「ジャングル黒べえ」の黒べえ、「ドカベン」の殿馬、「銀河鉄道999」の車掌、「元祖天才バカボン」の本官さん、「ドラえもん」のスネ夫、「怪物くん」のドラキュラ、「それいけ!アンパンマン」のホラーマン、「忍者ハットリくん」のケムマキくんなど、独特のかすれた高めの声で、個性的な脇役を多く演じ、主人公を盛り上げた、肝付兼太(きもつき かねた)さん。
今回は、そんな肝付兼太さんの若い頃からのキャラや経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。
「肝付兼太の生い立ちは?幼少期は泣き虫!高校時代は自ら演劇部を設立していた!」からの続き
肝付兼太は20代の時に海外ドラマ「地方検事」の暴走族役で声優デビュー
肝付兼太さんは、20代前半の頃、NHKラジオ「婦人の時間」の「御用聞きが来たときにどんな態度で接したらいいのか」といったマナーを奥様方に伝えるコーナーの再現ドラマで、初めて声の仕事をしたそうですが、
当時は、収録ではなく、生放送だったため、「とちったらどうしよう」と、とても緊張したそうで、
肝付兼太さんは、その時のことについて、
セリフはほんの二言しかなかったんですが、あのときの緊張感といったら、いまだに忘れられません。
と、語っています。
(本当は、劇団の先輩が出演するはずだったそうですが、その先輩が風邪を引いてしまったため、肝付兼太さんに代役が回ってきたそうです)
当時の肝付兼太さん。
20代の時に日生劇場の舞台に出演していた
その後も、肝付兼太さんは、ラジオドラマの仕事をいくつか受けていたそうですが、所属していた劇団が解散してしまい、どうしようかと思っていたところ、日比谷にある日生劇場がこけら落としで役者のオーディションを行うという話を聞き、
友人の青野武さんと受けに行くと、無事、二人とも合格し、日生劇場の舞台に出演するようになったそうです。
20代の時に海外ドラマ「地方検事」で声優デビュー
そんな肝付兼太さんは、日生劇場の舞台に出演しながらも、「この先どうしよう」と考えながらブラブラする日々を過ごしていたそうですが、
そんな中、テレビ番組が放映されるようになると、テレビドラマのほか、洋画、海外ドラマもたくさん放映されるようになり、肝付兼太さんも海外作品の吹き替えの仕事をすることになったそうで、海外ドラマ「地方検事」の暴走族役で声優デビューを果たしたそうです。
ちなみに、肝付兼太さんは、本番前に何度もリハーサルをし、台本にもタイミングなどを綿密に書き込んで臨んだそうですが、緊張のあまりどこを演じているのか分からなくなってしまったそうで、シーンが変わったところでなんとか復帰することができたそうですが、
(そのため、全員が黙り込んでしまったそうで、約10分くらい無音の状態が続いたそうです)
放映が終わった後、プロデューサーに、
ご迷惑をおかけしました
と、謝罪に行っても、目も合わせてもらえなかったそうです。
肝付兼太さんとしても、
これで二度と仕事は来ないな
と、覚悟し、
こんなに緊張する仕事は、命が縮むから二度とやりたくない
と、思ったほどだったそうですが・・・
この頃は役者が少なかったせいか、それからも何本か生での吹き替えのオファーがあったそうで、
肝付兼太さんは、
失敗したら役者が恥を掻けばいい、恥を掻きたくなかったらリハーサルをしっかりやればいいんだと思い直して、現場に臨みました。
と、語っています。
肝付兼太が30代の時は「オバケのQ太郎」の西郷強、「ジャングル黒べえ」の黒べえ、「アルプスの少女ハイジ」のセバスチャン、「はじめ人間ギャートルズ」の父ちゃんほか
30歳の時にアニメ「オバケのQ太郎」の西郷強(ゴジラ)役で初のレギュラー出演
その後、肝付兼太さんは、国産テレビアニメの放映が始まると、「エイトマン」(1963年)、「0戦はやと」(1964年)、「ビッグX」(1964年)などに端役でアニメの声優として出演した後、
