1986年、テレビ番組「TIME21」の撮影でケニアを訪れた際、10日の間にライオンとヒョウに立て続けに襲われ、テレビ史に残る大事故の当事者となった、松島トモ子(まつしま ともこ)さん。

今回は、松島トモ子さんがライオンとヒョウに襲われた時のことについてご紹介します。

松島トモ子

「【画像】松島トモ子の若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」からの続き

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松島トモ子は「TIME21」の撮影でケニアのナイロビのコラ動物保護区を訪れていた

松島トモ子さんは、1986年1月28日、テレビ番組「TIME21」の撮影で、ケニアのナイロビのコラ動物保護区を訪れたそうですが、

それは、ノンフィクション作品「野生のエルザ」で知られるジョイ・アダムソンさんの夫のジョージ・アダムソンさんの日常を撮るという企画で、松島トモ子さんは、インタビュアーとして現地に行ったそうです。

松島トモ子
松島トモ子さんを襲ったライオン。

松島トモ子はあっという間にライオンに襲われていた

こうして現地に到着した松島トモ子さんは、ジョージ・アダムソンさんと会い、ジョージ・アダムソンさんが7頭のメスのライオンたち(ジョージ・アダムソンさんにより餌付けされた、エルザの子孫のライオンで、人に慣れていたそうです)にラクダの肉をあげているところを見ていたそうですが、

餌やりが終わり、ライオンたちが眠るのを「猫みたいな格好で寝るんだな」と眺めていると、何か後ろで音がし、振り向いたところ、スタスタスタとライオンが近づいてきて、あっと思った瞬間、頭を噛まれていたのだそうです。

(ジョージ・アダムソンさんが一瞬、目を離した瞬間だったそうです)

そして、かぶっていたヘルメットに爪か何かを引っ掛けられ、群れの真ん中まで10メートルほど引きずられると、ひっくり返った松島トモ子さんにライオンたちがじゃれつき、着ていたサファリスーツはズタズタに引き裂かれ、体中が傷だらけになったのだそうです。

松島トモ子はライオンに襲われた3日後には仕事を再開していた

その後、しばらくして、ようやく、松島トモ子さんは、ジョージ・アダムソンさんに助け出されたそうですが、

(ジョージ・アダムソンさんは耳が遠く、助けに行くのが遅れたといいます)

ケニヤの奥地だったことから病院などなく、一晩待つしかなかったそうで、朝日が昇ってからドクターヘリでナイロビの町の病院まで運ばれたそうですが、

10日間の入院予定を3日間で退院し、仕事を再開したそうで、

松島トモ子さんは、ロケが中止にならなかった理由について、

でもアフリカ大陸の奥地に行くとなると、移動に30時間以上もかかる上に、黄熱病やマラリアを予防するための薬やら注射やらが必要で、準備だけでも1か月かかるんです。

私はロケ初日にライオンに襲われたものですから、それで帰国するとなると、せっかくの特別番組の撮れ高が全くなくなるわけです。

友人たちには「だとしても帰国するでしょう。バカじゃないの」とは言われましたけどね。でも次はヒョウに噛まれると知っていたら、いくら私だって日本に帰っていましたよ。

だってそのとき、私はまだ1テイクも撮っていなかったんですもの。『私は何のためにケニアに来たの? ライオンにかまれに来ただけ?』と思ったし、今どきの表現ではないけれど、『このまま帰ったら女がすたる』というような気持ちで撮影を続けました。

たしかに出血などはひどかったけれど、命に関わるものではないと自分で判断したんです。まさかその後に “ヒョウの部” が待っているとは思ってもいなかったけれど(笑)

などと、語っています。

松島トモ子
ナイロビの病院で手当を受ける松島トモ子さん。

松島トモ子はヒョウに首を噛まれた時に骨が砕ける音が聞こえていた

こうして、病院で手当を受けた後、ロケに戻った松島トモ子さんは、今度は、別の動物保護区を訪れ、ジョージ・アダムソンさんの後継者的存在であるトニー・フィッツジョンさんと共に、この保護区で飼育されている雌ヒョウの「コムンユ」を見に、周りを高いフェンスで囲われた施設に行ったそうです。

そして、ライオンに襲われてから10日後の2月7日、トニー・フィッツジョンさんと、トニー・フィッツジョンさんのテントでテレビスタッフたちと一緒に夕食を食べていたそうですが・・・

気がついた時には、松島トモ子さんの目の前にヒョウがうずくまっており、視線が合ったそうで、

(テントの周りは高いフェンスで囲われていたそうですが、ヒョウは木に登り、フェンスの中に侵入したと思われます)

ヒョウの瞳孔がキュッと閉じるのが見え、

私を襲う気だ!

