東北大学大学院で修士論文を執筆中、日本民俗学の父・柳田國男氏と出会い、その際にかけられた言葉により、日本の昔話の研究を始めたという、小澤俊夫(おざわ としお)さん。

今回は、そんな小澤俊夫さんの、若い頃から現在までの活動や経歴を時系列でご紹介し、最後に著書もご紹介します。

小澤俊夫

「小澤俊夫の生い立ちは?大学時代グリム童話をきっかけに昔話を研究し始めていた!」からの続き

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小澤俊夫は大学院で修士論文を執筆中に柳田國男と運命的な出会いを果たしていた

小澤俊夫さんは、大学卒業後も研究を続けるため、東北大学大学院へ進んで、修士論文の執筆に励んでいたそうですが、どうしても参照したいドイツの専門雑誌があり、調べてみると、

その雑誌は、日本民俗学の父と称される柳田國男さんの研究所にのみ所蔵されていることが分かったそうで、胸を高鳴らせながら研究所を訪ね、雑誌を見せてもらったそうですが、

帰り際、柳田国男さんから、研究テーマについて聞かれ、緊張しながら説明を始めると、

柳田国男さんが、

ちょっと待って

と言い、

なんと、小澤俊夫さんの言ったことをノートに書き留め始めたそうで、80歳を超える大学者が20代の若者から学ぼうとする姿に、

小澤俊夫さんは、

真の学者とはかくあるべきか

と、深く感動したのだそうです。

小澤俊夫は柳田国男の一言で日本の昔話の研究を決意していた

そんな小澤俊夫さんは、学んだばかりの知識に、嬉しさのあまり、夢中で話し続けたそうですが、

いよいよ、おいとましようとした時、

柳田国男さんは、

君、グリム童話を研究するなら、日本の昔話もやらなくてはいけないよ

と、アドバイスをしてくれたそうで、

この言葉に、小澤俊夫さんはハッとし、

そうだ、日本人である私がまず取り組むべきは、自国の昔話なのだ

と、思ったそうで、

この瞬間、日本の昔話を研究しようと決意したのだそうです。

小澤俊夫の研究者としての3つの信念とは?

ちなみに、小澤俊夫さんは、グリム童話から始まり、ずっと昔話を研究してきたそうですが、

研究者になるために、

  • 幅を広げないようにすること
  • 人より3倍時間をかけること
  • 人より長期間やること

と、3つのことを決めていたそうで、

小澤俊夫さんは、その理由について、

才能のありすぎる人はいろんなことをやりたがり、まとまった成果を上げられなくなります。

と、語っています。

(小澤俊夫さんが大学に入学した時、専攻していたドイツ文学では、優秀な仲間がたくさんおり、それに比べると自分は並の研究者だと気づいたそうで、昔話の研究者になるためにはどうしたらいいか考えた末の結論だったそうです)

小澤俊夫の現在は?

そんな小澤俊夫さんは、1956年、26歳の時、大学院を卒業すると、その後、東北薬科大学でドイツ語を教えながら、グリム童話の研究も続け、

1966年、36歳の時には、初めてドイツに渡航し、世界のメルヘンの百科事典を制作する手伝いのため半年間滞在すると、その数年後には、ドイツ・マールブルク大学に客員教授として招かれ、2年間ドイツに滞在。

そして、1992年、62歳の時には、「昔ばなし大学」を全国で開講し、1998年、68歳の時には、「小澤昔ばなし研究所」を設立するほか、

FM福岡のラジオ番組「小澤俊夫 昔話へのご招待」やアニメ「むかしばなしのおへや」での再話、昔話、メルヘンの選集を多数出版するなど、昔話の普及を続けています。

(その間、1963年、33歳の時、日本女子大学の助教授となると、その後、教授となり、1981年、51歳の時には、筑波大学教授、1990年、60歳の時には、筑波大学副学長、1994年、64歳の時には、筑波大学名誉教授と白百合女子大学教授を歴任し、2000年に退職しています)

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小澤俊夫の著書

それでは最後に、小澤俊夫さんの著書(単著)をご紹介しましょう。

などを出版しており、

1978年から2018年までの40年間に渡り、昔話研究の分野で多くの重要な著書を発表しています。

「小澤俊夫の顔は1歳の時のやけどが原因!幼少期からイジメに苦しんでいた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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