1965年、30歳の時には、「オバケのQ太郎」(TBS版)の西郷強(ゴジラ)役で初のレギュラー出演を果たしています。
「オバケのQ太郎」より。
ちなみに、ある日のこと、「オバケのQ太郎」の原作者の藤子不二雄さん2人(藤子不二雄Aさんと藤子・F・不二雄さん)がそろってスタジオに収録を見学に来たことがあったそうで、肝付兼太さんは、先生に気に入られなかったらどうしようと、かなり緊張していたそうですが、
(肝付兼太さんは、よく「スタジオの外だと面白いのに、スタジオに入るとまったく面白くない」と、マネージャーから嫌味を言われていたそうで、もしかしたら下ろされるかもしれないと不安だったそうです)
どうせ下ろされるのなら、思い切り演じてやろうと開き直り、本番ではアドリブをバンバン入れたところ、藤子不二雄さん2人は、にこにこ笑って見ており、このアドリブが気に入ってもらえたそうで、
それからというもの、藤子不二雄さんの作品がアニメ化される際には、必ずといっていいほど、呼ばれるようになったそうです。
38歳の時に「ジャングル黒べえ」で初の主役・黒べえ役
そんな肝付兼太さんは、その後も、数多くのアニメに主に脇役で出演すると、1973年、38歳の時には、「ジャングル黒べえ」で初の主人公となる黒べえの声を務めているのですが、
主役が少ない肝付兼太さんにとって、この黒べえ役は一番印象に残っているキャラクターなのだそうです。
(ただ、残念なことに、「ジャングル黒べえ」の「黒」というのがいけなかったようで、すぐに放送が終了してしまったそうです)
「ジャングル黒べえ」より。
39歳の時に「アルプスの少女ハイジ」のセバスチャン役、「はじめ人間ギャートルズ」の父ちゃん役
肝付兼太さんは、1974年、39歳の時には、アニメ「アルプスの少女ハイジ」でセバスチャン役、「はじめ人間ギャートルズ」で父ちゃん役の声も務めています。
「アルプスの少女ハイジ」より。ハイジとセバスチャン。
「はじめ人間ギャートルズ」より。ゴンと父ちゃん。
肝付兼太が40代の時は「ドラえもん」のスネ夫、「ドカベン」の殿馬、「バーバパパ」のバーバパパ、「銀河鉄道999」の車掌、「怪物くん」のドラキュラ、「忍者ハットリくん」のケムマキほか
40歳の時に「元祖天才バカボン」の本官さん役
肝付兼太さんは、1975年、40歳の時には、アニメ「元祖天才バカボン」で本官さんの声を務めています。
「元祖天才バカボン」の本官さん。
41歳の時に「ドカベン」の殿馬一人役
肝付兼太さんは、1976年には、アニメ「ドカベン」で殿馬一人の声を務めているのですが、殿馬の「づら」という話し方は、幼少期、山梨に疎開したときの方言を参考にしたそうです。
また、自身のツイッターのアカウントは、「@tonoma_zura_」です。
「ドカベン」の殿馬一人。
42歳の時に「バーバパパ」のバーバパパ役
肝付兼太さんは、1977年には、アニメ「バーバパパ」でバーバパパの声を務めているのですが、小原乃梨子さんと二人だけで演じ、バーバパパ役のほか、すべての男性キャラクターの声を担当したそうです。
そして、その時、初めて3人の子供の主題歌ができたそうですが、そこで、初めて肝付兼太さんが歌を歌い、レコードも発売されたそうで、肝付兼太さんは、おそらく自分が日本で初めて歌を歌った声優ではないかと語っています。
「バーバパパ」より。
(肝付兼太さんにとって、この「バーバパパ」は、「ジャングル黒べえ」とともに、特に印象に残っているキャラクターなのだそうです)
43歳の時に「銀河鉄道999」の車掌役
肝付兼太さんは、1978年、43歳の時には、アニメ「銀河鉄道999」で車掌の声を務めているのですが、原作者の松本零士さんから、車掌の正体を教えてもらえなかったそうで、これまで演じてきたキャラクターの中で最も難しかったそうです。
「銀河鉄道999」より。(左から)鉄郎、車掌、メーテル。
