「日本一の適当男」の異名を持ち、バラエティ番組やCMを中心に活躍されている、高田純次(たかだ じゅんじ)さん。今回は、そんな高田さんの、生い立ちについてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
高田さんは、1947年1月21日生まれ、
東京都調布市国領出身のご出身、
(両親が、21日の1を7と読み間違えたため、20歳近くまで1月27日生まれだと信じていたそうです(笑))
身長175センチ、
血液型はO型、
学歴は、
調布市立第二小学校
⇒東京都立調布市立第三中学校
⇒東京都立府中高等学校
⇒東京デザイナー学院グラフィックデザイン科卒業
趣味は、
映画観賞、野球観戦、競馬、クルマ、バイク、ゴルフ、
特技は、
イラストを描く、どこでも寝られる、眼球を素早く動かす、
ちなみに、「高田純次」は本名で、愛称は「純ちゃん」「純じい」「じじい」「Mr適当」「TJ」「ミスター無責任」「テキトー男」だそうです♪
3歳で母親が他界
高田さんは、「東京ガス」に勤務するサラリーマンのお父さんのもと、東京都調布市で誕生するのですが、高田さんが4歳の時、お母さんが32歳という若さで他界。
そのため、高田さんは、お母さんのことをほとんど覚えておらず、お母さんが亡くなる前、お父さんに連れられて、お母さんの入院先の病院に行き、ベッドに女の人がいたことしか覚えていないそうです。
祖母と継母の折り合いが悪く板挟みに
その後、お父さんが再婚し、新しいお母さんがやってきたのですが、一緒に住んでいた高田さんのおばあちゃんと新しいお母さんの折り合いが悪く、しょっちゅう、ケンカをしていたそうで、幼い高田さんは、板挟み状態となり、常に二人の顔色をうかがわなければならなかったそうです。
さらに、おばあちゃんとお母さんがケンカをすると、高田さんのお父さんは、いつも、お母さんの味方をしていたことから、高田さんはおばあちゃんをかいわそうに思い、おばあちゃんに寄り添うようになったそうで、
両親や兄弟たちが一緒に外出した時も、高田さんは家族の中でただひとりだけ自宅に残り、おばあちゃんと一緒に過ごしていたそうです。
ちなみに、高田さんの幼い頃のことをよく知る、高田さんの知人は、
高田さんと継母の仲は悪くない。ただ、(継母に)気を遣わせたら悪いからと、ある程度距離を置いていたんです。父親と継母との間には2人のお子さんもいましたからね
と、高田さんが、おばあちゃんだけではなく、新しいお母さんにも気を遣っていたことを明かされています。
絵の道に憧れる
そんな高田さんは、小学生の時、埼玉県・桶川に住む、親戚のおじさんに絵を教えてもらうと、小・中学時代は、映画雑誌に女優の絵を描いて応募するなど、絵を描くことが大好きな少年に育ちます。
ただ、入選は果たせず、いつも佳作止まりだったそうで、入選した絵を見ては、自分には飛び抜けたアイディアがないと自覚し、絵の道に進むことを諦めたのだそうです。
高校受験に失敗
また、高田さんは、成績も良かったため、高校受験では、当時、都内で2番目に偏差値の高かった国立高校を第1志望として受験されるのですが、残念ながら不合格になってしまいます。
ただ、学区内で一定の点数を取っていれば、ほかの高校に入ることができたため、東京都立府中高等学校に進学されたのでした。
高校生の時の高田さん
2年続けて大学受験にも失敗
その後、高田さんは、お父さんと同じ「東京ガス」に就職したいと思うようになり、両親も同様に、息子には一流企業に務めてほしいと願っていたことから、大学受験では、中央大学、明治大学、法政大学、青山学院大学と受験されたのですが、すべて不合格。
(お父さんは、大学受験に失敗した時点で、高卒で一流企業に入るのは難しいと考え、高田さんが一流企業に就職することをあきらめたそうです)
そこで、高田さんは一浪し、今度は、東京芸術大学、武蔵野美術大学、多摩美術大学、日本大学の芸術学部と、美術系の大学ばかりを受験されるのですが・・・
どうしたことか、これらもすべて不合格になってしまったそうで、
高田さんは、
大学受験の失敗は人生の転機で、トラウマになっています。だって、今でも夢に見るんですよ。それが受験で落ちてしまった場面ではなく、合格してキャンパスで女の子とはしゃいでいる場面をしょっちゅう見ます。
キャンパスの木陰のベンチでキャーキャー言われちゃうというシチュエーション。やったことないんだけどね、そういうキャンパスライフがまさに夢だったから。
大学に行っていたら? 親父も勤めていたし、東京ガスに就職していましたね。あ、そうだ。弁護士になる予定もあったんだ。何たって中大法学部を受験したくらいですし。ただ、あの入試は歯が立たなかった
と、明かされています。
東京デザイナー学院グラフィックデザイン科に入学
こうして、2年連続で大学受験に失敗した高田さんは、グラフィックデザイナーになろうと、専門学校に行くことを考え、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科に入学。
途中から大学に移る生徒もいたそうですが、高田さんは、すでに一浪していたことから、とても、そんなテンションにはなれず、真面目にこの専門学校に通い、無事、卒業されたのでした。