古賀政男さんに弟子入りし、1969年「目ン無い千鳥」でデビューすると、1982年に発売した「さざんかの宿」が180万枚を売り上げる大ヒットを記録し、さらに、2005年に発売した「駅」が25万枚のヒットとなった、大川栄策(おおかわ えいさく)さん。
そんな大川栄策さんは、プライベートでは、44歳の時に結婚しているのですが、今回は、大川栄策さんの妻、子供がいるかどうか、バンド「いきものがかり」の吉岡聖恵さんが娘だという噂の真相、過去の病気ついても調べてみました。
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大川栄策の妻は?
大川栄策さんは、1992年11月、44歳の時に、14歳年下で元会社員の女性と結婚しています。
大川栄策さんの奥さんは、陸上をやっていたそうで、大川栄策さんは、そんな奥さんの影響を受け、結婚してから、一緒に運動をしようと、ジムに通い始めたそうです。
また、大川栄策さんは、30歳の時に肝炎を患っていたそうですが、奥さんは、健康のために、毎朝、野菜ジュースを作ってくれるそうです。
ただ、大川栄策さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、奥さんとどのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
大川栄策に子供はいる?
大川栄策さんは、子供についても、奥さん同様、ほとんど明かしていないため、詳細は不明です。
なので、息子さんや娘さんがいるかどうかも不明です。
ちなみに、大川栄策さんの楽曲に「娘よ」という歌があることから、大川栄策さんに娘がいるのでは、と思われたのですが、作詞者が大川栄策さんではありませんので、歌い手として、歌の世界を表現しただけかもしれません。
大川栄策の娘は「いきものががり」の吉岡聖恵?
そんな大川栄策さんですが、バンド「いきものがかり」のヴォーカル・吉岡聖恵さんが娘ではないかとの噂があるようです。
「いきものがかり」のヴォーカル・吉岡聖恵さん。
というのも、2人共、特徴的な鼻をしており、さらに、その鼻が似ているから、というのが理由なのですが、
吉岡聖恵さんのお父さんは、神奈川県厚木市立南毛利中学校の野球部のエースとして活躍し、中学3年生の時、1年生の後輩に、読売ジャイアンツの元監督の原辰徳さんがいたというエピソードがあるほか、
(吉岡聖恵さんも神奈川県厚木市の出身)
大川栄策さんは、福岡県大川市の大川中学校出身なので、このことから、大川栄策さんと吉岡聖恵さんの間に親子関係はなく、全くの赤の他人だと言うことが分かります。
大川栄策は病気(肝炎)を患っていた
大川栄策さんは、若い頃からお酒やタバコを好きなだけやっていたそうで、ビールは一晩で1ダースくらい飲むなど、お酒を飲んでばかりいたそうですが、それがたたって、30歳の時には肝炎を患ってしまったそうです。
しかも、黄疸(おうだん)が出たうえ、歩くのも困難になったそうで、このまま死ぬんではないかと思うほどの重症で、1ヶ月ほど入院したそうです。
ただ、肝臓の病気は、この薬を飲めば効く、という薬がなく、とにかく、入院期間中は身体を休めていたそうで、そのおかげで、1ヶ月経つと完全に回復したのだそうです。
すると、「俺、こんなことしてられるか」と、猛烈に力が沸いてきたそうで、それからは心を入れ替え、漢方を飲むなど健康に気を遣うようになったそうで、
地方公演に出る際には、漢方を煮る土鍋を、自分で担いで持って行ったこともあったそうです。
(お酒は2023年11月時点でも、毎晩飲んでいるそうですが、肝臓の数値は正常だそうです)
ちなみに、大川栄策さんは、2023年、「スポニチ」のインタビューで、
(歌手デビューして2023年で)もう55年目ですからね。ここまでよく歌ってこられたなと思うし、ここでゴールということはないですからね。歌に関しては、ゴールがないとしか言いようがない。
元気で皆さんの前で歌って、聴いてもらう。自分で思うように声が出なくなったらもうマイク置きますよ。そして何がしかの思いを持ってもらうということ。これからもそれを続けていきたいです。
と、意欲を語っており、まだまだお元気にされているようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
大川栄策さんの、
- 大川栄策の生い立ちは?中学時代に歌手を目指し高卒後に古賀政男に弟子入りしていた!
- 大川栄策のプロフィール
- 大川栄策が幼い頃は家具職人の父親に憧れていた
- 大川栄策が中学高校時代は空手の練習に明け暮れていた
- 大川栄策は中学時代に村田英雄に憧れ歌手を目指すようになっていた
- 大川栄策は高校卒業後に上京して古賀政男に弟子入り志願するも断られ続けていた
- 大川栄策は「目ン無い千鳥」でデビューすると「さざんかの宿」が大ヒット
- 【画像】大川栄策の若い頃は?さざんかの宿ほかヒット曲(シングル)を時系列まとめ!
- 大川栄策は21歳の時、デビュー曲「目ン無い千鳥」がいきなりヒットを記録
- 大川栄策は33歳の時に「さざんかの宿」が13年ぶりの大ヒットを記録
- 大川栄策が34歳の時には「恋吹雪」が30万枚を売り上げる大ヒットを記録
- 大川栄策が56歳~59歳の時には「駅」「再会」「稲妻」「風港」「名残りの桜」「二人の旅路」が立て続けに大ヒットを記録
- 大川栄策の主なシングル一覧
- 大川栄策がタンス担ぎを「さざんかの宿」歌唱時(ベストテン)に披露していた理由とは?
- 大川栄策は歌番組「ザ・ベストテン」で「さざんかの宿」歌唱中にタンス担ぎを披露するようになっていた
- 大川栄策はタンス担ぎが特技だった
- 大川栄策はタンス担ぎについてコツさえ覚えれば簡単にできると語っていた
- 大川栄策はタンス担ぎを22年ぶりに披露していた
- 大川栄策の妻は?子供は?娘はいきものがかりの吉岡聖恵?
- 大川栄策の妻は?
- 大川栄策に子供はいる?
- 大川栄策の娘は「いきものががり」の吉岡聖恵?
- 大川栄策は病気(肝炎)を患っていた
について、ご紹介しました。
デビュー前、古賀政男さんに弟子入り志願するもなかなか許可してもらず、ようやく許可されて「目ン無い千鳥」でレコードデビューを果たすも、「サザンカの宿」がヒットするまで13年もの間、下積み生活を送るなど、苦労を重ねてきた大川栄策さん。
そんな大川栄策さんは、デビューから55年経った現在も、コンスタントにシングルをリリースし、「ここでゴールということはない」と意欲を語っており、今後も目が離せません!
2023年には歌手デビュー55周年を迎えるも、なおパワフルでありながら、情感溢れる歌声で人々を魅了している、大川栄策(おおかわ えいさく)さん。 そんな大川栄策さんは、1983年には、歌番組「ザ・ベストテン」で、「さざん …