1967年に、「The Tiger Makes Out」で映画デビューすると、以降、数多くの映画に出演し、50年以上も第一線で活躍し続けている、ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)さん。

そんなダスティン・ホフマンさんは、幼い頃はピアニストを目指していたそうで、高校卒業後は、ロサンゼルス音楽学校に入学するのですが、才能に限界を感じて挫折すると、音楽の道を諦め、興味を持っていた医学の道へ方向転換し、サンタモニカ州立大学に進学したといいます。

ただ、大学の成績は芳しくなく、医学の道も挫折すると、落第しないからという理由だけで選択した演劇科で、演技の勉強をするうち、演じることの面白さに目覚め、俳優を志すようになったといいます。

今回は、ダスティン・ホフマンさんの、生い立ち(幼少期から下積み時代まで)をご紹介します。

ダスティン・ホフマン

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ダスティン・ホフマンのプロフィール

ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)さんは、1937年8月3日生まれ、
アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスの出身、

身長167センチ、

学歴は、
ロサンゼルス高校
⇒ロサンゼルス音楽学校
⇒サンタモニカ州立大学卒業

(「サンタモニカ市立大学」との表記もありますが、英語では、どちらも「Santa Monica College」で、2年制の州立大学です)

好きな食べ物は、ニシンとウォッカ、

ちなみに、本名は、「ダスティン・リー・ホフマン(Dustin Lee Hoffman)」で、大の映画ファンだった両親が、無声映画時代のカウボーイ・スターだった「ダスティン・ファーム」さんから「ダスティン」と名付けたのだそうです。

また、お兄さんは、弁護士、経済学者で、アメリカ国防省の健康、教育、厚生部に所属していたこともある、ロナルド・ホフマンさんです。

ダスティン・ホフマンは6歳の時にピアノを習い始めピアニストを目指していた

ダスティン・ホフマンさんは、家具デザイナーのお父さん・ハーヴェイ・ホフマン(Harvey Hoffman)さんと、お母さん・リリアンさんのもと、ユダヤ人の家庭に、2人兄弟の次男として誕生すると、

6歳の時には、ピアノを習い始め、幼い頃からピアニストを目指していたそうです。

ダスティン・ホフマンは高校卒業後はピアニストを目指すも挫折し、医学の道に転向していた

そんなダスティン・ホフマンさんは、高校卒業後には、ピアニストを目指し、ロサンゼルス音楽学校に入学すると、当初、クラシックのピアニストを志望し、やがては、ジャズピアニストに転向したそうですが、

才能の限界を感じるようになり、興味を持つようになっていた医学の道に転向したそうです。

ダスティン・ホフマンは18歳の時にサンタモニカ州立大学に進学するも医学の道でも挫折していた

こうして、ダスティン・ホフマンさんは、医学の道に進むべく、ロサンゼルス音楽学校を中退すると、1955年、18歳の時には、サンタモニカ州立大学に進学するのですが・・・

ここでも、成績が悪く、医学でも挫折してしまったといいます。

ダスティン・ホフマンは21歳の時に俳優になる決意をしていた

そんなダスティン・ホフマンさんは、これからどうすればいいかと途方に暮れたそうですが、そんな中、

演劇科には落第者がいない

と、聞きつけ、それだけの理由で演劇科を選択すると、

翌年の1956年には、「パサデナ劇場」で演技を学び、1958年、21歳の時には、無事、単位を取得し、大学を卒業することができたのだそうです。

(ダスティン・ホフマンさんは、子供の頃から何も夢中になれるものがなかったそうですが、そんな中、演技だけは、夢中になったそうで、この時、俳優になる決意をしたのだそうです。

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ダスティン・ホフマンは20代前半の頃に俳優を目指してニューヨークに移り住むもなかなか芽が出なかった

その後、ダスティン・ホフマンさんは、ニューヨークに移り住み、「パサデナ劇場」で知り合ったジーン・ハックマンさんとロバート・デュバルさんの3人で共同生活をし、

コマーシャルの仕事や、時々、端役でテレビドラマに出演するなどしながら、演技の仕事を探したそうですが、なかなかうまくいかなかったといいます。

また、そんな中、リー・ストラスバーグさん主宰の演劇専門学校「アクターズ・スタジオ」で演技の勉強を始め、様々なアルバイトを掛け持ちしながら、チャンスをうかがっていたそうですが、一向に芽が出なかったといいます。

「【画像】ダスティン・ホフマンの若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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