていたことから、ブラジルへ行くことは当然のことのように思っていたそうです)
三浦知良は高校中退後の15歳の時には本場ブラジルに単身サッカー留学していた
そんな三浦知良さんは、1982年4月、15歳の時には、いったん、私立静岡学園高校に進学するも、8ヶ月で中退すると、同年12月、単身、ブラジルに渡航。
ブラジルのプロチーム「CAジュベントス」に所属するのですが・・・
1年目は全く使ってもらえなかったそうです。
ちなみに、三浦知良さんは、サッカー王国のブラジルでプロになるのは99%無理だと周りから言われていたそうですが、
サッカー選手になれなかったらそば屋の出前でも何でもするから
と、お母さんに頼み込んで、ブラジル留学を許してもらい、
帰りの旅費は自分で稼ぐという条件で行きの旅費を出してもらったのだそうです。
三浦知良は15~18歳のブラジル留学時代にはブラジル人チームメイトから嫌がらせを受けていた
しかし、ブラジルでは(15歳~18歳)、チームメイトに、スパイクを隠される、食事を奪われる、などの嫌がらせを受けたほか、チェーンと南京錠でガードしていたにもかかわらず、ロッカーを壊されて私物を盗まれたことがあったそうで、
サッカーうんぬんよりも、ブラジルでの生活がとても辛かったそうです。
三浦知良は18歳の時には夢を諦めて日本に帰国しようとするも現地の貧しい少年たちを見て思い留まっていた
そんな三浦知良さんは、1985年、18歳の時、サッカー選手として、なかなか芽が出なかったことから、夢を諦め、日本に帰国することを考えたそうですが・・・
ふと立ち寄ったリオの公園では、現地の貧しい少年達がサッカーをしていて、少年たちの中には裸足の子や片足のない子もおり、ボールも古く汚いものを使っていたそうですが、みんな楽しそうにボールを追っていたそうで、
その様子を見て、三浦知良さんは、
自分には両足も、スパイクも、いいボールもある。何を俺は贅沢なことを言っているんだ
と、思い留まったのだそうです。
三浦知良は19歳の時に名門サントスFCとプロ契約を交わしていた
こうして、日本への帰国を思い留まり、ブラジルでの下積みを継続することを決意した三浦知良さんは、1986年1月、18歳の時には、サンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ (U-21) に日本人として初出場を果たすと、
ユースレベルで結果を出したことがきっかけとなり、ブラジルに来て4年目の1986年2月、19歳の時には、ついに、サンパウロ州の名門クラブ「サントスFC」と自身初のプロ契約を交わしたのでした。
「【画像】三浦知良の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」に続く
日の丸をつけてW杯に出場することを目標に、1982年、15歳でブラジルにサッカー留学し、1985年、18歳の時には、日本人初となるブラジルでのプロ選手契約を勝ち取ると、強豪クラブでレギュラーの座を獲得する活躍をみせ、19 …