「与作」「まつり」「風雪ながれ旅」など数多くのヒット曲を持ち、日本人なら誰もが知っている、国民的人気演歌歌手の、北島三郎(きたじま さぶろう)さん。今回は、そんな北島さんの幼少期から高校時代についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
北島さんは、1936年10月4日生まれ、
北海道上磯郡知内村(現・知内町)のご出身、
身長161センチ、
血液型はO型、
学歴は、
知内村立知内小学校
⇒知内村立知内中学校
⇒北海道函館西高等学校中退
⇒東京声専音楽学校中退(1989年に昭和音楽芸術学院に改称⇒2007年閉校)
(高校時代は、ラグビー部に所属。朝練のため、朝4時に起きて片道3時間かけて汽車通学されていたそうです)
趣味は、
熱帯魚、絵画(水彩画、油絵、水墨画)、書道、麻雀、競馬、買い物、格闘技観戦、ゴルフ、ドライブ、だそうです。
本名は?芸名の由来は?
ちなみに、本名は「大野 穣(おおの みのる)」ですが、呼びやすさと親しみやすさから、芸名を「北海道(北の島)生まれの三郎」で「北島三郎」とされたそうです。
また、愛称はサブちゃんで、「原 譲二(はら じょうじ)」のペンネームで作詞・作曲活動も行われています。
父と祖父は漁師
北島さんは、ニシン漁を営むお父さんのもと、7人兄弟(5男2女)の長男として誕生するのですが、生活は苦しく、1歳年下の弟さんが生まれると、祖父母のもとに預けられたそうです。
ただ、知内村前浜の漁師の親分だったおじいちゃんは、子守唄として「江差追分」を歌ってくれるなど、幼い北島さんをとてもかわいがってくれたそうで、
そんなおじいちゃんの影響を受けてか、北島さんは、弟さんと一緒に、お祭りの演芸大会に出場しては、賞金や賞品をもらうなど、歌うことやお芝居が好きな子どもに育ちます。
また、夏には、海や川で泳いだり、森でカブトムシを取り、冬には、スキーを楽しむなど、豊かな自然の中、のびのびと育ったのでした。
貧困を極めた少年時代
しかし、北島さんが小学校3年生の時には、ニシン漁の斜陽化で生活は一気に困窮。
そのため、両親は漁業を辞めて農業に転業したそうで、北島さん一家は北海道の内陸部に引っ越ししたそうですが、
生活は楽じゃなかった。辛くて、早く逃げだしたかった。
と、後に語るほど、相変わらず、生活は苦しかったそうで、
そんな生活に心がすさんだのか、北島さんは高校に入るとグレてしまい、函館山の教会の横の芝生でケンカに明け暮れたそうで、ケンカは一度も負けたことがないほど強く、地元では有名な不良になったのでした。
のど自慢大会では鐘2つ
その一方で、歌には興味を持ち続け、学校をサボっては、岡晴夫さん、田端義夫さん、三浦洸一さん、三橋美智也さんのリサイタルに行っていたそうで、
高校の時には、「NHKのど自慢」の函館大会に出場すると、当時、大ヒット中だった「落葉しぐれ」を歌唱。
ただ、結果は、「カンカン」と残念ながら鐘2つで、がっかり。
それでも、司会の宮田輝さんから、
良い声して学生さんですか?お上手でしたのにねえ。
と、優しく声をかけてもらったことが、心にしみたそうで、
歌をやれば歌手の道があるかな
俺は今さら大学なんかじゃなくて、歌手で頑張っていけばやっていけるんじゃないか
と、思い、歌手を目指されたのでした。
ちなみに、後に北島さんは、
あの時、鐘3つで合格だったら、地道に努力することもなく、今の自分はなかったかもしれません
と、語っておられるのですが、
こんな経験から、後に「NHKのど自慢」にゲスト出演するようになると、素人出場者に対して、鐘の数が1つや2つでも、
上手かったよ。
今日の鐘は2つしか鳴らないように決めていたんだよ。
鐘が足りなかったな…
と、出場者をフォローする声をかけ、
合格の鐘が鳴った高校生の出場者には、
希望は大きく、夢は実現する。頑張った方がいいよ!
と、声をかけるようにされたそうです。
「北島三郎の若い頃の下積みが凄すぎる!流し7年にギター漫才も!」に続く