「サザエさん」のワカメちゃん、「ドラえもん」のしずかちゃんの声をはじめ、「昆虫物語 みなしごハッチ」のアーヤ、「さるとびエッちゃん」のエツ子、「タイガーマスク」の若月ルリ子などの声でおなじみの、野村道子(のむら みちこ)さん。
そんな野村道子さんは、プライベートでは、声優の内海賢二さんと結婚しています。
今回は、野村道子さんの夫・内海賢二さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供についてご紹介します。
「【画像】野村道子の若い頃はワカメとしずかちゃん!デビューからのキャラや経歴を時系列まとめ!」からの続き
野村道子の夫・内海賢二との馴れ初めは?
野村道子さんは、1973年、35歳の時に、声優の内海賢二さんと結婚しています。
野村道子さんと内海賢二さんは、1958年、「ヴァイキング」という洋画の吹き替えの現場で知り合ったそうですが、そのスタジオで、内海賢二さんは誰よりも賑やかだったそうで、野村道子さんの第一印象は「うるさい人だな」だったそうです(笑)
その後の2人の関係は不明ですが、野村道子さんと内海賢二さんは、1967年には、アニメ「マッハGoGoGo」で、一緒にレギュラーになったことがきっかけで、交際に発展したそうです。
ただ、当初、野村道子さんにとって内海賢二さんは、男友達のうちの一人で、結婚などは全く考えていなかったそうですが、内海賢二さんから熱烈なアプローチを受けたほか、
内海賢二さんの仕事に熱心に取り組む姿や、周りの人の気持を盛り上げるのが上手で、(結果を残すことだけにこだわらず)温かい雰囲気で現場を引っ張っていく姿に惹かれたことから、交際するようになったそうで、
野村道子さんは、内海賢二さんについて、
どんな現場でも常に120%、130%とやりきる姿勢で挑んでましたよ。ものすごい努力家で、普段から台本を開いて練習をしてたの。トイレにも持って入ってたぐらいでね。
洋画の吹き替えだったら、とちって他の人に迷惑をかけないようにって本番のつもりでの稽古を欠かさないようにしたりして。芝居に対して誰よりも努力している人だと思っていたの。まさに役者の鏡のような人でしたよね。
と、語っています。
(内海賢二さんは、「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛役、「北斗の拳」のラオウ役でおなじみです)
野村道子の夫・内海賢二は交際中も優しかった
そして、交際中も、内海賢二さんの優しさは変わらず、野村道子さんのほうが収録の時間が早い時は、朝に自宅まで迎えに来てくれたり、お弁当を買って来てくれたりしたそうです。
野村道子は結婚願望がなかったため、結婚したいと思うようになるまで9年かかっていた
ただ、当初、野村道子さんは、一人で生きていきたいと思っていたほか、仕事も楽しかったことから、(内海賢二さんがどうこうではなく)結婚すること自体、考えていなかったそうで、
子供を産みたいと思ったことで、結婚を意識するようになり 9年の交際期間を経て、結婚したのだそうです。
(アメリカ合衆国ハワイ州の白い教会で結婚式を挙げたそうです)
野村道子の夫・内海賢二は結婚後も優しかった
そんな野村道子さんは、結婚後も、引き続き、仕事をしていたことから、夫婦らしい時間は多くなかったそうですが、内海賢二さんは、相変わらず優しく、どんな時も温かい環境を作ってくれていたそうです。
そして、内海賢二さんがプロダクションを作ることになり、野村道子さんも、経営の手伝いをしようと思い、当時、所属していた「青二プロダクション」から、内海賢二さんの設立した「賢プロダクション」に移籍すると、
レギュラーだった「ドラえもん」と「サザエさん」が終わったら声優を辞めてプロダクション1本にしようと考えていたそうですが、
この2つが思ったよりも長く続いたことから、結局は、声優をやりながら、プロダクションの経営と子育てをすることとなり、大変な時期が何年も続くことになったそうです。
そんな中、野村道子さんは、声優を引退することも考えたそうですが、
内海賢二さんに、
引退したらまたやりたくなったときに戻ってこれなくなるから、休業ということにしたらどうか
と、提案されたそうで、
新しい仕事だけ入れないようしたことで、今までやってくることができたそうで、
野村道子さんは、
大変なことは変わらなかったけど、内海さんがそれ以上に協力してくれてね。ひとりで10人分ぐらいは稼いできてくれて、お金の心配はあまりしなくてよくなったの。
だから私も、内海さんのためになる努力ならなんでもしてあげたかった。目標は、声優として5本の指に入る人にすること。奥さんとしてはあまりよくしてあげられなかったから。パートナーとして、内海賢二を絶対のブランドにしたいと思ったの。
と、語っています。
野村道子の夫・内海賢二はガンのため75歳で他界
しかし、そんな内海賢二さんも2013年、ガンのため、75歳で他界。
野村道子さんは、内海賢二さんとの結婚生活について、
私はね、妻としてはあまり面倒をみてあげられなかったから。結婚してからずっとそう。お互いに仕事で忙しかったこともあるけど、私も彼も自分のことは自分でやろうという性格だったから。
彼が病気になってからも、「頑張りなさいよ」と言うことしかできなかったの。だから、もっと優しくしてあげればよかったのかなって思うところもあって。夫婦になってよかったって、あまり自信を持てないところもあったんですよ。
だけどね、(声優の)かないみかがお見舞いに来て、「内海さん、道子さんのこと愛してる?」と聞いてくれたことがあって。そうしたら内海さん、質問が終わらないうちに「愛してるよ」と大きな声で言ったの。それが一生の宝になったなと思って。
だから最期に耳元で、「賢ちゃん、いい人生だったね。私もおかげでいい人生だったよ」と言ったの。そうしたら彼ね、しっかりと頷いてくれたんですよ。
と、語っています。
野村道子の子供は一人息子の内海賢太郎
そんな野村道子さんと内海賢二さんの間には、1976年頃に男の子が1人誕生しています。
息子さんは、内海賢太郎さんといい、1998年より、「賢プロダクション」の経営に参加し、現在は、代表取締役を務めています。
野村道子さんは、出産後、お母さんに賢太郎さんを預けて働いていたそうですが、
(お母さんは助産師の資格を持っていたことから、安心して子供を任せられたそうです)
しばらくして、お母さんが亡くなると、それからは、仕事と子育ての両立が大変で、賢太郎さんが小学生の時には、夜に預かってくれるところが見つからず、スタジオに連れて行き、ロビーで待たせていたこともあったそうです。
ちなみに、お父さんである内海賢二さんは、賢太郎さんにもとても優しく、せっかく自分で歩くようになっても、心配ですぐに抱っこしたり、転んでもすぐに起こしてあげていたそうで、どちらかというと、野村道子さんがお父さん、内海賢二さんがお母さんのような感じだったといいます。
21歳頃から声優の仕事を始めると、以降、「マッハGoGoGo」(志村ミチ役)、「みつばちマーヤの冒険」(マーヤ役)、「さるとびエッちゃん」(エツ子役)などの声の出演をして人気を博し、1972年には、「サザエさん」の磯野ワ …