1974年4月、文化放送にアナウンサーとして入社すると、人がやらない奇抜な企画で注目を集めて、文化放送を代表する人気パーソナリティーの地位を確立し、

その後、テレビ業界に進出すると、「夕やけニャンニャン」「11PM」「ぴったし カン・カン」などの司会で人気を博した、吉田照美(よしだ てるみ)さん。

ただ、そんな吉田照美さんも、中学生の時にコミュニケーション障害のような状態になると、どんどん酷くなり、大学進学後は、この状態を克服しようとアナウンス研究会に入るも、大恥をかいていたそうで、

その悔しさを晴らすため、アナウンサーの専門学校「アナウンスアカデミー」に通うほか、深夜ラジオのアナウンサーの喋り方のマネをして、話し方の訓練をしたといいます。

今回は、吉田照美さんの生い立ち(幼少期~大学時代まで)をご紹介します。

吉田照美

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吉田照美のプロフィール

吉田照美さんは、1951年1月23日生まれ、
東京都葛飾区の出身、

血液型はO型、

学歴は、
葛飾区立葛飾小学校
江戸川区立小岩第三中学校
⇒東京都立小岩高等学校
⇒早稲田大学政治経済学部経済学科卒業

趣味は、読書、映画鑑賞、パソコン、

特技は、絵画(色鉛筆画、油絵)、

ちなみに、「吉田照美」は本名で、子供の頃は「照美」という女性のような名前が嫌だったといいます。

吉田照美が幼い頃は人と接することが苦手な物静かな子供だった

吉田照美さんは、製紙会社に勤めるお父さんのもと、一人っ子として誕生すると、幼い頃は、(一人っ子のため)家に子供は自分しかおらず、両親にかわいがられて育ったそうですが、

そのせいか、人と接することがとても苦手で、一人でいることが全く苦にならない、物静かな男の子だったそうです。

吉田照美は幼稚園の頃から漫画を読むのが好きだった

また、製紙会社に勤めていたお父さんは、紙の原料にするための漫画雑誌や少年雑誌を、(会社にとっては大事なものですが)子供が喜ぶと思い、こっそりと持って帰ってきてくれたそうで、

吉田照美さんは、漫画を読むことが大好きになり、小学生の時には、将来は漫画家になりたいと思うようになったそうです。

(そのため、漫画の漢字やセリフは幼稚園の頃から読めるようになっていたそうです)

ちなみに、吉田照美さんは、

小学生のころは、漫画家や絵描きになりたかったんです。でも、周りの大人からは「そんなんじゃ食べていけないよ」と諭されるばかりで。下町の少年が、将来絵を描いて身を立てるなんてありえない時代だったんでしょう。

と、語っています。

吉田照美は小学校時代は明るく成績優秀で女の子にモテていた

そんな吉田照美さんは、次第に友達と話をすることが好きになり、テレビや漫画の話題で友だちと盛り上がるような明るい少年へと成長したそうで、

学校の成績も良く、背も高かったことから、女の子にもモテたそうですが・・・

吉田照美は中学時代は成績が下がり暗い毎日を送るようになっていた

中学校に入ってしばらくすると、勉強をしなくなったことから成績が下がったそうで、

いつしか、小学生時代の成績優秀だった頃を知っている両親の期待に応えられないことに、「何も取り柄がない」と自分で自分にレッテルを貼るようになり、どんどん目立たない方に引っ込んでいったのだそうです。

また、その頃、好きな女の子がいたそうですが、その子は勉強ができて運動神経のいい優等生タイプだったため、コンプレックスから近づくこともできなかったそうで、焦りながらも勉強に身が入らない暗い日々を過ごしたのだそうです。

吉田照美の中学時代は絵を描くことが唯一の救いだった

ただ、そんな中、子供の頃から好きだった絵を描くことが唯一の救いだったそうで、

特に、ダリの「記憶の固執」という作品に衝撃を受けた感動が今でも忘れられないといいます。

(現在もラジオの仕事をしながら絵画制作を続けているそうですが、それは、この時の体験が原点になっているそうです)

吉田照美は大学受験に失敗し将来の不安からノイローゼ、幻聴、被害妄想に悩まされるようになっていた

そんな吉田照美さんは、高校進学後も、大学受験直前まで絵画制作を続けていたそうですが、大学受験に失敗し、浪人することになると、中学時代から始まっていたコミュニケーション障害のような状態は更に酷くなり、

将来の不安から、ノイローゼ、幻聴、(近所の人が自分の噂話をしているのではないかとの)被害妄想に悩まされるようになったのだそうです。

吉田照美は大学進学後はコミュニケーション障害を克服する為アナウンス部に入部していた

それでも、一浪の末、早稲田大学に合格すると、ようやく救われたそうですが、

とにかく暗く、なんでもマイナス、ネガティブに考えるようになっていたため、

この考え方を直さないといけないな

これからは人とのコミュニケーションを大事にして、誰とでもふつうにしゃべれるようになりたい

と、思い、

一念発起してアナウンス部に入部すると・・・

(この頃は、漠然と、大学卒業後は銀行に就職するのでは、と考えていたそうで、まだ、アナウンサーになりたいとは全然考えていなかったそうです)

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吉田照美は大学のアナウンス部では発表会で大恥をかいていた

アナウンス部では、100人もの部員たちの前で、テーマが与えられ、そのテーマでフリートークをする3分間の発表会があったそうですが、

吉田照美さんは、緊張のあまり、自分の名前以外一言も発することができず、公開処刑のように、さらし者になってしまい、口では言い表せないほどの悔しさを味わったそうで、

(誰も戻って来るよう言ってくれなかったそうです)

その後、アナウンサーの専門学校「アナウンスアカデミー」に9ヶ月通うと、大学2~3年生の時には、深夜ラジオ「パックインミュージック」にハマって夢中で聴くようになり、アナウンサーの小島一慶さんの喋り方のマネをしつつ、話し方の訓練をしたのだそうです。

「吉田照美の若い頃(文化放送時代)はラジオ「てるてるワイド」等が大ヒット!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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