1960年、17歳の時、「若い素肌」の主演で女優デビューすると、1963年には、植木等さんのサラリーマン映画「日本一」シリーズや「クレージー作戦」シリーズでヒロインを務めて人気を博し、
1967年、23歳の時には、「007」でボンドガールを演じると、たちまち、世界の脚光を浴びた、浜美枝(はま みえ)さん。
今回は、そんな浜美枝さんの若い頃(女優デビュー)から現在までの経歴や出演作品(映画、テレビドラマ)をご紹介します。

「浜美枝の生い立ちは?幼少期から母親に代わって家事!中卒後はバスガイド!」からの続き
浜美枝は17歳の時に「若い素肌」の主演で女優デビュー
中学卒業後、バスガイドをしていたという浜美枝さんは、1959年、16歳の時、スカウトされ、東宝映画の「侍とお姉ちゃん」のコンテストに参加したそうですが、
このことをきっかけに東宝に入社すると、翌1960年、17歳の時には、「若い素肌」の主演で女優デビューを果たしています。

「若い素肌」より。矢代和雄さんと浜美枝さん。
浜美枝は植木等の「日本一」「クレージー作戦」シリーズのマドンナ役で人気を博していた
そして、同年(1960年)、星由里子さん、田村奈巳さんと共に、「東宝スリーペット」として売り出されると、

(左から)田村奈巳さん、星由里子さん、浜美枝さん。
以降、
- 1960年「新・三等重役 亭主教育の巻」
- 1961年「暗黒街の弾痕」
- 1961年「福の神 サザエさん一家」
- 1961年「社長道中記」
- 1961年「B・G物語 二十才の設計」
- 1961年「ゲンと不動明王」
- 1962年「キングコング対ゴジラ」
- 1962年「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」
- 1963年「にっぽん実話時代」
- 1963年「五十万人の遺産」
- 1963年「若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん」
などの映画に出演し、
その後、「日本一のホラ吹き男」などの「日本一」シリーズや「クレージー作戦」シリーズなど、植木等さんのサラリーマン映画にマドンナ役として出演すると、
日本人離れした彫りの深い顔立ちに、パンツスーツやスカートスーツを着こなし、颯爽(さっそう)と働く快活で都会的な姿が、これからどんどん伸びていく高度成長期の日本を象徴する存在として人気を博したのでした。

浜美枝さんと植木等さん。
浜美枝は21歳の時に「世界詐欺物語」の「日本篇」を見たジャン・リュック・ゴダール監督から出演オファーを受けていた
そんな浜美枝さんは、1964年、21歳の時には、フランス制作の、5人の監督によるオムニバス映画「世界詐欺物語」の「日本篇」(堀川弘通監督)に出演しているのですが、
1964年5月上旬には、フランス・パリで行われたプレミアショーで上映されたことから、その挨拶のために渡仏すると、
ロケハンのためにヨーロッパを訪れていた東宝の映画プロデューサー・藤本真澄さんを通して、「日本篇」を観たフランスの巨匠・ジャン・リュック・ゴダール監督から、次回作「恋人たちの時間」に出演してほしいと、オファーを受けたそうで、
浜美枝さんは、藤本真澄さんと共に、同月(5月)に開催されたカンヌ国際映画祭に出席し、ジャン・リュック・ゴダール監督に会ったそうですが・・・

「世界詐欺物語」の「日本篇」より。
浜美枝はジャン・リュック・ゴダール監督からの出演オファーを断っていた
浜美枝さんは、映画のストーリーもシナリオも何も知らされていなかったそうで、東宝を通して、せめてどんなストーリーになるか教えてほしいとお願いしたそうですが、何もないとの返事だったそうで、
浜美枝さんは、映画はシナリオが重要だと考えており、フランス語ができなかったこともあり、結局、このオファーを断ったのだそうです。
とはいえ、浜美枝さんは、ジャン・リュック・ゴダール監督が1966年4月28日に初来日し、日本に滞在中の5月3日に会食し、5月6日、浜美枝さんが成城の自宅でパーティーを開いた際には、ジャン・リュック・ゴダール監督を招待しており、良好な関係を築いていたことが分かります。
ちなみに、ジャン・リュック・ゴダール監督は、1950年代末から始まったフランスの映画運動「ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)」のリーダー的存在で、
それまでの映画は「スタジオで、完璧な脚本と照明を使って撮るもの」という常識があったところ、ジャン・リュック・ゴダール監督はそれを無視し、街へ飛び出し、手持ちカメラで、即興的に映画を撮り始めたことから、これが当時の映画界に衝撃を与えたそうですが、
浜美枝さんが出演オファーを断った理由の1つである「シナリオがない」のは、ジャン・リュック・ゴダール監督は、このように、型にはまらない自由さを追求していたからでした。
(撮影当日にセリフを書くことも珍しくなかったそうです)
浜美枝は23歳の時に「007は二度死ぬ」のボンドガールでハリウッドデビューすると世界の脚光を浴びていた
こうして、巨匠の出演オファーを断った浜美枝さんですが、1967年、23歳の時には、「007は二度死ぬ」のボンドガール(ジェームズ・ボンドの妻・キャシー鈴木役)でハリウッドデビューすると、一躍、世界の脚光を浴びています。
(浜美枝はさんは、「007は二度死ぬ」では、白いビキニ姿などを披露しているのですが、その美しさから、「和製ブリジッド・バルドー」と称され、アメリカの「プレイボーイ」誌にも掲載されています)

