漫才コンビ「ツービート」としてブレイクすると、その後は、俳優、映画監督として才能を発揮、現在では、すっかり、芸能界の重鎮になられている、ビートたけしさんですが、今回は、そんなたけしさんのルーツである、両親についてご紹介します。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?本名は?

たけしさんは、1947年1月18日生まれ、
東京都足立区島根のご出身、

身長168センチ、

血液型はO型、

学歴は、
足立区立梅島第一小学校
⇒足立区立第四中学校
⇒東京都立足立高等学校
⇒明治大学工学部(現理工学部)機械工学科除籍(のちに特別卒業認定)

(小・中・高といずれも野球部(高校は軟式野球部)に所属し、高校時代には、ヨネクラジムでボクシングも習われていたそうです。)

ちなみに、たけしさんの本名は、北野武ですが、「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いを込めて「武」と名付けられたそうです。(映画監督としては、本名の「北野武」を使用されています。)

愛称は、「たけちゃん」「たけし」「殿」「世界のキタノ」です。

兄弟は?姉も?

たけし(武)さんは、4人兄弟の末っ子で、上から、重一さん(長男)、勝さん(次男)、安子さん(長女)、大さん(三男)、武さん(四男)だそうです。

長男の重一さんは、たけしさんの18歳年上で、宇野製作所の取締役を務めておられましたが、2012年、83歳で、ガンのため他界、

次男の勝さんも、たけしさんが生まれる前に幼少期に他界されたそうです。

そのため、三男の大さんは次男として、四男のたけし(武)さんは三男として育てられたそうです。


幼少期のたけしさん(右)と兄・北野大さん(左)。

(三男の大さんは、タレントとしてもお馴染みの北野大さんですが、 秋草学園短期大学学長と明治大学名誉教授を務められており、受賞歴もある化学者なのだそうです。)

ちなみに、長女の安子さんは、結婚された後、中山安子さんとなられているそうです。


たけしさん(左)と中山安子さん(右)。

母親は?

さて、たけしさんのお話の前に、今では想像できない時代背景のため、たけしさんの両親のお話から。

たけしさんのお母さん・さきさんは、千葉県市原で農業を営む裕福な家庭に誕生するのですが、さきさんのお母さんはさきさんを生むとすぐに亡くなり、さらには、お兄さん2人とお姉さん1人も子どもの頃に相次いで亡くなってしまいます。

その後、さきさんは、お父さんとおじいさんに育てられるのですが、さきさんが尋常小学校を卒業する頃、お父さんも他界。

そのため、さきさんは、13歳にして、東京の高山というお屋敷に奉公に出ざるを得なくなります。

(さきさんは、戸籍上は明治37(1907)年生まれとなっているのですが、実は、父親である小宮岩吉さん(たけしさんの祖父)が出生届を役場に提出するのを数年忘れていたため、本当のところ、何年に誕生したのか分かっていないそうです。)

母親が女義太夫・北野うしに見初められる

ただ、裁縫一つまともにできなかったさきさんは、奉公先の高山家では、おもにトイレ掃除などの雑用を担当。

それでも、裁縫ができる方が待遇が良かったため、さきさんは、自分のおやつを差し出す代わりに、奉公頭に裁縫を習ったそうです。

そんなある日のこと、高山家の主人である高山市平さんが、娘たちに三味線を習わせるため、かつて「竹本八重子」という芸名で、娘義太夫(女義太夫)のスターだった、北野うしさんを自宅に招いたそうですが、

さきさんは、うしさんから、機転が利くところを気に入られ、「北野家の嫁にしたい」と、息子の北野徳次郎さんとの結婚話を持ちかけられたのでした。

(うしさんは、恋人だった海軍中尉との間に徳次郎さんを出産されるも、その海軍中尉には正妻がいたため、認知はしてもらえなかったそうです。たけしさんは、「おふくろの最初の夫は中尉」とおっしゃっていたことがあるのですが、それは、徳次郎さんと徳次郎さんのお父さんを混同していたようで、実際のところ徳次郎さんは、明治大学を卒業後、セメント会社に勤めるサラリーマンだったそうです)


さきさん(左)と北野うしさん(右)。

Sponsored Link

父親は?

こうして、さきさんは、徳次郎さんと1923年1月に結婚されるのですが・・・

なんと、徳次郎さんは、結婚して7ヶ月後の8月18日には、「盲腸炎」で急死してしまいます。

そこで、このままでは跡取りがいなくなってしまうと、うしさんが、徳次郎さんのいとこにあたる、正瑞菊次郎(しょうずい きくじろう)さんとの結婚をさきさんに勧め、1925年、さきさんは、菊次郎さんを婿養子に迎える形で再婚されたのでした。

(菊次郎さんは、お父さんが漆塗りの職人で、日本橋にもお店を出していたのですが、放蕩のあげく店をつぶし、その後急死したそうで、その後、菊次郎さんは、お母さんの再婚相手から疎まれ、そのまま奉公に出されてしまい、見よう見まねでお父さんと同じ漆塗り職人となったそうです)

ただ、菊次郎さんも、仕事の腕は良かったものの、お父さん譲りの放蕩で、酒癖が悪く、浪費家だったため、結婚してまもなく、さきさんの店をつぶしてしまいます。

そのため、菊次郎さんとさきさんは、長男(たけしさんの18歳年上の長兄・重一さん)をつれて、夜逃げ同然で逃げ出し、足立区に移り住まれたのでした。

「ビートたけしの生い立ちは?少年時代から成績優秀だった!」に続く

菊次郎とさき

Sponsored Link