1980年代~1990年代前半、数多くのテレビドラマや映画でヒロインや主演を務めるほか、1994年には、シングル「愛が生まれた日」がミリオンセラーとなった、藤谷美和子(ふじたに みわこ)さん。
そんな藤谷美和子さんは、演技派女優と称賛される一方で、奇行が目立ったことから、”プッツン女優”と呼ばれましたが、現在はどうされているのでしょうか。
今回は、藤谷美和子さんが”プッツン女優”と呼ばれた言動の数々と近年の様子をご紹介します。

「【画像】藤谷美和子の若い頃から現在までの出演ドラマ映画ほかヒット曲は?」からの続き
藤谷美和子はなぜ”プッツン女優”と呼ばれていた?
藤谷美和子さんは、かつて、”プッツン女優”と呼ばれていたのですが、その理由となった言動や出来事をご紹介します。
ロケ中に突然失踪していた
藤谷美和子さんは、1984年、映画「海燕ジョーの奇跡」で主演を務めているのですが、フィリピンでのロケ中、突然、失踪していたといいます。
そんな主演が失踪するという緊急事態に対し、奥山和由プロデューサーは、急遽、藤谷美和子さんに背格好が似ているフィリピン人女性を代役にし、顔に白粉を塗るなどのメイクをして、クライマックスとラストシーンの撮影を強行したそうですが、
結局、藤谷美和子さんが失踪した理由は明らかにはなっていません。
ちなみに、代役については、白粉を塗っていたせいか、アップでの撮影にもかかわらずバレなかったといいます。

「海燕ジョーの奇跡」より。藤谷美和子さんの代役を務めたフィリピン人女性
バラエティ番組での発言が一般感覚が欠如してエキセントリックだった
藤谷美和子さんは、1990年代中頃以降から、女優というよりは、バラエティタレントとしての活動がメインになっていたのですが、
「踊る!さんま御殿!!」などに出演した際には、一般感覚の欠如したエキセントリックな言動や天然な発言を繰り返していました。
テレビドラマや映画を途中降板していた
藤谷美和子さんは、1986年、山田洋次監督作品「キネマの天地」でヒロインに起用されているのですが、
同年4月28日、製作発表記者会見に出席した際には、脚本家の山田太一氏・井上ひさし氏・朝間義隆氏、製作の野村芳太郎氏、山田洋次監督など、錚々(そうそう)たる制作陣を前に、
眠いの、眠い。疲れちゃって・・・
など、わがままな発言を連発し、会見の空気を凍りつかせています。
そして、撮影が始まってからも、セリフを全く覚えてこなかったり、しばしば遅刻していたとのことで、
共演者から、
もうあの子とは一緒にやりたくない
とのクレームが続出し、5月上旬には降板が決まっています。
(降板させられたのか、藤谷美和子さんの方から降板を申し出たのかは不明です)
さらに、同年、テレビドラマ「週末物語」では、ロケに入ってわずか3日後に降板していたといいます。
舞台挨拶で突然泣き出すほか自殺未遂騒動も
また、藤谷美和子さんは、同年(1986年)、映画「道」でヒロインを務めると、無事、撮影が終わり、映画も公開されたのですが、
同年9月6日、舞台挨拶が行われた際には、突然、舞台上で泣きだしています。
(共演者とスタッフは困り果てたといいます)
そして、その舞台挨拶から3日後の9月9日には、藤谷美和子さんは、渋谷区内の自宅マンションで自ら救急車を呼び、東京女子医大病院に緊急入院しており、
自殺未遂かと報じられたのですが、後日、自宅前での直撃取材に対し、藤谷美和子さんは、
キャハハハ、私、撮られちゃってます?キャハハハ
と、おどけるだけで何も答えませんでした。
(この騒動後、藤谷美和子さんは、所属事務所との契約が解除となり、早稲田大学第二文学部を受験(不合格)するほか、米国へ語学留学したといいます)
藤谷美和子は40歳の時に皇居侵入未遂事件を起こしていた
そんな藤谷美和子さんの奇行はその後も続いたそうで、2003年6月26日には、突如、皇居坂下門にタクシーで乗り付けると、警戒中の警備員に開門を要求したそうで、
当然ながら、拒否されると、警備員に詰め寄り、
秋篠宮殿下は私の弟、紀宮さまは私の妹。早く通して下さい。
紀宮さまにお会いしてお手紙を渡したいのです。
と言って、押し問答の末、約1時間タクシー内に立てこもり、
駆けつけた警察庁丸の内署に諌(いさ)められて、ようやく帰宅したそうですが、
現場は一時騒然となったそうで、この一連の出来事は、ニュース番組などでも「事件」として大きく報じられました。
(「紀宮さま」とは、この1年後、東京都職員・黒田慶樹氏と結婚した紀宮清子内親王(現・黒田清子(くろだ さやこ)さん)のことなのですが、藤谷美和子さんは、周囲から紀子妃や紀宮さまに似ていると言われていたことから、親近感を持ち、手紙を贈りたかっただけのようです)
藤谷美和子は49歳の時に小田原で”徘徊生活”を送っていると報じられていた
以降、藤谷美和子さんは、表舞台で見ないようになっていき、2005年に結婚すると、2006年には、事実上、引退状態となっていたのですが、
2012年4月には、神奈川県小田原市内で徘徊生活を送っていることが報じられました。
藤谷美和子さんは、2009年頃から、サングラスをかけてキャップを目深にかぶり、キャリーバッグをガラガラ引いて、市内を歩き回り、ゴミ袋を両手に持って同じところをぐるぐる回ったり、ほぼ毎日、午後5時半に小田原駅前のロータリーに現れていたそうで、
周辺の住民たちは、
昨日と今日は姿を見ませんが、2日前までキャリーバッグを引きずって1人で歩く姿がありました。キャップを目深にかぶって、すごいスピードで歩いています。何年も前から見ています
道端で見ると、すごいスピードで歩いているんですが、急に座り込んだりもするんです。また、デパートの自然食品店でカレールーをよく買ったり、駅前のベンチに座り、パンを食べたりしています
などと、語っていたといいます。

