長嶋茂雄は天覧試合ではサヨナラ本塁打の前に同点本塁打も打っていた! 野球 1959年6月25日、後楽園球場で行われたプロ野球試合初の天覧試合では、天皇・皇后両陛下のお目当てが自身であることを知り、緊張のあまり、普段は張り上げている甲高い声を出すことも忘れていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお […] 続きを読む
長嶋茂雄は天覧試合では緊張のあまり足の震えが止まらなかった! 野球 プロ入り1年目から大活躍し、新人王にも輝いた、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、1959年6月25日、後楽園球場で行われたプロ野球初の天覧試合(天皇が観戦する武道やスポーツ競技の試合)でも、サヨナラ本塁打を打っているの […] 続きを読む
長嶋茂雄が若い頃は本塁打を放つも一塁ベースを踏み忘れたことがあった! 野球 1958年、巨人に入団した年には、開幕戦の国鉄スワローズ戦で、エース・金田正一さんに4打席連続三振を喫するも、153安打3割5厘29本塁打34二塁打92打点89得点37盗塁で、新人王・本塁打王・打点王・最多安打・最多二塁 […] 続きを読む
長嶋茂雄はプロデビュー戦で金田正一に4連続三振を喫していた! 野球 立教大学卒業後、巨人(読売ジャイアンツ)に入団した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、入団した年の1958年、国鉄スワローズ戦で、エースの金田正一さんに4打席4三振を喫しているのですが、以降、金田さんの球を打ち砕くこと […] 続きを読む
長嶋茂雄は南海ホークスに入団するはずだった? 野球 長嶋茂雄(ながしま しげお)さんといえば、誰もが巨人(読売ジャイアンツ)で活躍したスーパースターと知るところですが、実は、当初は、巨人ではなく、南海ホークス(現・ソフトバンク)に入団することになっていたといわれています。 続きを読む
長嶋茂雄はタイカッブバットで東京六大学新記録8本塁打を達成していた! 野球 1957年11月3日、東京六大学野球の秋のリーグ戦で、勝てばチームは優勝、個人的には、あと1本ホームランを打てば、東京六大学の記録を更新するという状況で、緊張のあまりバッティングが振るわなかったという、長嶋茂雄(ながしま […] 続きを読む
長嶋茂雄は東京六大学最終戦では途中でタイカッブバットを借りていた! 野球 1957年(大学4年生)の時、春のリーグ戦で通算7本塁打を放ち、あと1本で、当時の東京六大学リーグ史上、新記録になるという状況の中、マスコミの存在や周囲の目が気になって、なかなか思うようなバッティングができずにいたという […] 続きを読む
長嶋茂雄は東京六大学野球ではマスコミの存在に苦しんでいた! 野球 立教大学4年生の時には、東京六大学野球リーグで、当時の東京六大学記録の7本塁打を更新する8本塁打を記録した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、新記録達成に立ちはだかる最大の敵はマスコミだったといいます。 続きを読む
長嶋茂雄は杉浦忠と共に中日球団事務所に入団を直訴していた? 野球 立教大学では、砂押監督から特別に目をかけられ、猛特訓を受けていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、1995年、大学2年生の夏頃には、砂押監督のスパルタ方式の特訓に反発した先輩たちによる「砂押監督排斥運動」が […] 続きを読む
長嶋茂雄は立教大で上級生からの因縁に真っ向勝負を挑んでいた! 野球 お父さんが他界した後は、六大学一番の選手になって日本一のプロ野球選手になるという、お父さんとの約束を守るため、それまで以上に砂押監督の猛特訓に励んでいた、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、そんな中、砂押監督から特別 […] 続きを読む