1973年9月、24歳の時、「南こうせつとかぐや姫」(第二期かぐや姫)でリリースした5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒットを記録したことで、一躍、知名度を上げると、「かぐや姫」解散後も、ソロ活動、俳優業、プロデュース業と活動している、山田パンダ(やまだ ぱんだ)さん。
そんな山田パンダさんは、プライベートでは、慧津子さんという女性と同棲を経て結婚しています。
今回は、山田パンダさんの、妻・慧津子さんとの結婚後の関係(夫婦仲)、子供(息子1人)についてご紹介します。
「山田パンダの「風の街」はドラマ「あこがれ共同隊」の主題歌で吉田拓郎から提供されていた!」からの続き
山田パンダの妻は?
山田パンダさんは、1975年頃、慧津子さんという女性と結婚しています。
山田パンダさんが慧津子さんとどのように知り合い、どのような経緯で結婚に至ったかは不明ですが、
山田パンダさんは、20代の時に、高円寺のアパートで山田慧津子さんと同棲していたそうで、1973年7月1日に発売された「かぐや姫」の4枚目のシングル「僕の胸でおやすみ」(山田パンダさんが作詞作曲)はこの頃に作ったものなのだそうです。
「僕の胸でおやすみ」
山田パンダの妻・慧津子は「ラブリィ・ハット・ショップ」「ゆりかご」で作詞を手掛けていた
また、慧津子さんは、山田パンダさんの、
- 1975年10月10日、ソロアルバム第一弾としてリリースしたアルバム「ラブリィ・ハット・ショップ」に収録されている同名の楽曲「ラブリィ・ハット・ショップ」
- 1976年10月5日にリリースした2枚目のアルバム「忘れかけた季節」に収録されている「ゆりかご」
の2作品で、作詞を手掛けていたといいます。
(クレジットは山田慧津子となっています)
そして、慧津子さんは、山田パンダさんが「かぐや姫」時代に作詞を手掛けた「少女はいつも」でも、実は、詞の大部分を書いていたのだそうです。
(慧津子さんは、1976年頃、渋谷で帽子屋「みょんみょん」を経営していたそうですが、現在は閉店しているようです)
山田パンダと妻・慧津子との関係(夫婦仲)は?
ちなみに、山田パンダさんは、50年以上連れ添っているという山田慧津子さんとの関係について、
僕は、子供達の未来を応援する活動をしているのですが、幼い子供が無心に遊んでいるときの、邪念のない無の境地ほど素晴らしいものはないと感じています。そういった、相手に見返りを求めない心持ちは、愛に欠かせないものです。
僕は20代で、妻と同棲していたときに、『僕の胸でおやすみ』という曲を作りました。たとえ笑顔でいても、その向こうには悲しみがあること、芯のところではわかり合えない男女の切なさをテーマにした曲です。
ですが、『わかり合えない』というのは、必ずしも悪いことではないんです。妻とは50年以上連れ添っていますが、『わかり合えないかもしれない、けれど、わかり合いたい』と願いながら過ごしています。
そうしたら、90歳、100歳になったときに、また見える景色が変わるかもしれない。見返りを求めない無垢な心を持って接していれば、年月を経ることで育まれる愛もあるのだろうと思っています
と、語っており、
夫婦仲は良好のようです。
山田パンダの子供は息子が1人
そんな山田パンダさんと慧津子さんの間には、1976年に男の子が1人誕生しており、山田勝久さんというそうです。
山田パンダさんは、2001年、息子の山田勝久さんと池田森さんの3人で「PANDA//SON(山田パンダとパンダさん)」を結成し、活動していたのですが、その後、山田勝久さんがどうされているのかは不明です。
ちなみに、山田パンダさんは、1990年代には、主夫として子育てに取り組み、息子さんの背が自分より高くなった頃、子育ての経験をもとに、保育園で保父としても働くようになったそうで、
1993年には、著書「山田パンダの保父してみたら」を出版していることから、子育てがとても楽しかったことが伺えます。
フォークグループ「シュリークス」での活動を経て、1973年には、「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)で「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒット、「かぐや姫」解散後の1975年には、ソロシングル「風の街」がヒッ …