「007は二度死ぬ」より。ショーン・コネリーさんと浜美枝さん。
浜美枝は「007は二度死ぬ」でボンドガールとして起用されるも辛い経験だった
ちなみに、浜美枝さんは、それまで、「007」シリーズを観たことがなく、世界的な大ヒット作品であることも全く知らなかったといいます。
そんな中、1966年、「キングコング対ゴジラ」(1962年)でキングコングに思いを寄せられる少女の役を演じていた浜美枝さんを見たという「007」のルイス・ギルバート監督から、「007は二度死ぬ」のオーディションのオファーを受けると、見事、合格したそうですが、
撮影の準備のため、ロンドンへと向かうと、そこで、映画会社のスタッフに旅行カバンの中身を見せてほしいと言われたそうで、
(この時、浜美枝さんは、自分自身に何が起こっているのか、正確に理解していなかったそうです)
言われるがままにカバンを開けて、数着のTシャツとジーンズを見せると、
あなたは今日からボンドガールです。服も宝石もすべてこちらで用意します
と、言われたそうで、
体重、ハイヒールの高さなど、何もかも誰かに決められたそうで、とても贅沢な話ではあったものの、浜美枝さんにとっては、とても辛いことだったといいます。
また、撮影が始まってからも、右も左も分からない撮影現場に戸惑い、撮影中は孤独を感じていたのだそうです。
ただ、そんな中、ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーさんは、毎朝、「大丈夫?心配事はない?」と声をかけてくれたそうで、その優しさが大きな心の支えとなったのだそうです。
浜美枝は27歳頃に東宝を退社していた
それでも、「007は二度死ぬ」出演後は、ハリウッドからも出演依頼が殺到したそうですが、ハリウッド映画への出演は、この「007は二度死ぬ」一度きりで、
1969年に結婚すると、「普通の生活がしたい」と思うようになり、1970年には、東宝を退社したそうで、
浜美枝さんは、
ボンドガール役をいただいたのは光栄なことでしたが、一度経験すればもう充分です
あの役のイメージがどこまでもついて回るのは嫌でした。実際の私は内気で堅い性格なのに、私の手の届かないところで誰かが『浜美枝』という名の人物を作り上げているような気がしていました
と、語っています。
浜美枝は東宝退社後はフリーとして活動し「小川宏ショー」「八木治郎ショー・いい朝8時」「日曜美術館」などのテレビ番組の司会で新境地を開拓していた
その後、浜美枝さんは、フリーとして、テレビドラマなどに出演するほか、
- 1975~1976年「小川宏ショー」
- 1980~1983年「八木治郎ショー・いい朝8時」
- 1984~1987年「日曜美術館」
などのテレビ番組の司会(アシスタント)、
- 1983~1996年「浜美枝のいい人みつけた」
- 2001~「浜美枝のあなたに逢いたい」
などのラジオ番組のパーソナリティを務め、新境地を開拓しています。
また、浜美枝さんは、1970年代後半~1990年代の長い間、ライオンの洗濯用洗剤「トップ」のCMに出演し、お茶の間の人気を博しています。

ライオンの洗濯用洗剤「トップ」のCMより。
浜美枝の現在は?
そんな浜美枝さんは、1990年代初めには、実質的に女優業を引退しており、
現在は、昔ながらの農園、日本の農業(技術)、食文化を守り伝える活動を行っているほか、ラジオ番組「浜美枝のいつかあなたと」で、ゲストを迎えて食や暮らしについて発信を続けています。
また、浜美枝さんは、1975年頃から箱根に移住しているそうで、富山、福井、石川などの山間部から、古民家の柱、梁、建具などの廃材を集めて再利用して建てた自宅に住み、
好きな美術品や厳選した道具に囲まれて暮らしながら、自然に寄り添う丁寧な暮らしを実践しているそうで、ライフコーディネーターとして、執筆や講演活動も行っているそうです。
(浜美枝さんが暮らしている古民家は「箱根やまぼうし」として、展覧会やコンサートなどのイベントも開催しているそうで、その際には、大広間のみ解放しているそうです)

