「東京NSC13期生」卒業後の2010年4月、21歳の時、伊地知大樹さんとお笑いコンビ「ピスタチオ」を結成すると、
2014年12月には、「アメトーーク! 」の「パクリたい-1グランプリ」で優勝し、白目をむきながら掛け合いをする”キモ芸”で、たちまち、爆発的な人気を博した、小澤慎一朗(おざわ しんいちろう)さん。
今回は、そんな小澤慎一朗さんの若い頃(ピスタチオ時代)の経歴を、デビューから解散まで時系列でご紹介します。
「小澤慎一朗(ピスタチオ)の生い立ちは?幼少期は?中卒でNSCに入ろうと思っていた!」からの続き
小澤慎一朗は高校卒業後「東京NSC」で伊地知大樹と出会うもお互いの第一印象は最悪だった
小澤慎一朗さんは、高校卒業後、吉本興業の養成所「東京NSC」に通い始め、1年間、芸人として必要な知識やエンターテイメント業界の基礎について学んだそうですが、
そんな中、相方となる伊地知大樹(いじち ひろき)さんと知り合ったそうです。
ただ、お互いの第一印象は最悪だったそうで、小澤慎一朗さんと伊地知大樹さんは、雑誌のインタビューで、
伊地知大樹さん:気持ち悪いから、マジで近寄ってほしくなかったです。本当に嫌いでした。
小澤慎一朗さん;ぼくも同じです。絶対ヤンキーだって感じで、超怖かったんですよ。ウルフカットで、サイドを金色に染めていたんですよ。そんな人怖いじゃないですか。絶対元ヤンじゃないですか。
と、語っています。
小澤慎一朗は20歳頃に伊地知大樹にコンビを組もうと声をかけていた
その後、小澤慎一朗さんと伊地知大樹さんはずっと接点がなく、「東京NSC」を卒業した後、講師がネタを見てくれる特別授業が開かれた際、初めて話す機会があったそうですが、
この時、小澤慎一朗さんが、伊地知大樹さんを良い人だと思ったほか、伊地知大樹さんがお笑いのことを真剣に考えていること、ピンで活動していることに感銘を受けたそうで、
小澤慎一朗さんの方からコンビを組もうと声をかけ、コンビを組むことになったのだそうです。
ちなみに、伊地知大樹さんは、相変わらず、小澤慎一朗さんのことを気持ち悪いと思っていたほか、同期全員に、
(気持ち悪いから)マジやめたほうがいいよ
と、小澤慎一朗さんとコンビを組むことを反対されたそうで、
(また、小澤慎一朗さんは、”目立ってなんぼ”というお笑いの世界にもかかわらず、「東京NSC」では存在感が薄く、卒業した同期の中で、小澤慎一朗さんを覚えていた人は10人に1人もいなかったそうです)
当初は渋っていたそうですが、そんな気持ち悪さが逆に小澤慎一朗さんの強い個性ということに気づき、小澤慎一朗さんとコンビを組むことにしたのだそうです。
小澤慎一朗は21歳の時に伊地知大樹とお笑いコンビ「ピスタチオ」を結成するも・・・
こうして、2010年4月(小澤慎一朗さん21歳)、小澤慎一朗さんは、伊地知大樹さんとお笑いコンビ「ピスタチオ」を結成し、活動を開始したそうですが・・・
ナインティナインの岡村隆史さんに憧れ、ポップな路線で行きたかった小澤慎一朗さんと、ホストなルックスの伊地知さんは、合うはずもなく、
コンビ結成3年目の2012年(小澤慎一朗さん24歳)には、売れないまま、解散しよう、という話になってしまったのだそうです。
(お互いの仲もとても悪かったそうです)
「ピスタチオ」(伊地知大樹さん(左)と小澤慎一朗さん(右))。
小澤慎一朗は24歳の時の「ピスタチオ」の最後のライブで、偶然”白目漫才”が生まれ、解散を取りやめていた
そして、最後のライブをすることになったそうですが、小澤慎一朗さんが書いてきたネタが全くおもしろくなく、(滑ろうがウケようが今日が最後なので)それなら何でも好きなようにやろうという話になり、
伊地知大樹さんが本番30分前に、
男なのに妊娠する
という意味のわからないネタを考えたそうですが、
こんなのを普通にやっても面白いわけがないと思いつつ、ふと、小澤慎一朗さんがかぶっていた帽子を取るのを見ると、七三分けになっていて、その顔がすごく気持ち悪かったそうで、
試しに、小澤慎一朗さんに、電車の車掌さんのモノマネをさせたら、お腹を抱えて笑うぐらい面白かったそうで、
伊地知大樹さんは、
自分がこれだけ笑うんだから、絶対お客さんも笑うはず!
