「ヒット」タグの記事一覧

雪村いづみが若い頃は「三人娘(美空ひばりと江利チエミ)」で人気!

お父さんが35歳という若さで突然自殺したことで生活が困窮し、家計を支えるべく、中学卒業後の1952年に、ダンスホール「フロリダ」で歌を歌う仕事を始めた、雪村いづみ(ゆきむら いづみ)さんは、翌年の1953年4月、16歳の時には、テレサ・ブリ・・・

永六輔は坂本九が歌う「上を向いて歩こう」のヒットを予想していなかった!

1961年7月、自身が作詞した「上を向いて歩こう」を坂本九さんが歌うのを、「第3回中村八大リサイタル」で初めて聴くと、10代の若者がふざけて歌っているように聴こえ、激怒したという、永六輔(えい ろくすけ)さんですが、作曲をした中村八大さんは・・・

永六輔が作詞した「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」となった理由とは?

1959年、中村八大さんから依頼され作詞した、水原弘さんのデビュー曲「黒い花びら」がミリオンセラーとなった、永六輔(えい ろくすけ)さんは、1961年には、坂本九さんに作詞した「上を向いて歩こう」も大ヒットとなっているのですが、その後、「S・・・

永六輔が若い頃は水原弘に作詞した「黒い花びら」がミリオンセラーになっていた!

1957年、24歳の時、三木鶏郎さんに誘われて、ディズニー映画「ダンボ」に携わると、その後も、ディズニー映画「わんわん物語」に携わり、ヒットさせた、永六輔(えい ろくすけ)さんは、1959年には、新人歌手の水原弘さんのデビュー曲で、作曲家の・・・

中村メイコは若い頃「田舎のバス」がヒットしていた!

2歳8ヶ月で子役デビューして以来、主に喜劇を中心に活動し、その自然体の演技で”天才子役”と呼ばれていた、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、1955年、20歳の時には、歌手デビューも果たすと、同年、2枚目のシングル・・・

大島渚は昔「戦場のメリークリスマス」が世界中で公開され高評価を得ていた!

「愛のコリーダ」(1976年)、「愛の亡霊」(1978年)では、国際的な評価を得るも、1979年、「日本の黒幕」では、すったもんだでクランクイン直前に降板となった、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、1983年には、映画「戦場のメリークリ・・・

大島渚が若い頃はテレビのドキュメンタリーで高い評価を受けていた!

「青春残酷物語」「太陽の墓場」と続けて大ヒットを記録し、”松竹ヌーベルバーグの騎手”と呼ばれるようになった、大島渚(おおしま なぎさ)さんは、続いて、安保闘争を描いた「日本の夜と霧」を発表するのですが、「松竹」により、上映を無断で打ち切られ・・・

大島渚は若い頃「青春残酷物語」「太陽の墓場」が大ヒット!

高校時代、成績優秀で、京都大学法学部に進学するも、学生運動と演劇活動に熱中していたという、大島渚(おおしま なぎさ)さんは、1954年、大学卒業後は、松竹に入社し、助監督として働き始めると、1959年には、映画監督としてデビューします。

宇崎竜童が山口百恵に作曲した「プレイバックpart2」は瞬時にできていた!

山口百恵さんに提供した「横須賀ストーリー」が大ヒットとなった、宇崎竜童(うざき りゅうどう)さんは、その後も、自身のバンドのツアー、テレビ出演、映画出演をこなしつつ、次々と山口さんに曲を提供し、山口さんの黄金時代を支えます。

宇崎竜童は山口百恵本人からのオファーという噂を信じていなかった!

山口百恵さんの事務所から依頼され、アルバム収録曲として制作した「横須賀ストーリー」が、シングルカットされ大ヒットとなった、宇崎竜童(うざき りゅうどう)さんですが、実はこのオファーは、山口さんが、宇崎さん率いる「ダウン・タウン・ブキウギ・バ・・・

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