「ウルトラセブン」のアンヌ隊員役で人気を博すと、以降、50年以上に渡り、アンヌ隊員として根強い人気を誇り、近年も、若い頃の美貌がたびたび話題となっている、ひし美ゆり子(ひしみ ゆりこ)さん。

今回は、そんなひし美ゆり子さんの、若い頃から現在までの出演作品や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

ひし美ゆり子

「ひし美ゆり子の生い立ちは?高2の時に友達の応募で東宝ニューフェイスに合格していた!」からの続き

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ひし美ゆり子は10代の時に「パンチ野郎」で映画デビュー

18歳の時に東宝に入社

1965年、高校2年生の終わり頃、コンテスト「ミス東京セニョリータ」で、見事、準優勝に輝いたひし美ゆり子さんは、高校3年生の時には、これをきっかけに「第6期オール東宝ニュータレント」(東宝ニューフェイスの後身)に選ばれ、東宝に入社すると、

「B1」所属となり、仕事がある時だけ出社すればお給料をもらえたそうですが、お給料は、8,000円と、高校生には破格だったそうで、実際のところ、これが魅力で、女優になれてもなれなくてもどちらでも良かったそうです。

(以前、お父さんが事業で失敗していたため、一家は裕福ではなく、ひし美ゆり子さんは、その時、東京大学に通っていたお兄さんの学費(月1,000円)を払ってあげたかったのだそうです)

19歳の時に「パンチ野郎」で映画デビュー

それでも、ひし美ゆり子さんは、高校3年生の終わり頃には、東宝の俳優養成所に通うようになり、1966年、19歳の時には、黒沢年雄さん主演の映画「パンチ野郎」で女優デビューを果たすと、

ひし美ゆり子
「パンチ野郎」

その後も、

  • 1966年「あこがれ」
  • 1966年「お嫁においで」
    「お嫁においで」出演時のひし美ゆり子
    「お嫁においで」より。手前がひし美ゆり子さん。左奥は沢井桂子さん。
  • 1966年「落語野郎 大馬鹿時代」
  • 1967年「若大将シリーズレッツゴー!若大将」

などに出演したのでした。

ひし美ゆり子は20代の時に特撮テレビドラマ「ウルトラセブン」の友里アンヌ隊員役でブレイク

20歳の時にテレビドラマ「天下の青年」で初の大役に抜擢されていた

そんなひし美ゆり子さんは、1967年、20歳の時には、テレビドラマ「天下の青年」で、主演の原田芳雄さんに憧れる下宿先の娘役という、準主役ともいえる重要な役に抜擢され、初めての大役に張り切って演じていたそうですが、

ドラマの視聴率は伸びず、当初の予定の半分の1クール(13話)で打ち切りとなってしまったのだそうです。

ひし美ゆり子
「天下の青年」より。(左から)沢井桂子さん、原田芳雄さん、ひし美ゆり子さん。

20歳の時に特撮テレビドラマ「ウルトラセブン」の友里アンヌ隊員役でブレイク

しかし、ひし美ゆり子さんは、同年(1967年)、20歳の時、「ウルトラセブン」で友里アンヌ隊員役を演じると、子供たちの間でたちまちブレイクを果たしたのでした。

ひし美ゆり子
「ウルトラセブン」より。

実は、ひし美ゆり子さんは、全力投球していた「天下の青年」が打ち切られ、ぽっかり心に穴が開いたような気持ちになっていた時、会社から呼び出しがあり、円谷プロに行くように言われ、円谷プロに行くと、すぐに、アンヌ隊員の制服を着てカメラテストを受けさせられ、あれよあれよと合格していたのだそうです。

というのも、もともと、アンヌ隊員は、東宝の先輩の豊浦美子さんという女優がやることになっていたそうですが、豊浦美子さんは他の映画出演が決まり、急に降板してしまったそうで、急遽、ひし美ゆり子さんに白羽の矢が立ったのだそうです。

(そのため、ウルトラセブンはすでに撮影が進んでおり、待ったなしの状況だっただそうです)

ちなみに、ひし美ゆり子さんは、著書「セブン セブン アンヌ再び・・・」に

今、運命の不思議を思わずにいられません。アンヌ役に決定していた女優さんが降りなければ、私が「アンヌ」と呼ばれることもなかったのです。

それより先に、レギュラー出演していた「天下の青年」がそこそこの数字(視聴率)を残して2クール続いていたら、私やダン(「天下の青年」で共演した)のその後の人生も変わっていたでしょう。

と、綴っています。

25歳の時に東宝を辞めてフリーになっていた

そんなひし美ゆり子さんは、

以降、

  • 1967年(20歳)「颱風とざくろ」
  • 1969年(22歳)「恋にめざめる頃」
  • 1970年(23歳)「若大将シリーズ」
  • 1971年(24歳)「走れ!コウタロー 喜劇・男だから泣くサ」
  • 1972年(25歳)「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」

などに、出演するのですが・・・

1972年、25歳の時には、東宝を辞めてフリーとなっています。

25歳の時にフリーとなり東映映画「不良番長 一網打尽」に出演

実は、ひし美ゆり子さんは、東宝を辞めた時点で、女優を辞めようと思っていたそうで、その際、個人的な記念のつもりでヌードを撮影したそうですが(発表する気はまったくなかったそうです)・・・

