俳優の勝新太郎さんと女優の中村玉緒さんを両親に持ち、1980年、テレビドラマ「警視-K」で女優デビューするも、その後は、中村玉緒さんのマネージャーや個人事務所の代表取締役を務めるなど裏方に徹するようになっていたという、奥村真粧美(おくむら まさみ)さんですが、
現在、病気のため歩行困難になっているほか、お母さんの中村玉緒さんと絶縁状態になっていることが報じられています。
今回は、そんな奥村真粧美さんの、簡単なプロフィール、若い頃から現在までの経歴、病気、中村玉緒さんとの絶縁理由についてまとめてみました。
奥村真粧美のプロフィール
奥村真粧美さんは、1962年12月28日生まれ、
東京都の出身、
ちなみに、奥村真粧美さんは、お父さんの勝新太郎さん譲りの、豪快でおしゃべり好きな性格で、お母さんの中村玉緒さんと話し始めると止まらず、そのせいで仕事に遅刻したこともあったそうで、
「スピードワゴン」の井戸田潤さんが、仲の良い明石家さんまさんに、
ちょっと、さんまさんからも言ってもらえませんか?
と、頼んだそうですが、
あの明石家さんまさんでさえも、
あかんねん。あの2人の前では、俺も黙る
と、言ったといいます。
また、某芸能関係者は、奥村真粧美さんについて、
お父さんに似たのでしょうね。Aさん(奥村真粧美さん)は勝さんのように豪放磊落で、ふくよかです。かつては女優として活動しており、勝さんの主演ドラマなどにも出演していましたが、ある時期から母・玉緒さんの付き人や個人事務所の社長として裏方に徹するようになりました。
玉緒さんと同じように、かなり話し好きなので、明石家さんまさんが“あの2人(玉緒とAさん)の前では俺も黙る”と言っていたというエピソードもあるほどです。
と、語っています。
奥村真粧美は10代の時に「警視-K」で女優デビューしていた
奥村真粧美さんは、1980年、17歳の時、お父さんの勝新太郎さんが監督・主演を務めた「警視-K」で女優デビューしているのですが、
このドラマには、お母さんの中村玉緒さんも出演しており、強力な両親のバックアップのもとデビューしたことが伺えます。
(このドラマには、緒形拳さん、原田芳雄さんなどがゲスト出演するなど、豪華な顔ぶれが大きな話題となったのですが、視聴率は振るいませんでした)
「警視-K」より。奥村真粧美さんとお父さんの勝新太郎さん。
奥村真粧美は20代の時に大麻密売で逮捕されて芸能界を引退し母・中村玉緒のマネージャーになっていた
20歳の時に大麻密売で逮捕されていた
ただ、奥村真粧美さんは、1982年、20歳の時には、弟の鴈龍(がんりゅう)さんと共に大麻密売で逮捕されており、
中村玉緒さんの知人は、
当時、会見を開いた玉緒さんは『罪は憎いが、子供は憎めない』と親心を吐露しましたが、のちに『子供たちに贅沢をさせて甘やかしすぎてしまった』と後悔の念を口にしています
と、語っています。
20代で芸能界を引退し母・中村玉緒のマネージャーになっていた
そんな奥村真粧美さんは、20代で芸能界を引退すると、以降、母・中村玉緒さんのマネージャーを務め、裏方に徹するようになったそうです。
奥村真粧美は30代の時に母・中村玉緒の個人事務所の代表取締役に就任していた
そして、2000年、37歳の時には、中村玉緒さんが設立した個人事務所の代表取締役に就任したそうです。
奥村真粧美は50代の時に病気で歩行困難となり中村玉緒の個人事務所の代表取締役を辞任していた
しかし、奥村真粧美さんは、2020年11月、57歳の時、病気のため歩行困難となると、中村玉緒さんが設立した個人事務所の代表取締役も辞任したそうで、
中村玉緒さんの古くからの知人は、
玉緒さんが個人事務所を設立したのは’00年。強烈な天然キャラクターにより、バラエティ番組の人気者になった後のことです。
長女・Aさん(奥村真粧美さん)は10年以上も社長を務め、玉緒さんを公私ともに支えてきました。しかし病気のために歩行も困難になり、社長を退任せざるをえなくなったのです。
と、証言しています。
また、「女性自身」は、
今年(2021年)5月、本誌はAさん(奥村真粧美さん)が自宅マンションから外出する姿を目撃した。
