1991年、弟の黒沢秀樹さんらと「L⇔R」を結成し、「HELLO, IT’S ME」「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」などのヒット曲で90年代のポップスシーンを彩ると、その後もソロや様々なユニットで多彩な音楽活動を展開し、作曲家・プロデューサーとしても活躍するも、2016年12月5日に急逝された、黒沢健一(くろさわ けんいち)さんですが、

その2ヶ月前の2016年10月3日、オフィシャルサイトで、1年前の2015年10月に脳腫瘍と診断されたこと、そして、その治療中であることを公表していました。

今回は、そんな黒沢健一さんが、脳腫瘍が判明してから1年後に病気を公表した理由、L⇔R再始動決定直後の脳腫瘍発覚だったことなど、弟の黒沢秀樹さんの証言を交えながらご紹介します。

黒沢健一

「【画像】黒沢健一の若い頃は?L⇔Rの代表曲ほかソロアルバムや経歴は?」からの続き

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黒沢健一はリハーサル中にめまいがして検査を受け脳腫瘍が判明していた

黒沢健一さんは、2016年10月3日、自身の公式サイト上で、脳腫瘍を患い、脳腫瘍の治療中であることを公表しています。

黒沢健一さんによると、2015年10月、東京と大阪のBillboard Liveで「黒沢健一 with KACTUS ~Special Cover Song Party 2015~」というライブのリハーサル中にめまいがし、病院で検査を受けたところ、脳腫瘍が判明したそうで、

その後、療養のため、入退院を繰り返し、良くなったり悪くなったりと、一進一退が続いている状態だったといいます。

黒沢健一が脳腫瘍判明から約1年後に病気を公表した理由

また、黒沢健一さんが、脳腫瘍と診断されてから約1年後のタイミングで病気のことを公表した理由は、

脳腫瘍と判明した当初は、ライブ会場でファンの人たちに、「こんな病気だった」と過去形で話しができるようにとの思いから、治療に専念するためだったそうですが、

脳腫瘍と診断されてから、あっという間に1年が経過してしまい、ファンの人たちに不安や心配をかけてしまうことを心苦しく思いつつも、病を公表しないと、逆に無用な憶測を呼びかねないと、公表することを決めたのだそうです。

黒沢健一の死因は脳腫瘍

そして、その後も、黒沢健一さんは、治療に専念していたそうですが・・・

それから2ヶ月後の2016年12月5日午前3時52分、脳腫瘍により、48歳の若さで他界。

黒沢健一さんの弟・黒沢秀樹さんは、オフィシャルサイトで、黒沢健一さんの最期について、

家族の見守る中、安らかに眠るような最期を迎えることが出来ました

(病気発表後、たくさんの応援の声が届けられたそうで)本人のみならず、家族も大変励まされました。これまで兄の音楽を愛してくれた皆様に心からの感謝を家族を代表して申し上げます

と、報告しています。

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黒沢健一は「L⇔R」再結成を決心した矢先に脳腫瘍が発覚していた

弟の黒沢秀樹さんによると、実は、黒沢健一さんは、脳腫瘍を患う前にも、大病を患っていたそうで、

それまで、黒沢秀樹さんが、何度、「L⇔R」の再結成を打診しても、

黒沢健一さんは、

昔よりも良くないものを見せたくない、また、自分でも見たくない

という気持ちが強く、なかなか首を縦に振らなかったそうですが、

黒沢健一さんが大病を患った後辺りに、黒沢秀樹さんがダメ元で、再び、再結成の話をすると、

黒沢健一さんは、

そうだな、秀樹ともきーちゃん(木下さん)とも一緒にやりたいから、ちょっと前向きに考えるよ

と、言ったそうで、

いつもと同じ煮えきらない答えが返ってくるんだろうなと、半ば諦めの気持ちで尋ねた黒沢秀樹さんは、この言葉に驚き、

じゃあ、1曲でも2曲でもかまわないから、何か一緒に曲作り始めようか?

と、張り切っていた、そんな中での脳腫瘍の発覚だったといいます。

「黒沢健一の妻は?結婚してた?子供は?兄弟は3人で長弟は黒沢秀樹!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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