2008年には、「心筋梗塞」「脳梗塞」を併発し、一時は状態が危ぶまれるも、2009年には、「徹子の部屋」に出演された際、順調に回復していることを明かされていた、大山のぶ代(おおやま のぶよ)さんですが、事態はどんどん深刻になっていきます。

「大山のぶ代は心筋梗塞と脳梗塞も発症していた!」からの続き

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病状は悪化していた

自身が校長を務める「音響芸術専門学校」の校長室で、授業準備中、突然、胸に痛みを訴え、緊急搬送されると、「心筋梗塞」「脳梗塞」を併発していることが判明するも、懸命なリハビリを行い、専門学校の授業に復帰できるまでに回復された大山さんでしたが、

「音響芸術専門学校」の現在の学校長・見上陽一郎氏によると、大山さんは、2010年頃、再び悪化の兆候を見せ始めたため、校長を退いて名誉会長となり、1~2ヶ月に一度の特別講義のみ担当するようになったほか、負担の少ない授業(学生の発表会の立ち会いなど)にのみ従事されていたそうで、

(そのため、学校長補佐を務められていた見上氏が校長を引き継いだそうです)

その後、さらに症状は悪化し、2013年を最後に、特別講義や負担の少ない授業からも退かれると、テレビ・ラジオなどへの出演も出来なくなってしまったのだそうです。

ちなみに、見上氏は、2015年5月、フェイスブックで、

私自身もマネージャーの助言に従って、大山先生とはここ1年以上お会いしておりませんし、連絡もとっておりません。よって、ご主人のラジオ番組や記者会見によって、大山先生の現状を知ったところでございます。

数年間近くでお仕えした立場としてここで皆様に知っていただきたいのは、大山先生が現役声優時代に、全世界の子供達のヒーローである「ドラえもん」のイメージを守り育てるために、24時間全身全霊を傾けて「ドラえもん」で居続けようとしていたこと、当校での教育に強烈とも言える情熱を持って当たっていらっしゃった、ということです。

特に、病から復帰されてからは、おそらくご自分に対するもどかしさを感じながらだったのでしょう、「陽一郎さん、私、頑張りますから!」「私ね、子供たちのために一所懸命やります!」と何度も仰っていました。

復帰後の授業は、大山先生本人がもどかしく感じただけでなく、大山先生からの厳しい指導を心待ちにしていた当時の在校生の期待に応えられたか、というと不十分な部分もあったかもしれませんが、大山先生の薫陶を受けた方々には是非、大山先生のあの情熱、生き様に触れられたことの素晴らしさを大切にしていただけたらと願っています。

と、綴っておられます。

夫・砂川啓介が大山のぶ代のアルツハイマー型認知症を公表

しかも、2015年5月には、ご主人の砂川啓介さんが、ラジオ番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」で、大山さんが「アルツハイマー型認知症」で闘病中であることを公表されています。

砂川さんは、2008年に大山さんが「脳梗塞」を発症してから7年間、介護を続けておられたそうで、同年10月には、その介護について書き続けた十数冊にも及ぶノートをもとに綴った著書「娘になった妻、のぶ代へ」も出版されているのですが、


娘になった妻、のぶ代へ

著書によると、2008年、大山さんは「脳梗塞」から一命を取り留めたものの、会話や記憶には障害が残ったそうで、

リハビリによって、一時は回復の兆しを見せるも、鍋に火をかけたまま放置したり、食べ物を書類棚にしまうなどの行動をするようになったほか、

おしゃべりで明るい性格だったのが、感情の起伏が激しくなり、外出先で知らない人に突然怒りだすことがあったのだそうです。

それでも、大山さんの調子が良い時は普通に会話ができたことから、

砂川さんは、

(脳梗塞の)後遺症だからいつか良くなる

と、思い込み、大山さんが「認知症」を発症していることには気が付かなかったそうで、その後、病状は悪化の一途をたどり、2012年には、「アルツハイマー型認知症」と診断されたというのです。

