1971年、南こうせつさんに誘われて「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)に加入すると、その後、「なごり雪」「22歳の別れ」など、現在も歌い継がれる名曲を作詞作曲した、伊勢正三(いせ しょうぞう)さん。
今回は、そんな伊勢正三さんの、若い頃(かぐや姫時代)の代表曲や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「伊勢正三の生い立ちは?高校では南こうせつに誘われるも高卒後は悶々としていた!」からの続き
伊勢正三は予備校時代に南こうせつに誘われて上京していた
高校では、南こうせつさん、釘宮誠司さんと共に、「ヤング・フォーク・スリー」というトリオを結成するも、高卒後は、予備校で悶々と寮生活を送っていたという伊勢正三さんですが、
そんな中、高校時代の先輩・南こうせつさんから、
かぐや姫のメンバーとして東京に来ないか?
と、連絡があったそうで、
伊勢正三さんは、驚きつつも、渡りに船とばかりに、親には大学進学を口実に上京したそうです。
(南こうせつさんは、その頃、「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)を解散し、「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)を結成するにあたり、新メンバーを探していたのでした)
伊勢正三は19歳で「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)に加入していた
すると、すぐに、「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)の活動はスタートし、、1971年9月25日、伊勢正三さんが19歳の時には、シングル「青春」をリリースしたのだそうです。
「青春」
ちなみに、伊勢正三さんが入ったばかりの頃の「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)は、「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)を継承したコミックバンドだったそうで、
リヤカーを引いて、ちり紙交換のプロモーションを賑々しくやるほか、ステージではメンバーの一人が扇子を持って踊ったりしていたそうで、伊勢正三さんは一番年下だったことからいじられ役だったそうです。
伊勢正三が21歳の時には「かぐや姫」の5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒット
その後、「かぐや姫」は、1973年9月20日(伊勢正三さん21歳)にリリースした5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒットを記録しているのですが、
実は、当初、(コミックソング的な)「もういいじゃないか」という曲をシングルとしてリリースしようと考えていたところ、南こうせつさんが深夜ラジオ番組で、「神田川」をかけたところ、リスナーから信じられないくらい大反響があり、それは日増しに大きくなったそうで、
急遽、「神田川」をA面に、「もういいじゃないか」をB面にしてリリースすると、大ヒットとなったのだそうです。
(「神田川」は、1973年7月にリリースされた「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)のセカンドアルバム「かぐや姫さあど」に収録されていた曲だったそうです)
「神田川」
伊勢正三が22歳の時には「かぐや姫」の6枚目のシングル「赤ちょうちん」が70万枚を売り上げる大ヒット
そして、「かぐや姫」は、1974年1月10日(伊勢正三22歳)にリリースした6枚目のシングル「赤ちょうちん」も70万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。
「赤ちょうちん」
伊勢正三が23歳の時には「かぐや姫」の7枚目のシングル「妹」が60万枚を売り上げる大ヒット
さらに、「かぐや姫」は、1974年5月20日にリリースした7枚目のシングル「妹」も累計60万枚を売り上げる大ヒットを記録しているのですが・・・
「神田川」「赤ちょうちん」「妹」は、いずれも、喜多條さんが作詞した曲だったそうで、その世界観が大きく影響し、「かぐや姫」は、(ステージでも楽曲でも何でもありのミクスチャーバンドから)すっかり”四畳半フォーク”のイメージがついてしまったのだそうです。
(とはいえ、伊勢正三さんとしては、とにかくヒットしており、別にそれが嫌だったわけではなかったそうです)
伊勢正三が23歳の時には「かぐや姫」が解散
すると、「かぐや姫」は、人気絶頂だった1975年4月12日(伊勢正三さん23歳)、「東京神田共立講堂」で行われたコンサートをもって解散となってしまい、
伊勢正三さんは、「かぐや姫」の解散について、
「神田川」がとんでもなくヒットして、かぐや姫のイメージがそのまま「神田川」になってしまった。
そのことと解散が直結しているとまでは言わないけれど、あくまで僕の感じ方として言うならば、後に四畳半フォークと半ば揶揄(やゆ)を込めて言われるように、かぐや姫の持つ一部分だけが妙に膨れ上がりすぎてしまったなという気がした。
前にも触れたとおり、かぐや姫は何でもありのミクスチャー、どちらかというとパンキッシュな部分がコアにあるグループという認識は今でも変わらない。
と、語っています。
伊勢正三が作詞作曲した「なごり雪」「22歳の別れ」はファンに絶大な人気を博していた
ちなみに、伊勢正三さんは、「かぐや姫」の3枚目のアルバム「三階建の詩」(1974年3月5日発売)の制作に向けて、初めて作曲を依頼されたそうですが、
(これまで作詞を依頼されたことはあったものの作曲は初めてだったそうです)
「なごり雪」「22歳の別れ」を作詞・作曲すると、どちらもシングルカットはされなかったものの、ステージではファンに絶大な人気を博したほか、
「なごり雪」は、後にイルカさんにカバーされ大ヒット、「22歳の別れ」も、後に伊勢正三さんが1975年に結成したフォークデュオ「風」のデビューシングルとしてリリースされると大ヒットとなっています。
「三階建の詩」
「【【画像】伊勢正三の若い頃(風時代)から現在までのアルバムや代表曲を時系列まとめ!」に続く
「かぐや姫」解散後は、フォークデュオ「風」を結成すると、1975年2月にリリースした1stシングル「22才の別れ」が大ヒットを記録し、その後も、同年6月にリリースしたアルバム「風ファーストアルバム」をヒットさせた、伊勢正 …