それでも、肝付兼太さんは、車掌を真面目で律儀なイメージで演じていたそうですが、最後に、正体が分かった時には、
最初から正体が空気だと分かっていたら、演じようがなかった(笑)
と、思ったことを、2009年11月、CSのアニメチャンネル「アニマックス」の「創ったヒト」に出演した時、語っています。
44歳の時に「ドラえもん」のスネ夫役
そして、肝付兼太さんは、1979年、44歳の時には、「ドラえもん」のスネ夫役に起用されているのですが、国民的アニメのメインキャラクターを演じたことで、一躍、声優として知名度をあげています。
「ドラえもん」より。
ちなみに、スネ夫がよく言う、「のび太のくせに生意気だ」というセリフは、肝付兼太さんのアドリブから生まれたものだそうです。
(肝付兼太さんは、これよりも前に、日本テレビ版の「ドラえもん」で、ジャイアン(剛田武)役を担当していたそうですが、ジャイアンを担当していたことについて、肝付兼太さん自身、あまり記憶には残っていないそうです)
45歳の時に「怪物くん」でドラキュラ役
そんな肝付兼太さんは、1980年、45歳の時には、アニメ「怪物くん」(テレビ朝日版)でドラキュラの声も務めています。
「怪物くん」より。
ちなみに、肝付兼太さんは、「怪物くん」で、「おれたちゃ怪物三人組」という曲を歌っているのですが、神山卓三さん(狼男役)、相模太郎さん(フランケンシュタイン役)の3人とも、音痴だったため、作曲した小林亜星さんがレコーディングの際、とても苦労していたとのことでした(笑)
46歳の時に「忍者ハットリくん」のケムマキ・ケムゾウ役
肝付兼太さんは、1981年、46歳の時には、「忍者ハットリくん」のケムマキ・ケムゾウの声を務めています。
「忍者ハットリくん」より。
肝付兼太が50代の時は「おそ松くん」のイヤミ、「それいけ!アンパンマン」のホラーマンほか
肝付兼太さんは、1987年、52歳の時には、「キテレツ大百科」の苅野勉三の声を務めています。
「キテレツ大百科」より。
53歳の時に「おそ松くん」のイヤミ役
肝付兼太さんは、1988年、53歳の時には、「おそ松くん」のイヤミの声を務めています。
「おそ松くん」より。
55歳の時に「それいけ!アンパンマン」のホラーマン役
肝付兼太さんは、1990年、55歳の時には、「それいけ!アンパンマン」のホラーマンの声を務めています。
「それいけ!アンパンマン」より。
肝付兼太は70代の時に様々な賞を受賞
そんな肝付兼太さんは、70代の時には、
- 2005年(70歳)「第14回日本映画批評家大賞」で田山力哉賞
- 2006年(71歳)「第11回アニメーション神戸」で特別賞
- 2007年(72歳)「東京国際アニメフェア2007」で第3回功労賞
- 2012年(77歳)「第六回声優アワード」で功労賞
と、様々な賞を受賞しています。
肝付兼太は80歳で死去
肝付兼太さんは、「ドラえもん」のスネ夫の声を、1979年から2005年3月(69歳)まで26年間務め、勇退しているのですが、
その後も、2016年、80歳まで、「それいけ!アンパンマン」のホラーマンの声を務めるなど、声優としての活動を続けるかたわら、「東京アニメーター学院」の声優科では講師も務めるなど、精力的に活動していました。
しかし、2016年5月頃に体調を崩し、都内の病院で肺炎と診断されると、その後は入退院を繰り返しながら、声優活動を続けるも、同年10月に体調が悪化し、10月20日、肺炎のため、80歳で他界されています。
(2010年に肺ガンが判明したそうですが、死因と関係があるかは不明です)
20代前半頃からラジオドラマで声優の仕事を始めると、以降、「オバケのQ太郎」(西郷強(ゴジラ)役)、「ジャングル黒べえ」(黒べえ役)、「ドカベン」(殿馬一人役)、「銀河鉄道999」(車掌役)、「ドラえもん」(骨川スネ夫役 …