中学校で野球部に入部すると、長嶋茂雄さんのポジションであるサード(三塁手)になりたかったという、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、ポジションは最初はレフトで、やがてピッチャーに転向させられたといいます。

中学1年生の江川卓

「江川卓は小6の時に川幅80mの向こう岸に投げた石が届いていた!」からの続き

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中学の野球部ではレフトを守るも長嶋茂雄と同じサード(三塁手)志望だった

江川さんは、中学校に進学すると、迷わず野球部に入部したそうですが、最初に与えられたポジションは(足と肩を買われて)レフトだったそうです。

ただ、長嶋茂雄さんに憧れていたため、本当は、長嶋さんのポジションでホットコーナーと呼ばれるサード(三塁手)志望だったそうで、レフトを守りながらも、いつかはサードと思い続けていたそうです。

(当時の子供たちはみな、長嶋茂雄さんに憧れ、サード志望だったそうです)

中学1年生の秋からはピッチャーに転向させられていた

しかし、江川さんは、コントロールが良かったことから、中学1年生の秋からは、(控え)ピッチャーとしても練習させられるようになったそうで

(2年生のエースは球は速いながらコントロールが悪かったそうです。一方、江川さんは、まだ、速球派ではなく、投げ方もスリー・クウォーターで、コントロールだけが取り柄だったそうです)

ほどなく、近所の中学校との試合で、3対3で同点の6回、無死満塁というピンチで初登板すると、最初のバッターを三振、次のバッターをショートフライ、その次のバッターも三振に打ち取ったそうで、これ以上ない形でこの回の大ピンチを切り抜け、そのまま1点も取られず、試合は引き分けで終わったそうで、江川さんは、この一戦をきっかけに、レフトからピッチャーに転向させられたのだそうです。

(投手デビューにしてはハードルの高い場面を任された江川さんですが、試合で投げた経験がなかったことから、逆に怖さも感じず、まして、スピードに自信があるわけでもなかったため、どうしても三振を取ってやろうという意気込みもなく、ただ、キャッチャーの構えるミットをめがけて投げただけで、最初のバッターを三振に打ち取った時は、「アレッ!?」というほど、あっけなく、なぜ打たれなかったのか、自分でも不思議だったそうです)

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父親にはかねてからピッチャーをやることを勧められていた

実は、以前、テレビで野球中継を見ていたお父さんに、

あ、卓。見てみろ。一番テレビに映ってる選手は誰だ。お前の好きなサードじゃないだろう。ピッチャーだ。これからはピッチャー中心の野球になる。お前、ピッチャーをやれ

と、言われたことがあったそうで、

江川さんは、自身の希望や意思とはまったく関係なく、ピッチャーをやることになり、偶然にも、お父さんの言葉に従うことになったのだそうです。

「江川卓は中2でノーヒットノーランしチームを県大会優勝に導いていた!」
に続く

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