と、確信。
ただ、小澤慎一朗さんが、
ずるい、そうやって自分だけモテようとしてる。
と、言い出したことから、二人で白目をむく変顔をすることにすると、
本番では、今までにないほどの笑いが起きたのだそうです。
ちなみに、本番が終了した後は、解散の話など、最初からなかったかのように、次のネタ合わせについて話し合ったそうで、
小澤慎一朗さんは、
舞台をはけた後、解散だったので「もう終わりだね」って話になるはずなんですけど、「次いつネタ合わせにする?」って。解散の話がなかったかのように、お互い一切解散って口にしないんですよ。それで今に至る。
と、語っています。
「ピスタチオ」伊地知大樹さん(左)と小澤慎一朗さん。
小澤慎一朗は26歳の時に「ピスタチオ」として白目をむきながら掛け合いをする”キモ芸”がウケて大ブレイク
そんな「ピスタチオ」は、2014年12月(小澤慎一朗さん26歳)には、「アメトーーク!」の「ザキヤマ&フジモンがパクリたい-1GP」」で優勝すると、このことがきっかけで、白目をむきながら掛け合いをする”キモ芸”で大ブレイクを果たし、
2015年頃には、小学校では、子どもたちの間で、話しながら白目をむく「ピスタチオ」のマネが大流行したそうで、授業中だけでなく、休み時間も、「白目禁止」にした学校もあったといいます。
小澤慎一朗は28歳頃にはテレビ出演が激減しライブや営業を中心に活動していた
しかし、そんな「ピスタチオ」も、2015年を境にめっきりテレビ出演が激減し、「消えた」と言われるように。
ただ、テレビには出演していなかったものの、ライブ活動や営業は精力的に行い、お互い、ピンでも活動し、小澤慎一朗さんは、「SALTY’s」というエアバンドを結成・活動していたといいます。
ちなみに、「ピスタチオ」のテレビ出演が激減した理由ですが、
- 「ピスタチオ」の芸風である白目が眼科医から「危険」だと言われ、小学校で「白目禁止」となっていた
- 全盛期から主婦ウケが悪かった
- ネタが飽きられた
などと言われています。
小澤慎一朗が33歳の時に「ピスタチオ」を解散した理由とは?
それでも、2022年4月27日、小澤慎一朗さんと伊地知大樹さんは、ピスタチオ公式youtubeチャンネルで、同年5月末に「ピスタチオ」を解散することを発表。
「ピスタチオ」の解散は、小澤慎一朗さんの方から申し出たそうで、
小澤慎一朗さんは、その理由について、
家庭の幸せを守りたいということで、ピスタチオを解散してくれないかと伊地知さんに伝えました(2021年9月頃)。伊地知さんはまだまだ売れていくぞという思いがあったが、僕の方から解散しましょうと伝えました
と、語っています。
また、小澤慎一朗さんは、同年、他のインタビューでも、
(「ピスタチオ」解散の理由について)コロナの影響と、家族ができたということですね。このままの収入じゃダメだって思ったんです。あと、ほかの芸人さんみたいにSNSやYouTubeを頑張ったり行動できなかった。
芸人という職業に向いていないな、続けてもなあなあになると思って解散を申し出たんです。
と、明かしています。
(小澤慎一朗さんは2020年に結婚し、2021年に第一子が誕生しています)
「小澤慎一朗(ピスタチオ)の現在は?放課後等デイサービスを退職していた!」に続く
2022年5月にお笑いコンビ「ピスタチオ」解散後、児童福祉の道に進むことを発表していた、小澤慎一朗(おざわ しんいちろう)さんは、その後、「放課後等デイサービス」の児童指導員として働きながら、タレント活動をしていたそうで …