(砂川さんは、大山さんを在宅で世話するため、外出を控え、毎日、大山さんのために、「アルツハイマー型認知症」の改善に効果的だといわれている食材を使って食事を作られるなど、大山さんの介護中心の生活を送るようになったそうで、女性マネージャーや家政婦さんと協力して介護されていたのだそうです。)

認知症の公表は砂川啓介自身の胃ガンがきっかけ

そんな砂川さんは、大山さんが「アルツハイマー型認知症」と診断された後も、

ドラえもんの声で子どもたちに親しまれたイメージを壊したくなかった。ただ、カミさんの様子を聞かれる度に『ええ、まあ』などとごまかすのが苦しくて……

と、ずっと、公表できずにいたそうですが、

翌年の2013年に、砂川さん自身にも「胃ガン」が見つかり、摘出手術を受けられたことで、心身ともに追い詰められ、

2015年春、親友でタレントの毒蝮三太夫さんに相談されると、

このままじゃお前が先に逝っちまうぞ。そうしたらペコ(大山さん)はどうなる。公表した方が絶対、お前も楽になるから。

と、毒蝮さんに諭され、公表を決意されたそうです。

(毒蝮さんは、高齢者福祉に詳しく、すぐに砂川さんの状況を理解すると、さっそく自身が出演するラジオ番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」で公表する段取りをとりつけてくれたのだそうです。)

黒柳徹子と50年以上前に共演した「ブーフーウー」を覚えていた

また、当初、砂川さんは、

認知症で本人の意思が分からないのに、勝手に公表するなんて

と、批判が来ることを覚悟していたそうですが、

実際には、疎遠になっていた知人や友人から連絡がくるなど、届いたのは励ましの声ばかりだったほか、

大山さんが「ドラえもん」で共演された、のび太役の声優・小原乃梨子さんからは、砂川さんの好きな焼酎が届き、

僕の好物をなぜ知っていたのか。きっと、カミさんから聞いていたんでしょうね。

と、胸が熱くなったそうです。

さらに、NHKの「ブーフーウー」で共演して以来、50年以上も大山さんと親交がある黒柳徹子さんからは、夫婦で食事に誘ってくれたそうで、

大山さんは、黒柳さんと抱き合って再会を喜び、

一緒に『ブーフーウー』の声優やったこと覚えてる?

との黒柳さんの問いかけには、

覚えてるわよ

と、はっきり答えられたとのことでした。


「ブーフーウー」当時の大山さん(左端)と黒柳徹子さん(右端)。

病状は安定

ちなみに、所属事務所によると、大山さんは、人前に出る時は気が張っているせいか、しっかりしていて、声の仕事も続ける意思があるそうですが、反面、大山さん自身が病気のことを自覚しており、時々弱気な発言をすることもあるそうです。

それでも、

僕の気持ちに余裕が出て、声を荒らげたりしなくなった影響もあると思う。介護は絶対に1人で抱えてはいけない。身をもって知りました。

と、病気を公表したことで、砂川さんの気持ちが安定したためか、大山さんの症状も安定するようになったとのこと。

また、これからの生活について、砂川さんは、

将来のことは全く考えられない。僕もカミさんも明日どうなるか分からないんだから

カミさんのために、一日でも長く元気でいたい。僕も彼女に支えられているんです

と、変わらず、大山さんを支えていくことを明かされたのでした。

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ドラえもんだったことを忘れた?

ところで、砂川さんは、2015年5月15日、都内で会見を開いた際、大山さんが自宅で、テレビアニメ「ドラえもん」を観ていることを明かされているのですが、

大山さんが、かつて、「ドラえもん」の声優をしていたことを覚えているかどうかは分からない、と話されています。

ただ、大山さんが、台本を見ながら声優の仕事をされている時には、時々、自然と「ドラえもん」の声になってしまうことがあるようで、記憶があいまいになっても、やはり、「ドラえもん」は、大山さんの体にしっかり刻み込まれているようです。

「大山のぶ代は夫・砂川啓介のガン治療のため老人ホームに入所していた!」に続く

大山さんと夫の砂川啓介さん。

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