海外で日本のシティポップがブームになる中、2020年、海外のYouTuberによって、1979年に松原みきさんに提供した「真夜中のドア–Stay with me-」がカバーされると、世界中に拡散され、一躍、時の人となった、林哲司(はやし てつじ)さん。

今回は、「真夜中のドア –Stay with me-」が拡散された経緯、海外でヒットした理由について、林哲司さんの視点を交えながらご紹介します。

林哲司

「【画像】林哲司の若い頃から現在までの代表曲やヒット曲ほか経歴は?」からの続き

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インドネシアのYouTuberがカバーした「真夜中のドア~Stay With Me~」が再生回数300万回を突破していた

2020年10月、インドネシアのYouTuberのRainychさんが、松原みきさんの「真夜中のドア~Stay With Me~」(1979年に林哲司さんが提供)のカバーをYouTubeおよびサブスク配信すると、

YouTubeは300万回再生を超えるほか、Spotifyグローバルバイラルチャートでは、18日連続世界1位を記録する、大反響となったそうです。

ちなみに、Rainychさんは、日本語が話せないにもかかわらず、日本語の音の美しさに惹かれ、2016年より、YouTubeでJ-POPのカバーを中心に動画を上げ始めると、1980年代のシティポップから最新のアニソンまで幅広い選曲が人気を集めていたそうですが、

2020年4月にドージャ・キャットさんの「Say So」を日本語でカバーした動画がドージャ・キャットさん本人の目に留まり、大絶賛されると、一躍脚光を浴び、

8月には、ザ・ウィークエンドさんのヒット曲「Blinding Lights」の日本語カバー動画も、ザ・ウィークエンドさん本人にSNSで絶賛されていたといいます。

林哲司は45年ぶりに「真夜中のドア~stay with me 2024」を配信リリースしていた

このヒットを受け、2021年3月10日、「真夜中のドア~Stay With Me~」のレコード盤がポニーキャニオンから復刻販売されると、これもリバイバルヒットとなったそうで、

さらに、2024年11月5日には、林哲司さんが、歌と一部の楽器を残して新たにプロデュースし直したバージョン「真夜中のドア~stay with me 2024」を配信リリースしています。

(「真夜中のドア~Stay With Me~」は、松原みきさんのデビュー曲としてちょうど45年前の1979年11月5日にリリースされたそうです)

「真夜中のドア~stay with me 2024」

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シティポップが海外で愛されている理由とは?

ちなみに、林哲司さんは、普段、ネットサーフィンなどをあまりしないため、海外や若者たちの間でシティ・ポップが流行っていることを知らなかったそうで、

2020年頃、バンドメンバーから、

YouTubeやTikTokで、松原みきさんの「真夜中のドア~Stay With Me~」の再生回数が凄いことになっている!

と、教えてもらい、このことを知ったそうで、

あまりに信じられない事態となっていたので最初は正直、脳内が疑問符だらけでした(笑)

と、語っているのですが、

シティポップが海外で愛されている理由については、

海外の方たちが70〜80年代の楽曲に今、心惹かれる理由を音楽家として分析してみたのですが、僕が思うに、鍵を握るのはまずはメロディなのではないかと。

言葉がわからなくても心を揺さぶられたり、涙するということは、メロディにおける日本独自の哀愁感が海外では目新しくて琴線に触れるのだろうと考えています。

海外のDJからも「母国の音楽とはまた違う、新しさと懐かしさが渾然一体となっていて、すっと心の中に入ってきた」と言われました。

と、語っています。

(シティポップとは、主に1970年代後半から1980年代に日本で作られた曲のことを指すそうです)

「林哲司は菊池桃子に提供した曲が7作連続オリコン1位となっていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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