1967年に作曲家デビューして以来、次々と名曲を世に送り出した、三木たかし(みき たかし)さんですが、

2006年には、下咽頭ガンが判明し、頸部リンパ節から喉頭まで全部を切除するという13時間にも及ぶ大手術を受けるも、この年の年末には、肺への転移が判明したそうで、

治療を続けるも寛解せず、医師に治療の手立てがないことを告げられると、一縷の望みを託し、標準的な治療法ではない抗ガン剤治療を行うため、岡山の病院に転院していたといいます。

今回は、そんな三木たかしさんの、下咽頭ガンと診断された時のこと、闘病生活から他界されるまでの経緯をご紹介します。

三木たかし

「三木たかしの元妻は?再婚相手は?3度の結婚と2度の離婚!娘はようこ!」からの続き

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三木たかしは下咽頭ガンが判明した時にはすでに進行した状態だった

三木たかしさんは、2006年4月20日、首のリンパ腺が腫れていたことから、かかりつけの主治医に診てもらったそうですが、なんともないと言われ、1ヶ月ほど放っておいたそうです。

しかし、1ヶ月経ってもリンパ腺の腫れが引かなかったことから、耳鼻科の先生に診てもらうと、念のために組織を取って調べた方がいいと言われて、有名な大学病院を紹介され、その大学病院で検査を受けると・・・

下咽頭にガンがあることが判明したそうで、既にガンはかなり進行していたのだそうです。

三木たかしは手術をしなければ半年程で死亡すると医師に告げられていた

そして、早めに手術で頸部リンパ節から喉頭までそっくり切除する必要があると言われたそうですが、

咽頭を切除すれば、声(声帯)を失うことになり、三木たかしさんは、メロディを口ずさみながら曲を作り続けてきたことから、声帯を残したいと思い、まだ、リンパが腫れているだけで自覚症状が現れていなかったことから、

医師に、

このまま何もしないでおけばどうなりますか?

と、尋ねると、

半年ぐらいで死にますよ

と、言われ、

手術に関しても、声帯を残すという選択肢はあるものの、これほど進行していると、声帯を残すことは勧められないと、はっきり言われたのだそうです。

三木たかしは咽頭ガンがリンパ節にも転移している可能性が高いと診断されていた

それでも、三木たかしさんは、声だけは失いたくないという気持ちが強かったことから、友人のツテで、機能温存手術をライフワークにしている医師で、国立ガン研究センター東病院の名誉院長・海老原敏さんを訪ねると、

海老原敏さんに、ガンの治療と機能保存の両立が可能な手術法を開発している国立ガン研究センター東病院で詳しい検査を受けることを勧められたそうで、

さっそく千葉県柏市にある国立ガン研究センター東病院で検査を受けたところ、

  • ガンはリンパ節にも転移している可能性が高いこと
  • もし、手術をするとすれば、頸部のリンパ節を皮膚の裏の脂肪組織ごと切除することになるものの、声帯は右側だけ切除して小腸を移植すれば、歌声は失っても人と話す声は失わずにすみ、ハミングぐらいならできる

と、言われたのだそうです。

そして、過去の手術で失敗はないと言われたそうで、

三木たかしさんは、この国立ガン研究センター東病院で手術を受けることに決めたのだそうです。

ただ、(手術の際には)

  • ガンの広がりが予想以上に大きければ声帯を切る可能性があること
  • 予定通り部分切除で片方の声帯を残せたとしても元のような声は出せなくなる

とも、言われたそうで、

三木たかしさんは、手術をするまでの間、一番思い入れのある曲「さくらの花よ泣きなさい」を歌って、録音しておいたといいます。

三木たかしは13時間にも及ぶ大手術を受けていた

こうして、三木たかしさんは、2006年6月26日に入院し、7月3日に手術を受けると、手術は午前9時から13時間にも及ぶ大手術になったそうです。

(手術の内容はほぼ事前に説明された通りだったそうですが、一つだけ変更があり、部分切除した咽頭の再建には当初は小腸を移植するとの話だっそうですが、手術中に、医師の判断で前腕部の皮膚を使うことになったそうです)

三木たかしは手術後に肺に転移が見つかり岡山の病院に転院していた

すると、手術は無事に成功したそうですが・・・

この年(2006年)の末には肺に転移が見つかったといいます。

そこで、放射線の一種である重粒子線治療を受けたそうですが、寛解せず、2008年11月、ついに、主治医から、

もう治療の手だてがありません

と、告げられてしまったのだそうです。

それでも、三木たかしさんは、最後まで希望を捨てず、知人の紹介で、岡山の病院で治療を受けようと、標準的な治療法でない種類の抗ガン剤に望みを託したのだそうです。

(三木さんはのどの手術後、食事がしづらくなって、20キロ以上やせ、体重は40キロ台に激減したそうで、新幹線で岡山へ向かう際は足がむくんで歩けなくなり、何度も休みながら移動したそうです)

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三木たかしの死因は下咽頭(いんとう)ガン

こうして、三木たかしさんは、岡山の病院を訪れ、治療を受けていたそうですが、滞在先のホテルで、容態が急変し、救急車で病院に運ばれるも、2009年5月11日午前6時5分、64歳で他界されたのでした。

ちなみに、妹の黛ジュンさんによると、岡山に見舞いに訪れた際、

三木たかしさんは、

最後の選択として岡山を選んだ。これしか残された道はないんだよ

と、言っていたとのことで、

黛ジュンさんは、

(三木たかしさんは)残される家族のことを心配していた。そのために治療を受けるんだという思いが、兄を支えたんでしょう

と、語っています。

お読みいただきありがとうございました

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