「NNNきょうの出来事」のメインキャスターで、日本テレビの看板アナウンサーとなると、その後も、独特の低音で根強いファンを得た、小林完吾(こばやし かんご)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、小林完吾さんの、妻と子供(娘1人息子1人)についてご紹介します。
「小林完吾アナは脳出血と脳卒中で2回倒れるもリハビリで後遺症を克服していた!」からの続き
小林完吾の妻・愛子は南日本放送の同期でテレビ技術者だった
小林完吾さんは、1962年、南日本放送の同期でテレビ技術者だった、愛子さんと結婚しています。
小林完吾さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明ですが、
愛子さんは、1941年、大分県生まれで、小林完吾さんが日本テレビ退職後は、小林完吾さんの個人事務所「オフィスこばやし」の代表兼マネージャーを務めるほか、経理担当、運転手をしていたといいます。
また、愛子さんは、寝たきりだった小林完吾さんのお母さんを、4年半、小林完吾さんと共に在宅介護していたそうで、1996年には、その時の体験を綴った「愛あればこそ: 在宅介護した1600日の看老記」を小林完吾さんと共著で発表しています。
「愛あればこそ: 在宅介護した1600日の看老記」
小林完吾の息子は生後約3ヶ月で他界していた
小林完吾さんと愛子さんの間には、娘さんと息子さんが1人ずつ誕生しているのですが、1980年1月27日に誕生した長男の真吾君は、ダウン症を持って生まれてきたそうで、同年5月10日、細気管支炎により、わずか生後105日(約3ヶ月)で他界されています。
真吾君は、14年ぶりに授かった2人目の子供だったそうで、妊娠が分かった時、小林完吾さん・愛子さん夫婦は大喜びだったそうですが、
ダウン症であることが分かると、喜びは暗澹(あんたん)たる思いに変わり、本来ならば、喜んで誕生を迎えてあげるところを、涙で迎えてしまったそうで、小林完吾さんは、今でもそのことに自責の念が残っているといいます。
ただ、真吾君の誕生と死は、小林完吾さんに様々なことを気づかせてくれたそうで、
娘の典子さんが、
真吾、とてもかわいかったわ
と、お母さんに書いた手紙や、
主治医の、
どんな生命(いのち)も、生命は生命、みんな同じです
という言葉に、
自分の中にある差別や偏見に気がついたといいます。
小林完吾の娘は言語聴覚士
ちなみに、長女の典子さんは、埼玉県立豊岡高等学校卒業後、跡見学園短期大学に進学すると、大学卒業後は会社員をしていたそうですが、一念発起して医療の道を志し、北里大学医療衛生学部に入学したそうで、
そこでは、言語療法士(現在の言語聴覚士)の資格を取得し、その後、横浜市立大学附属市民総合医療センターで勤務していたといいます。(現在は、別の施設で勤務しているそうです)
実は、小林完吾さん一家には、真吾君の死と家族の体験を医療に役立てたいという思いがあったそうで、このような形で典子さんが一家の夢を叶えたことは、小林完吾さんとって大きな喜びとなったそうです。
そして、小林完吾さん自身も、
- 「愛、見つけた」(1983年)
- 「優しさをありがとう―この愛、こだまして」(1990年)
と、真吾君への深い愛を綴った手記を出版しています。
「小林完吾は19(ポール・ハードキャッスルの曲)の日本語リミックス版を担当していた!」に続く
「あ、さてー」のフレーズや、どんなニュースでも冷静沈着に低く落ち着いた声で読み上げるスタイルが人気を博した、小林完吾(こばやし かんご)さんですが、 イギリスのロック・ミュージシャン、ポール・ハードキャッスルの曲「19( …