2010年、お笑いコンビ「ピスタチオ」としてデビューすると、「ピスタチオです」「なん~のっ?」などのフレーズと、白目をむく”白目漫才”でたちまち人気を博すも、2022年には、「ピスタチオ」を解散した、小澤慎一朗(おざわ しんいちろう)さん。

そんな小澤慎一朗さんは、幼い頃からお笑い番組を見ることが好きだったそうですが、この時は、芸人になりたいとは思っておらず、将来の夢も特になかったといいます。

そんな中、中学1年生の時、NHKで放送していた「爆笑オンエアバトル(オンバト)」がきっかけで仲良くなった友達に誘われ、お笑い芸人を目指すようになったといいます。

今回は、小澤慎一朗さんの、幼少期(生い立ち)から高校卒業後に吉本興業養成所に入所するまでをご紹介します。

小澤慎一朗

「小澤慎一朗(ピスタチオ)の実家はお金持ち!学歴は?私服がおしゃれ!」からの続き

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小澤慎一朗は幼い頃は部屋で一人で遊ぶことが好きな子供だった

小澤慎一朗さんは、IT企業の社長のお父さんのもとに誕生すると、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうですが、

幼い頃は、勉強が得意ではなく、かといって、運動もまったくダメで、遊びはというと、みんなで外で遊ぶよりも、部屋の中で一人で遊ぶことが好きな子供だったそうで、

小澤慎一朗さんは、

テレビゲームなんかもやりましたけど、本当に小さいころは布団を相手に一人で戦うみたいな遊びとかもしてました。

と、語っています。

小澤慎一朗は幼い頃はお笑い系のテレビ番組を好んで見るも芸人になりたいとは思っていなかった

そんな小澤慎一朗さんは、子供の頃は、お笑いが好きで、お笑い系のテレビ番組(芸人が出ているバラエティ番組)をよく見ていたそうですが、あくまで、一視聴者として見ていただけで、

自分にはあんなことはできない

と、思い、絶対に芸人にはなりたくないと思っていたそうです。

ただ、だからと言って、「何かになりたい」と思うこともなく、将来の夢も特になかったそうです。

小澤慎一朗は中学1年生の時に友達にお笑い芸人になろうと誘われ、お笑い芸人になりたいと思うようになっていた

また、小澤慎一朗さんは、中学1年生の時、NHKの「爆笑オンエアバトル(オンバト)」(芸人が漫才やコントなどを披露する番組)を見て、すっかりハマり、毎週楽しみに見ていたそうですが、

学校では、芸人が出演するバラエティ番組を見ている友達ばかりで、ネタ番組を見ている人はいなかったそうです。

そんな中、1人だけ、「オンバト」を見ている子を見つけたそうで、小澤慎一朗さんは、それを知ってうれしかったそうですが、

その子も同様に、小澤慎一朗さんが「オンバト」を見ているたった1人の友達だったそうで、お互い、

え?オンバト見てるの!?

というような感じで仲良くなり、一緒に遊ぶようになったのだそうです。

すると、元々、その友達はお笑い芸人に憧れていたことから、

お笑い芸人を一緒にやろうよ

と、誘われたそうですが、

小澤慎一朗さんは、その時、急に自身もお笑い芸人をやりたいと思うようになったのだそうです。

(将来、何かになりたいと思ったのはこの時が初めてだったそうです)

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小澤慎一朗は高校卒業後に吉本興業の養成所(NSC)に入所していた

そこで、小澤慎一朗さんは、中学を卒業したらすぐに吉本興業の養成所(NSC)に行こうと決めたそうですが、

そのことをおばあちゃんに話すと、せめて高校だけは行ってほしいと言われたことから、NSCには、高校卒業後に入ろうと思い直したそうで、

お笑い芸人になろう

と、思い続けながら高校に通い、

高校を卒業した時、一緒にお笑い芸人をやろうと言っていた友達のところに行き、

一緒に養成所に行こうよ

と、誘ったそうですが・・・

なんと、その友達には、

俺、そんな事言ってないから

と、言われてしまったのだそうです。

これには大きなショックを受けたという小澤慎一朗さんですが、お笑い芸人になりたいという気持ちは変わらなかったことから、1人でNSC(吉本興業の養成所)に行くことにしたのだそうです。

「小澤慎一朗の若い頃(ピスタチオ)は白目漫才!デビューから解散までの経歴一覧!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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