この日はエントランスからタクシーに乗り込むだけだったためか、車いすは使用していなかったが、足をひきずるようにしてゆっくりゆっくりと進む姿は、かなりつらそうだった。
靴を履くこともままならないのか、サンダルを履いていた……
と、報じているほか、
「女性自身」の取材に対し、中村玉緒さんの個人事務所の担当者は、
Aさん(奥村真粧美さん)が昨年秋に社長を退任したのは事実です。健康問題やコロナ禍の影響もありました。歩行が大変?そうですね……、しかし具体的な病名は申し上げられません
と、奥村真粧美さんが体調を崩していることを認めています。
奥村真粧美さん(左)。
奥村真粧美は現在(60代)、母・中村玉緒と絶縁状態
また、奥村真粧美さんと母の中村玉緒さんは、一時は、”一卵性双生母娘”と言われるほど仲が良く、2021年まで、東京都心の同じタワーマンションに、それぞれ、別の階で暮らしていたそうですが、
2022年には、中村玉緒さんが、奥村真粧美さんと離れて暮らすことを強く望み、周囲の反対を押し切って、部屋を引き払い、別のマンションで一人暮らしをしていること(事実上の絶縁状態)が報じられています。
かつては”一卵性双生母娘”と呼ばれるほど仲が良かったという中村玉緒さんと奥村真粧美さん。
奥村真粧美が母・中村玉緒と絶縁状態になった理由とは?
理由① 弟の鴈龍の孤独死
実は、2019年11月には、奥村真粧美さんの弟で俳優の鴈龍さんが、54歳という若さで急性心不全のため亡くなっているのですが、
某芸能関係者によると、
誰にも看取られることのない孤独死でした。名古屋の滞在先で一人でいるときに亡くなり、遺体が見つかるまでに数日間を要したといいます
とのことで、
母親である中村玉緒さんは、息子を失ったショックで、しばらく立ち直ることができなかったといいます。
(夫・勝新太郎さんが亡くなった時以上の大打撃だったと言われています)
そんな中、当初、奥村真粧美さんは、ショックで落ち込むお母さんの中村玉緒さんを支えながら、自身も弟を失った悲しみを乗り越えようとしていたそうですが、一方で、お互い責め立てて激しい口論になることもあったといいます。
というのも、弟の鴈龍さんは、亡くなる2年前の2017年、中村玉緒さんに勘当(絶縁)されて、経済的援助を打ち切られていたそうで、
奥村真粧美さんは、家族に頼らず、アルバイトで食いつなぐ弟を不憫(ふびん)に思い、幾度となく中村玉緒さんに援助の再開を申し出ていたそうですが、中村玉緒さんは聞く耳を持たなかったのだそうです。
(中村玉緒さんは、幼い頃から鴈龍さんを溺愛しており、役者の仕事にありつけず、くすぶっていた鴈龍さんのため、いつも関係者に頭を下げていたそうですが、自身の年齢のこともあり、「私が面倒を見ている限り、あの子は独り立ちできない」と周囲に語り、経済的援助を打ち切っていたのだそうです)
理由② 中村玉緒は奥村真粧美の再婚に反対だった?
また、母娘の仲に亀裂が入ったのは、奥村真粧美さんが再婚したことにも一因があると言われています。
実は、奥村真粧美さんは、若い頃に1度結婚するも1年あまりで離婚すると、その後、中村玉緒さんの麻雀仲間で元運転手のBさんと交際し、再婚していたそうですが、
Bさんは、勝新太郎さんの本名である奥村姓を名乗るようになっていたそうで(養子に入っていた可能性あり)、このことに、中村玉緒さんは複雑な思いを抱いていたと言われています。
奥村真粧美は夫婦で頻繁に母・中村玉緒のマンションを訪れるも会うことは叶っていない?
そんな中、2022年には、中村玉緒さんが、仕事以外の時は、一人で自宅に引きこもるほか、深夜に徘徊(はいかい)している姿が近所の人に目撃されており、
奥村真粧美さん夫婦は、そんな中村玉緒さんを心配し、頻繁に中村玉緒さんの自宅を訪れるも、会うことが叶わず、パチンコの軍資金やたばこ代として一万円札を数枚そっと置いて帰っていたといいます。
また、「女性セブン」の記者が、中村玉緒さんのマンションを訪れる奥村真粧美さん夫婦の姿が目撃した時の話では、奥村真粧美さんは、車から降りず、寂しげな表情で部屋を見上げたのみでその場を立ち去ったといいます。