小田原で”徘徊生活”をしていると報じられた藤谷美和子さん。
そこで、「日刊スポーツ」(2012年4月6日付け)の記者が、小田原駅前のロータリーで藤谷美和子さんが現れるのを待っていると、藤谷美和子さんは、住民が証言した午後5時半には姿を見せなかったものの、午後8時半頃、白いコートを着て改札前に姿を見せたそうで、
記者が、「藤谷さんですか」と声をかけると、藤谷美和子さんは、一旦は、「違います」と言って、立ち去ろうとしたそうですが、記者が「日刊スポーツです」と続けると、立ち止まり、取材に答え始めたそうで、
記者が、女優復帰の意思があるかどうかを問うと、藤谷美和子さんは、
自分をメディアに出さないようにと書いてある紙が出回っているから出られない。女優としては昔のような作品には出たいけど、今は出たいと思う作品がない。印税が自分にちゃんと入って納得できる作品なら出たいです。
今は女優よりもデザインや建築、映像関係の仕事がしたい。
と、答えたといいます。
(「(藤谷美和子さんが)熱海のスナックで働いていると聞いた」と証言する周辺住民もいたそうですが、藤谷美和子さんが熱海のスナックで働いていたという確たる証拠はなく、詳細は不明です)
藤谷美和子は空き地で野良猫の世話をしていた
また、藤谷美和子さんは、自宅マンションのそばの空き地の一角に、柵で囲ってスペースを作り、その中に、酒店が使うキャリーケースを置いて”猫小屋”を作り、ここで野良猫を飼って世話をしているそうで、
藤谷美和子さんは、「日刊スポーツ」の取材に対し、
猫ちゃんを何とか誰かの家で暮らさせてあげたい。それが今の私のやらなきゃいけないことです。
と、語っていたといいます。
(ボサボサの頭で派手なキャリーバッグを引っ張り、夏は日傘、冬は発泡スチロールで”猫小屋”を覆って、ここで猫の世話をしているところを目撃されています)
ちなみに、近隣住民によると、
藤谷さんがかわいがっている野良猫がいるんです。3年ほど前に飼い主が亡くなってしまい、それから藤谷さんが面倒を見るようになりました。水やエサやりのほか、寒さ対策なのか、アルミで覆われた小屋を手作りするなどしています。1週間に5日くらい見ますね
とのことでしたが、
その後、不動産業者から苦情が出たそうで、”猫小屋”はキレイに片付けられ、猫もいなくなったといいます。
ただ、別の住民は、
近所のおばあちゃんが亡くなり、残された飼い猫を不憫(ふびん)に思って世話を始めたんだろうね。キャスターに水やキャットフードを入れて通っていた。でも、(猫がいなくなった)今も同じスタイルで歩いてるけどね(笑)
と、語っており、
今でも、多い時には、週に4日ほど、藤谷美和子さんの姿を見かけるといいます。
藤谷美和子の奇行は病気が原因?
そんな藤谷美和子さんの、様々な”奇行”の原因ですが、
1980年代、”プッツン女優”と呼ばれた時代は、交際していたアートディレクターと破局したことをきっかけに、体調不良、精神不安定に陥っていたことが原因と言われていたのですが、
2012年に”徘徊生活”が報じられた際には、夫の岡村俊一さんが、「更年期に伴う心身の不調」があると明かしており、いずれも、精神的に不安定な状態にあるのが原因と考えられています。
また、ネット上では、藤谷美和子さんが「統合失調症」「認知症」だとも言われていますが、これは、藤谷美和子さんの度重なる言動や行動から推測されたもののようで、公表されている訳ではなく、本当に「統合失調症」「認知症」であるかは不明です。
「藤谷美和子の夫・岡村俊一との馴れ初めは?結婚後の夫婦関係は?子供は?」に続く
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