1960年、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の制作現場で、「それいけ!アンパンマン」の原作者のやなせたかしさんと知り合うと、以降、「手のひらを太陽に」「それいけ!アンパンマン」など、240曲以上の楽曲を共作した、いずみたくさん。

今回は、そんないずみたくさんとやなせたかしさんの出会い、2人の共作のエピソードなどについて、ご紹介します。

いずみたくとやなせたかし

「【画像】いずみたくの若い頃から死去までのヒット曲ほか経歴は?」からの続き

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いずみたくとやなせたかしの出会いはミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の制作現場だった

いずみたくさんとやなせたかしさんは、1960年のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の制作現場で出会ったそうで、

いずみたくさんは、やなせたかしさんについて、著書「アンパンマンの遺書」で、

やなせサンはとても不思議な人だ

ヒューマニズムに溢れた、彼の漫画のような詩はとても作曲しやすかった

と、綴っています。

(「見上げてごらん夜の星を」は、1960年7月、大阪フェスティバルホールで初演が行われると、大ヒットとなりました)

実は、共通の友人である永六輔さん(作詞・演出担当)が、2人に声をかけていたそうで、

いずみたくさんは、永六輔さんに依頼され作曲を担当したそうですが、この作品は、いずみたくさんにとって、初めてのミュージカル作品だったそうです。

また、やなせたかしさんも、永六輔さんに誘われて舞台美術を担当したそうですが、やなせたかしさんにとっても、ミュージカルの仕事は初めてだったといいます。

(さらに、やなせたかしさんは、作曲家と知り合ったのもいずみたくさんが初めてだったそうです)

いずみたくとやなせたかしの共作「手のひらを太陽に」は世代を超えて歌い継がれる名曲

そんないずみたくさんとやなせたかしさんは、以降、交流を深めると、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」が上演された翌年の1961年には、いずみたくさんがやなせたかしさんに「手のひらを太陽に」の作曲を依頼され、宮城まり子さんの歌唱で発表されているのですが、

1962年には、NHK「みんなのうた」で取り上げられると、瞬く間にお茶の間で人気を博し、1969年には、小学校の音楽の教科書にも掲載されるようになるなど、世代を超えて、現在も、歌い続けられている名曲となっています。

「手のひらを太陽に(宮城まり子)」

(やなせたかしさんは、構成を担当していた日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の「ニュースショー」で、「今月の歌」として作詞をすることになり、「手のひらを太陽に」を作詞したそうですが、番組側から「知っている作曲家は?」と聞かれ、いずみたくさんに作曲を依頼したのだそうです)

いずみたくとやなせたかしの共作「0歳から99歳までの童謡」シリーズはロングセラー

その後、1960年代後半には、いずみたくさんが、数多くのヒット曲を連発し、一躍、人気作曲家となったことから、一時、やなせたかしさんが、遠慮して離れていた時期もあったそうですが、以降も、2人は長きに渡って共に曲を作り続けたそうで、

1973年には、やなせたかしさんが、

みんなが気軽に歌える歌を毎月一つずつ作ろう

との思いから、

自身が編集長を務めた月刊誌「詩とメルヘン」(1973年創刊)で、創刊2号(1973年8月刊行)から「0歳から99歳までの童謡」シリーズを開始すると、

いずみたくさんとやなせたかしさんは、無償で月に1曲、童謡を作り、毎月、出来上がった童謡の歌詞と楽譜をイラストと共に「詩とメルヘン」に掲載し続けたそうで、

このコラボレーションは、断続的ではあったものの、1992年、いずみたくさんが他界されるまで続き、「0歳から99歳までの童謡」シリーズは、今も歌い継がれているロングセラーとなっています。

ちなみに、いずみたくさんとやなせたかしさんには、

商業的なことは何も考えずに、ただ良い歌を作る

との共通の思いがあったそうで、

童謡は、年齢や制限などの区別がなく、どんな人も楽しむことができる

と考えていたやなせたかしさんに、いずみたくさんが共感し、「0歳から99歳までの童謡」シリーズの企画が実現したのだそうです。

いずみたくはやなせたかしのアニメ「それいけ!アンパンマン」の楽曲制作もしていた

そんないずみたくさんとやなせたかしさんは、そのほかにも、やなせたかしさんの代表作となるアニメ「それいけ!アンパンマン」の楽曲にいずみたくさんが携わっており、

1976年には、いずみたくさんが六本木に開設した小劇場「アトリエフォンテーヌ」で、ミュージカル「怪傑アンパンマン」が上演されています。

「あんぱんまんのうた」
「あんぱんまんのうた」

いずみたくの遺作は「すすめ!アンパンマン号」

また、いずみたくさんは、1992年にも、ミュージカル「それいけ!アンパンマン アンパンマンと勇気の花」の劇中歌「すすめ!アンパンマン号」の作曲を担当しているのですが、

いずみたくさんは、この時、病床に伏しており、鉛筆を持つ力もなかったそうで、

いずみたくさんの奥さんは、

この歌は他の人に頼みましょう

と、提案したそうですが、

いずみたくさんは、

いや、僕が作曲する。僕が口でメロディーを言うから、写譜してくれ

と、奥さんに口頭でメロディを伝え、それを奥さんが楽譜に書き起こして完成させたといいます。

(いずみたくさんは、この「すすめ!アンパンマン号」完成直後の1992年5月11日に、62歳で他界されており、「すすめ!アンパンマン号」が、いずみたくさんの遺作となっています)

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いずみたくの努力を続ける姿にやなせたかしは信頼と尊敬の念を抱いていた

ちなみに、いずみたくさんの死後、やなせたかしさんは、アンパンマン以外の童謡は一切作らなくなっており、

やなせたかしさんは、著書「ボクと、正義と、アンパンマン」の中で、

誰とでも仕事をするというほどボクは器用ではありませんので、この仕事はいずみたくの死で終わったと思っています

と、綴っています。

また、やなせたかしさんは

詩の言葉を大切にして作曲してくれるから、たくちゃんの曲が好きなんだ

と、しばしば周囲に語っていたそうですが、

やなせたかしさんは、いずみたくさんの詞が素晴らしいのはもちろんのこと、人気絶頂の頃でも作曲の勉強をしている、その努力を続けている姿に、仕事仲間として信頼と尊敬の念を抱いており、楽曲では一番多くタッグを組んだ作曲家がいずみたくさんだったといいます。

「いずみたくの結婚歴は結婚5回に離婚4回!妻達との馴れ初めと離婚理由は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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