カメラマンにだまされ、「週刊プレイボーイ」に写真を売られてしまったそうで、ひし美ゆり子さんは、茫然自失となり、裁判を起こそうかとも考えたといいます。

ただ、ヌードが掲載されたことがきっかけで、たくさんの出演依頼が舞い込んできたそうで、素直に、一番最初に来た依頼「不良番長」の出演を引き受け、

1972年、25歳の時、東映の「不良番長」シリーズ、

  • 「不良番長 一網打尽 」
  • 「不良番長 骨までしゃぶれ」
    ひし美ゆり子
    「不良番長 骨までしゃぶれ」より。

に出演することになったのだそうです。

26歳の時にテレビドラマ「プレイガール」に出演

また、ひし美ゆり子さんは、1973年、26歳の時には、テレビドラマ「プレイガール」に出演しているのですが、それまで視聴率10%を切っていたのが、初めてひし美ゆり子さんが出演した回には、視聴率が17%にもなったそうで、

ひし美ゆり子さんは、「ウルトラセブン」のファンが覚えていてくれたのだと思い、嬉しかったそうです。

ひし美ゆり子
「プレイガール」より。

28歳の時には成人映画「好色元禄㊙物語」で映画初主演

そんなひし美ゆり子さんは、女優を続ける決心をすると、東映の成人映画にも出演するようになり、1975年、28歳の時には、映画「好色元禄㊙物語」で主演を務めているのですが、この映画での演技が評価され、「週刊ファイト第一回映画ファンのための映画まつり」で主演女優賞を獲得しています。

ちなみに、ひし美ゆり子さんは、成人映画だったため、最初は断ったそうですが、何度も台本を読むうち、初めての主演だったことから、やってみようと思ったのだそうです。

ひし美ゆり子の30代の時は「電撃戦隊チェンジマン」ほか

また、ひし美ゆり子さんは、1975年、28歳の時に、お見合い結婚をして芸能界を引退しているのですが、(はっきりした時期は不明ですが)その後、離婚すると、芸能界に復帰しています。

そして、1979年、32歳の時には、台湾料理店を経営する男性と再婚すると、結婚後は、女優業をセーブして、ご主人の店を手伝い、2人でお店を切り盛りしていたそうで、

そのため、

映画では、

  • 1979年(32歳)「黄金の犬」
  • 1980年(33歳)「海潮音」
  • 1983年(36歳)「四畳半色の濡衣」

テレビドラマでは、

  • 1977年(30歳)「銭形平次」 第567話
  • 1978年(31歳)「新幹線公安官 第2シリーズ」第6話
  • 1979年(32歳)「家路~ママ・ドント・クライ」
  • 1979年(32歳)「熱中時代 刑事編」 第13話
  • 1979年(32歳)「ザ・スーパーガール」 第17話
  • 1980年(33歳)「悪霊の住む家・危険な誘惑」
  • 1980年(33歳)「必殺仕事人」 第42話
  • 1980年(33歳)「特命刑事」 第5話
  • 1980年(33歳)「新五捕物帳」 第113話
  • 1981~1983年(34~36歳)「特捜最前線」第226話、第265話、第334話
    ひし美ゆり子
    「特捜最前線」第226話より。
  • 1985年(38歳)「探偵・神津恭介の殺人推理2/影なき女」
  • 1985年(38歳)「迷宮課刑事おみやさん 第1シリーズ」第1話
  • 1985年(38歳)「刑事物語’85」第19話
  • 1985年(38歳)「スーパー戦隊シリーズ 電撃戦隊チェンジマン」 第32話、第33話
    ひし美ゆり子
    「電撃戦隊チェンジマン」より。

と、単発でのゲスト出演が多くなっています。

ひし美ゆり子の40代~50代は2番目の夫と共に飲食店を経営していた

そんなひし美ゆり子さんは、女優業のかたわら、1987年、40歳の時には、(2番目の)夫と共に、台湾料理店「台北飯店」を調布市にオープンするほか、2005年、58歳の時には、エスニックレストラン「アジアンタイペイ」を、同じく調布市にオープンしています。

(ひし美ゆり子さんは、2010年頃まで、経理を担当していたそうです)

ただ、2番目の夫とも2016年に離婚すると、「アジアンタイペイ」も、2019年3月20日をもって閉店となっています。

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ひし美ゆり子の現在(70代)はエッセイ「改訂新版 アンヌとゆり子」を出版

近年、ひし美ゆり子さんは、女優業をセーブしつつも、ウルトラマン関連のイベントに出席するなど、精力的に活動を行っており、2024年6月10日には、喜寿(77歳)の誕生日を記念して、エッセイ「改訂新版 アンヌとゆり子」を出版しています。

これは、2000年に、出版されたエッセイ「アンヌとゆり子」を豪華新装版にリニューアル刊行したものなのですが、

ひし美ゆり子さんは、

日々に悪戦苦闘しながらもなんとか書き下ろした『アンヌとゆり子』は私にとってとても思い出深い一冊です。

それを私の77歳のお祝いにあわせて復刊しましょうというお話を頂き、四半世紀を振り返りながら、あらたな文章を加えまとめ直しています。

文章を書くことが本業ではない私が綴るこれまでとこれから。ぜひ皆さんにお手に取って頂ければ嬉しいです。

と、喜びのコメントを寄せています。

「爆笑問題の日曜サンデー」出演時のひし美ゆり子
「爆笑問題の日曜サンデー」より。(左から)江藤愛アナウンサー、太田光さん、ひし美ゆり子さん、田中裕二さん。

「ひし美ゆり子は2度の結婚と離婚!最初の夫は?再婚相手との馴れ初めは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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