1972年、23歳の時、シングル「金色の太陽が燃える朝に」で歌手デビューすると、1974年には、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成し、ソウルフルな歌声でたちまち脚光を浴びた、上田正樹(うえだ まさき)さん。

そんな上田正樹さんは、1976年には、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を解散すると、その後、しばらくはパっとしなかったものの、1982年にリリースしたシングル「悲しい色やね」が34.8万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

今回は、上田正樹さんの、若い頃(レコードデビュー)から現在までのヒット曲やアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。

上田正樹

「上田正樹の生い立ちは?幼少期は東大医学部を目指すも高2で音楽に転向していた!」からの続き

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上田正樹は23歳の時に「金色の太陽が燃える朝に」で歌手デビュー

上田正樹さんは、大阪でライブ活動を始め、何年かすると、やがて評判になり、ライブを観に来ていたテイチクのプロデューサーに、

歌を出さないか

と、声をかけられたそうで、

1972年12月、23歳の時には、「金色の太陽が燃える朝に」で歌手デビューを果たしています。

「金色の太陽が燃える朝に」
シングル「金色の太陽が燃える朝に」

ちなみに、上田正樹さんは、高校卒業後のある日、ふらっと、風呂屋に行くふりをしてそのまま家出していたそうですが、このデビューにより、ようやく家に帰ることができたそうで、

お兄さんからは、

長い風呂だったなぁ

と、言われたそうです(笑)

上田正樹は25歳の時に「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」として「この熱い魂を伝えたいんや」でデビューも約2年で解散していた

その後、上田正樹さんは、1974年、25歳の時には、有山淳司さん、堤和美さん、中西康晴さん、藤井裕さん、正木五郎さんと共に、バンド「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成し、

1975年には、ライブアルバム「この熱い魂を伝えたいんや」をリリースすると、熱狂的なステージで歌うソウルフルなヴォーカリストとしてたちまち脚光を浴びています。

また、上田正樹さんは、有山淳司さんと共に「ぼちぼちいこか」もリリースしているのですが、1976年には、「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」は解散しています。

ぼちぼちいこか
アルバム「ぼちぼちいこか」

上田正樹は28歳の時に大麻取締法違反容疑で逮捕されていた

「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」解散後、上田正樹さんは、レコード会社に所属すると、1977年9月には、アルバム「上田正樹」をリリースし、ソロ活動を再開するのですが・・・

それから2ヶ月後の1977年11月12日、大麻取締法違反容疑で逮捕されてしまいます。

「上田正樹」
アルバム「上田正樹」

上田正樹は33歳の時にシングル「悲しい色やね」が大ヒット

復帰後、上田正樹さんは、レコード会社の意向により、歌謡曲を中心に歌っていたそうですが、

言われるがまま歌謡曲を歌うのは違うんじゃないか

と、思い始めたそうで、

今日辞めよう、今日こそ言うんだ

と、思っていた矢先の1982年、33歳の時、

シングル「悲しい色やね」が、発売直後は売れ行きは良くなかったものの、有線放送のリクエスト回数が徐々に増えていき、1983年の夏頃には、オリコンチャートの上位にランクインし、34.8万枚を売り上げる大ヒットを記録したそうで、

「悲しい色やね」
シングル「悲しい色やね」

上田正樹さんは、この大ヒットとにとても戸惑ったそうですが、2024年、「婦人公論」のインタビューで、

ただ今となってはR&Bの魂で「悲しい色やね」を歌うことができます。歌謡曲を外から批判することもしたくありません。

と、語っています。

上田正樹が50歳~51歳の時には韓国・インドネシア・マレーシアなどアジアの国々で人気を博していた

そんな上田正樹さんは、その後、海外にも進出しており、1999年には、韓国のプロデューサーのキム ヒョンソクさんから熱心なオファーを受け、アルバム「HANDS OF TIME」で、(日本文化解禁前の)韓国デビューすると、20万枚を売り上げる大ヒットとなっています。

ちなみに、このアルバムの中の楽曲「Hands of Time」は視聴率30%以上を記録する人気テレビドラマ「ゴースト」の主題歌にも起用されたといいます。

また、上田正樹さんは、この頃、インドネシアで暮らしていたこともあったそうで、2000年には、現地の歌手のレザ・アルタメヴィア(Reza Artamevia)さんとデュエットした「FOREVER PEACE~duet with REZA」をリリースすると、現地のヒットチャートで17週連続1位を記録。

その後、その人気はマレーシアにも飛び火し、上田正樹さんはアジアでも人気を博したのでした。

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上田正樹のアルバム一覧

それでは、ここで、上田正樹さんの主なアルバムをご紹介しましょう。

  • 1975年「ぼちぼちいこか -上田正樹と有山淳司-」
  • 1975年「この熱い魂を伝えたいんや-上田正樹とサウス・トゥ・サウス-」
  • 1977年「上田正樹」
  • 1978年「PUSH & PULL」
  • 1980年「HE SESSION」
  • 1981年「JEALOUS NIGHT」
  • 1982年「NO PROBLEM」
  • 1982年「AFTER MIDNIGHT~バラードまでそばにいて~」
  • 1983年「HUSKY」
  • 1983年「SONGS~男が女を愛する時~」
  • 1984年「抱きしめたい」
    「抱きしめたい」
  • 1984年「SONGS 2~ALL OF MY HEART~」
  • 1984年「PRIVATE FILE」
  • 1985年「サイレンス」
  • 1988年「WHEN I WAS YOUR MAN -おまえの男だったときに-」
  • 1989年「SWEET LOVE BITTER」
  • 1989年「CHARADE」
    「CHARADE」
  • 1991年「家を出る少年だった頃」
  • 1991年「STRAIGHT TO THE HEART」
  • 1992年「シンパイスナ、アンシンスナ/サウス・トゥ・サウス’91ライブ」
  • 1992年「ブルースを浴びて暮らしたい」
  • 1992年「REAL GROOVE」
  • 1993年「Here, I am」
    「Here, I am」
  • 1993年「That’s A Point」
  • 1993年「上田正樹 ベスト・セレクション」
  • 1994年「Still Lovin’ You」
  • 1995年「Roots」
  • 1995年「SWEET VOICE」
    「SWEET VOICE」
  • 1998年「tribute」
  • 1999年「HANDS OF TIME」
  • 2000年「Soulscape」
  • 2002年「NO MORE BLUES」
  • 2003年「Smile」
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    ビデオアーツ ミュージック
  • 2004年「Imagine」
  • 2006年「Freedom」
  • 2007年「OSAKA」
  • 2008年「ぼちぼちいこか ’08 フィーチャリング くいだおれ太郎」※「有山じゅんじと上田正樹」名義
  • 2010年「SMOOTH ASIA」
    created by Rinker
    ビクターエンタテインメント
  • 2011年「俺たちの歌」
  • 2012年「遠ざかる日本(ふるさと)の歌」
  • 2014年「チョットちゃいます Better Sweet Soul -有山岸 featuring上田正樹 with Yoshie.N」
  • 2019年「Soul to Soul」

と、数多くのアルバムをリリースしています。

「上田正樹の妻・朝本千可との馴れ初めは?離婚理由は?子供(娘)は上田郁代!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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