浜美枝さんの自宅。
浜美枝の出演作品(映画)
それでは、最後に、浜美枝さんの主な出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1960年「若い素肌」※主演
- 1961年「社長道中記」
- 1962年「キングコング対ゴジラ」※ヒロイン
- 1963年「青島要塞爆撃命令」
- 1963~1966年、1968年、1970年「日本一シリーズ」※ヒロイン
- 1963~1964年、1967~1968年「クレージー作戦シリーズ」※ヒロイン
- 1964年「乱れる」
- 1965年「国際秘密警察 鍵の鍵」
- 1966年「奇巌城の冒険」
- 1967年「007は二度死ぬ」※ヒロイン
- 1968年「昭和のいのち」※ヒロイン
- 1969年「嵐の勇者たち」
- 1970年「喜劇 負けてたまるか!」
- 1971年「3000キロの罠」
- 1975年「がんばれ!若大将」
- 1989年「キッチン」
浜美枝の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1967年「太陽のあいつ」
- 1968年「かけだし天使」
- 1969年「フルーツシリーズ第6弾 レモンスカッシュ4対4」第1話
- 1970年「産米・歯科」第1シリーズ
- 1971年「オパールとサファイア」
- 1972年「太陽にほえろ!」第4話

「太陽にほえろ!」より。浜美枝さんと萩原健一さん。 - 1973年「新選組」第14話
- 1974年「ぶらり信兵衛 道場破り」第22話
- 1975年「同心部屋御用帳 江戸の旋風」
- 1977年「チーちゃん ごめんね」※主演
- 1978年「薔薇海峡」
- 1979年「吉宗評判記 暴れん坊将軍」第50話
- 1980年「土曜ナナハン学園危機一髪 ちゅうちょの母の物語」
- 1982年「銭形平次」第808話
- 1985年「妻はなぜ夫を棄てたか」※主演
- 1986年 火曜サスペンス劇場 「チョコレートゲーム」※主演
- 1990年「いつも誰かに恋してるッ」

「いつも誰かに恋してるッ」より。
ほか、多数出演しています。
浜美枝の著書
また、浜美枝さんは、
- 1982年「やまぼうしの花咲いた:浜美枝の育児エッセイ」(1982年、文園社)
- 1983年「逢えて、よかった:浜美枝の手づくり紀行」(1983年、文化出版局)
- 1984年「浜美枝の「いい人みつけた」」(1984年、文園社)
- 1986年「浜美枝のマナーはおしゃれに ひとに好かれる魅力の心得」(1986年、開隆堂出版)
- 1992年「花織の記 浜美枝の自分探しエッセイ」(1992年、文園社)
- 1994年「毎日の幸せおかず 娘たちへ」(1994年、講談社)
- 1996年「四季の贈りもの」(1996年、PHP研究所)
- 1998年「「美しい暮らし」を探す旅人」(1998年、求龍堂)※福原義春さんとの共著
- 2000年「旅のおみやげ」(2000年、TaKaRa酒生活文化研究所)
- 2000年「旅のおみやげ 2」(2000年、TaKaRa酒生活文化研究所)
- 2002年「正直な作り手の味」(2002年、集英社be文庫)
- 2003年「浜美枝農と生きる美しさ」(2003年、家の光協会)
- 2005年「私の骨董夜話 人との出会い、ものとの出会い」(2005年、リヨン社)
- 2006年「やさしくて正直な「食の作り手」たち」(2006年、家の光協会)
- 2007年「子どもの「おいしい!」を育てる 大切にしたい親子の食卓」(2007年、すばる舎)
- 2009年「浜美枝凛として、箱根暮らし」(2009年、主婦の友社)
- 2016年「孤独って素敵なこと」(2016年、講談社)
など、著書も多数出版しています。
「浜美枝の夫は金子満!子供は息子2人娘2人!現在は次男一家と箱根で同居!」に続く
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1975年頃には、神奈川県・箱根の大自然に囲まれた場所に、廃材を再利用して建てた自宅に移り住むと、1990年代には、実質、女優業も引退し、現在は、ライフコーディネーターとして、執筆や講演活動も行っているという、浜美枝(は …









































