大山のぶ代は直腸ガン手術でドラえもん降板を決意していた!


原作者の藤子・F・不二雄さんからも、ドラえもんの声を認められ、以降、ドラえもんが生涯の仕事となった、大山のぶ代(おおやま のぶよ)さんですが、2001年、「直腸ガン」が見つかると、1979年から演じてきたドラえもんの降板を決意されたといいます。

「大山のぶ代はドラえもんのほかサザエさんのカツオの声優もしていた!」からの続き

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「ドラえもん」の声で国民的な人気者に

こうして、1979年4月から、テレビアニメ「ドラえもん」で、大山さんがドラえもんの声を演じると、「ドラえもん」はたちまち人気を博し、ついには、国民的アニメとして不動の地位を確立するまでになり、

大山さんも、1980年、映画作品「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」が公開される前後あたりからは、ほかのアニメ声優の仕事は断り、「ドラえもん」一本に絞られているのですが、

(NHKの幼児教育番組「おかあさんといっしょ」の雌犬・ブル子さん役だけ、例外的に引き受けられたそうです)


映画ドラえもん のび太の宇宙開拓史

大山さんは、後に、

ドラえもん』に関してはすごく入れ込んでしまっている私ですので、今でも一歩引いて語ることができないくらい思い入れのある作品です。私自身もドラえもん役を演じながら、ドラえもんにさまざまなことを教わりました。

感動的なエピソードになると、収録しながらつい涙ぐんじゃうこともありました。そういうときは涙がこぼれないように上を向いてこらえるんですが、気がつくとキャスト全員が上を向いて涙をこらえてたり……。

スタジオではみんなマイクの前で横一列になって演じてますが、お互いの顔を見なくても対話が成り立っているからこそ、感動のシーンでは涙も出てくるんですね。

そのうちに、この人達の前でなら泣こうが何しようが平気という気分になって、みんなで涙も鼻水も流しっぱなしにして収録してました。

と、語っており、

少女時代、お母さんに言われた通り、コンプレックスだった自分の声を隠さずに出し続けたことで、いつしか、温かい仲間と一緒に作り上げたこの「ドラえもん」は、大山さんにとって特別な作品となっていたのでした。

直腸ガンが発覚

しかし、2001年の春、大山さんに「直腸ガン」が見つかります。

大山さんは、まだ、「人間ドック」という言葉すらなかった、結婚3年目の1966年から、

病院は病気になって行くところでなく、これからは予防が大事

と、ご主人(タレントの砂川啓介さん)と、年に1回、人間ドック的な大規模な検査を受け、60歳を過ぎてからは、年に2回受けられていたそうですが、

やがて、医学の進歩に伴い、新しい検査が次々と登場し、「大腸内視鏡検査」は大腸のポリープやガンを発見できると聞いていたものの、お尻から器具を入れることや、検査の事前準備として、水や下剤を飲むことに抵抗を感じ、しばらく避けており、

ご主人から、「来年は受けなさい」と言われ、ようやく大腸の検査を受けられると、

医師から、

気になるものがある

と言われたそうで、

内視鏡で組織の一部を取ったところ、それが悪性だったことが判明したのでした。

「ドラえもん」からのアドバイスで手術を決意していた

こうして、大山さんは、入院し、手術を受けることになったのですが、高校2年生の時、まだ42歳だったお母さんが「子宮ガン」で亡くなっていることから、

いつか私もガンになる

と、ずっと思っていたそうで、

でも私は60歳を超えられた。20年もおまけしてもらい、ありがたい。そう思いましたね。

との思いもあり、周囲には、心配をかけまいと明るく振る舞っていたそうですが、

やはり、一人になると、

麻酔から目覚めるかしら、などと不安になってしまって

と、涙がこぼれたそうです。

そんな時、大山さんは、自然と、

ねえ、あなただったらどうする

と、1979年からテレビアニメで演じてきた、ドラえもんに尋ねると、

切れば

と、ドラえもんがささやいてくれたそうで、

(ドラえもんは2112年生まれのため)私たちが知らない未来のことも知っているあの子が言うなら間違いない。悪いところは切ってしまおうと決心しました。

と、ドラえもんのぬいぐるみやクッションを持って入院されたのだそうです。

すると、幸い、早期発見だったため、腹腔鏡(ふくくうきょう)手術(=内視鏡手術…お腹に開けた3ヶ所の穴から、切除器具やカメラを入れて行う手術)で済んだそうで、手術後も痛みはなく、傷跡もほとんど目立たずに、無事、退院することができたのでした。

闘病中はドラえもん一筋だった

ところで、大山さんは、ガンで入院している間も、ガンのことは、ご主人以外には事務所にしか知らせていなかったそうで、入院中は、

子供たちに夢をどうしても与えたい

と、ドラえもんのアフレコの仕事のみ継続し、ほかの仕事は一切断っていたそうですが、

ドラえもんの録音は、ほかのキャストが収録したフィルムがたまった段階で、体調と相談しながら、病院からスタジオに駆けつけ、行われていたそうです。

(アフレコに必要な機材を病院に持ち込み、スタッフに見守られながら、病室で収録されたという話もあるようです)

闘病中にドラえもんの降板を決意していた

そんな日々の中、大山さんは、

私にもしもの事があれば、大切なドラえもんに傷がついてしまう。今が引き際かな、と決意しました。

と、ドラえもんの降板を考えるようになったそうで、3人の関係者に病室に来てもらい、相談することに。

ただ、3人は、ずっとおもしろいことばかりを話していて、大山さんは、結局、本題を切り出せなかったため、降板とはならず、ドラえもんを続けることとなったのだそうです。

(後に、大山さんは、病室に呼んだ3人のスタッフが、大山さんの気持ちを事前に察し、打ち合わせをしていたと知ったそうで、その心遣いに涙が止まらなかったそうです)

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主要キャスト5人と共にドラえもんを卒業

ただ、「直腸ガン」が発覚した2001年から3年後の2004年には、大山さんはじめ、主要キャストの5人が、2005年3月で降板し、若手と世代交代することが、ニュースで報じられ、

大山さんは、

テレビ放送から25年が過ぎ、ちょうど良い交代の時期。遠い未来までずっとずっとみんなに愛される『ドラえもん』であってほしい。

のび太役の小原乃梨子さんは、

5人の平均年齢は60代後半。後輩にきれいにバトンタッチしましょう、とみんなで決めました

と、降板理由を明かすと、

2005年3月、大山さんは、その予告通り、26年間共演してきた、のび太役の小原乃梨子さん、しずか役の野村道子さん、ジャイアン役のたてかべ和也さん、スネ夫役の肝付兼太さんとともに、「ドラえもん」「卒業」されたのでした。

「大山のぶ代は心筋梗塞と脳梗塞も発症していた!」に続く

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