と、思った瞬間、

噛みつかれ、ガリガリっと骨が砕ける音がしたそうで、この時ばかりは、「死んだ!」と思ったのだそうです。

(本当に視界が真っ白になったそうです)

松島トモ子はヒョウに噛まれ第4頸椎粉砕骨折するもギプスと痛み止めを飲みインタビューを再開していた

その後、松島トモ子さんは、救助隊に救急ヘリを要求したそうですが、夜間の飛行は危険という理由で拒否されてしまったそうで、結局、朝まで止血しながら待つしかなく、朝になって救急ヘリが到着し、ようやく病院に運ばれたそうです。

そして、病院で手当を受けると、またしても、(ギプス姿で痛み止めの薬を飲みながら、死をも覚悟して)撮影現場に戻ったそうで、何とかインタビューを終えて、2月17日、満身創痍で帰国したのだそうです。

しかし、ナイロビの病院の見立てがいい加減なものだったため、改めて、日本の病院で診てもらうと、この時、初めて第4頸椎粉砕骨折と分かったそうで、

医師からは、

あと1ミリずれていたら、全身麻痺になるか、死んでいたかですよ

生きているのが奇跡

と、言われたのだそうです。

松島トモ子は絶対安静での入院中、引退となったらどうしようとばかり考えていた

そんな松島トモ子さんは、入院し、絶対安静となったそうですが、

病院で寝たきりになっている間、

私はこれからどう生きたらいいんだろう?

(4歳から子役になり、芸能の仕事しかしてこなかったため)もし引退となったらどうしよう

と、いうようなことばかり考えていたそうで、

いつ復帰できるのか、お医者さんにしつこく尋ねたそうですが、「生きて帰れただけで幸せなんだから」と言い聞かされたのだそうです。

松島トモ子
帰国後、絶対安静のため、病院のベッドに横たわる松島トモ子さん。

松島トモ子は永六輔に「ライオンの餌」と紹介されていた

それでも、松島トモ子さんは、奇跡的に、後遺症もなく復帰すると、ある時、永六輔さんの舞台にゲスト出演したそうですが、

その際、永六輔さんに、

今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!

と、紹介されたそうで、

ステージの袖にいた松島トモ子さんはギョッとして立ちすくんでしまったそうですが、お客さんがドッとウケたのを見て、(芸能界はウケたもの勝ちの世界のため)まぁいいか、と思ったそうで、

松島トモ子さん自身も、その後、この「ライオンの餌」というフレーズが気に入り、自身の公式ブログのタイトルにも使用したのだそうです。

松島トモ子

松島トモ子は現在も「ライオンのネタ」で仕事のオファー

とはいえ、松島トモ子さんがこの2つの事故を乗り越えるのには20年くらいかかったそうで、文章で事故を振り返ることはでききたものの、インタビューは一切NGで、

取材の依頼が来ても、

ご興味があるなら、これを読んでください

と、自分の本を渡して済ませるなどしていたそうで、

自分の口から事故を振り返って語ることができるようになったのは、随分、後になってからだったといいます。

ちなみに、現在も、ライオンのネタで仕事のオファーが来るそうで、松島トモ子さんは、

でも当時、日本中が大騒ぎになったんですってね。私自身はしばらく面会謝絶の寝たきり入院生活を送っていたので全く知りませんでしたが、主治医の先生は毎日マスコミ対応をしていたそうで、それだけ多くの方々がご興味を持っていたということですよね。

ビートたけしさんや明石家さんまさんもすぐにお笑いのネタにしたと聞きました。太田光さんや有吉弘行さんもずっとネタにしてくださいますし、いまだに時々思い出したように、こういうインタビューの企画も来ますから。

と、語っています。

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松島トモ子がライオンやヒョウに襲われた理由とは?

また、松島トモ子さんは、ライオンやヒョウに襲われた理由について、

私を噛んだヒョウはメスで、きっと自分に優しくしてくれるジョージのことが好きだったんでしょうね。トニーは現場で唯一の女性だった私のことを気にかけてくれていました。

ヒョウはその光景を見て、嫉妬したんじゃないかしら……?私はメスヒョウとの三角関係で起きた事故だと思っているんですが、それを言うとみんな笑うの(笑)。ライオンのときもメスだったしね。

私は何もしていないのにねぇ(笑)。のちにトニーの本を読んだら、「トモ子は何も悪くないが、ああいう事態になった原因があるとしたら、彼女の大きな目ではないか」と書いてありました。

体が小さいのもあって、向こうは子どもにイタズラするような感覚だったのかもしれませんね。

などと、語っています。

お読みいただきありがとうございました

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