1968年、佐川満男さんに提供(作詞作曲)した「今は幸せかい」が75万枚を売り上げる大ヒットを記録した、中村泰士(なかむら たいじ)さんですが、
実は、この「今は幸せかい」は、中村泰士さんが、佐川満男さんの部屋でギター片手に、自身の体験を即興で作詞作曲したものだったといいます。
今回は、中村泰士さんが佐川満男さんに「今は幸せかい」を提供した経緯、佐川満男さんとのエピソードなどをご紹介します。
「中村泰士の若い頃は歌手!作曲家デビューから死去までの代表曲は?死因は?」からの続き
中村泰士は大阪ではロカビリー歌手として人気を博すも東京では鳴かず飛ばずだった
中村泰士さんは、もともと、大阪でロカビリー歌手として活躍していたところ、スカウトされて、18歳の時に上京すると、「美川鯛二」の芸名でデビューしたそうですが、
東京では、リリースした4枚のシングルは全く売れず、鳴かず飛ばずだったといいます。
中村泰士は交際していた女性に突然振られて自己嫌悪に陥り大阪に戻っていた
それでも、中村泰士さんは、モテモテの大スターだった大阪時代と同様に、東京でもステージでは、若い女性にもてはやされる毎日だったそうですが、
(東京で全く売れないことには大きな挫折を味わっていたそうです)
そんな中、交際していた女性に、突然振られてしまったそうで、自己嫌悪に陥り、歌手に見切りをつけて、地元・大阪に帰ったのだそうです。
中村泰士は佐川満男の部屋で振られた女性への思いを即興で歌にしていた
そんな中村泰士さんは、大阪では、生活のため、音楽以外の仕事もしていたそうですが、
やがて、音楽への思いが募り、再度、上京を決意すると、古くからの友人だった佐川満男さんの家に転がり込み、
(佐川満男さんとは、18歳頃、大阪で、佐川満男さんと内田裕也さんがツイン・ボーカルを務めるバンド「クレイジー・バブルス」のオーディションを受けたことがきっかけで知り合い、それ以来の友人で、いつ頃かは不明ですが、中村泰士さんは佐川満男さんの前座歌手を務めていたこともあったそうです)
佐川満男さんの部屋で、ギターを手に、突然、自分のもとを去った女性への断ち切れない思い、別れて初めて知った悲しみ、胸が張り裂けんばかりに苦しんだどうしようにもないほどやるせない気持ちを、即興(10分~15分)で歌にすると、
この曲を聴いた佐川満男さんから、「これは売れる」と言われたことから、中村泰士さんは、その場で曲を完成させたのだそうです。
(実は、佐川満男さんも、1961年にリリースしたシングル「無情の夢」以来、ヒット曲が出ず、すっかり過去の人になっており、ヒット曲を待ち望んでいる状況だったそうです)
中村泰士が佐川満男に作詞作曲した「今は幸せかい」は当初は自費で制作し大阪の盛り場で手売りしていた
こうして、佐川満男さんは、いくつかのレコード会社に、中村泰士さんが作った曲を持ち込んだそうですが・・・
どこからもいい返事がもらえなかったそうで、中村泰士さんと佐川満男さんは、自費で500枚ほどレコードを作り、2人で大阪の盛り場を回って、地道にレコードを手売りしたのだそうです。
中村泰士の「今は幸せかい」で佐川満男はカムバックに成功していた
すると、やがて、じわじわと人気に火がつき、ついには、有線放送のリクエスト件数で1位を獲得したそうで、
日本国内の全レコード会社からリリースを正式に打診され、1968年には、「佐川満男」名義で「今は幸せかい」をリリースすると、75万枚を売り上げる大ヒットを記録したのでした。
(中村泰士さんは作曲家としてデビューを果たし、佐川満男さんにとっても久々のヒット曲となり、見事、カムバックを果たしたのでした)
中村泰士と佐川満男の友情は続いていた
そんな中村泰士さんと佐川満男さんの友情は、その後も続いたそうで、
2018年に行われた中村泰士さんの作曲家50周年記念ライブ「大人でnight」、2019年5月21日、中村泰士さんの誕生日に開催された「80歳記念ディナーショー」には、佐川満男さんも出演し、一緒にステージに立つほか、そのほかのイベントやステージでも共演していたといいます。
ちなみに、2020年12月に中村泰士さんが他界されると、
佐川満男さんは、盟友の訃報に接し、
昨年(2019年)は一緒に仕事したけど、今年は一度も会ってないかな
と、言葉少なに語っています。
(そんな佐川満男さんも2024年4月に胆のう炎により他界されています)
「中村泰士の前妻は?再婚相手は星ますみ!結婚後の夫婦仲は?子供は?」に続く
作曲家として、「喝采」「わたしの青い鳥」「心のこり」「北酒場」など、数々のヒット曲を世に送り出した、中村泰士(なかむら たいじ)さん。 そんな中村泰士さんは、プライベートでは、結婚を2度、離婚を1度しています。 今回は、 …